undefined 現在の閲覧者数:
FC2ブログ

2つのミニカー 

もし皆さんが我が家に来たら、不思議な事に気が付くと思います。それは私の机の上に2つのミニカーが置いてあるからです。
1つは白い8人乗りのワゴン車です。
もう1つは黄色のモンスタートラックです。

去年アメリカに行った時、黄色のモンスタートラックを孫ヨシュアからもらいました。それは彼の大好きなミニカーでしたが、彼はそれを私にくれました。
今。そのミニカーを見る度に、私は孫のヨシュアを思い出します。

鹿児島に住んでいる孫ノアは私に白い和琴をくれました。
そのミニカーは私の車とソックリだったので、ノアは「このミニカーはおじいちゃんの車に似ているので差し上げます」と言いました。
現在そのミニカーを見る度に私は孫のノアを思い出します。

今日は、クリスチャンがキリストの復活を祝う日(イースター)です。
キリストは、私達に御自分を思い出すものを3つ残してくださいました。

第1にキリストは空の墓を残してくだしました。
御使いは女たちに言った。「恐れてはいけません。あなたがたが十字架につけられたイエスを捜しているのを、私は知っています。 ここにはおられません。前から言っておられたように、よみがえられたからです。来て、納めてあった場所を見てごらんなさい。」
マタイの福音書28:5-6

第2に、キリストは素晴らしい約束を残してくださいました。
「イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。 また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。」
ヨハネの福音書11:25-26


第3に、キリストは生ける望みを残してくださいました。
「私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました。」
Ⅰペテロの手紙1:3


   
2 toy cars 

TWO TOY CARS 

If you came to my home, you might notice something strange. There are two toy cars on my desk. One is a white 8-passenger van. The other one is a yellow monster truck.

When I went to America last year, I received the yellow monster truck from my grandson, Josiah. It was one of his favorite toy cars, but he gave it to me. Now, whenever I look at that toy car, I remember Josiah.

My grandson Noa, who lives in Kagoshima, gave the white van to me. That toy car looked just like my car, so Noa said, “Grandpa, this toy car looks like your car, so I will give it to you.” Now, whenever I look at that toy car, I remember Noa.

Today is the day that Christians celebrate the resurrection of Christ. Christ left us three things for us to remember Him.

First, He left us an empty tomb.
But the angel answered and said to the women, “Do not be afraid, for I know that you seek Jesus who was crucified. He is not here; for He is risen, as He said. Come, see the place where the Lord lay.” (Matthew 28:5-6)

Second, Christ left us a wonderful promise.
I am the resurrection and the life. He who believes in Me, though he may die, he shall live. And whoever lives and believes in Me shall never die. (John 11:25-26)

Third, Christ left us a living hope.
Blessed be the God and Father of our Lord Jesus Christ, who according to His abundant mercy has begotten us again to a living hope through the resurrection of Jesus Christ from the dead.
(First Peter 1:3)

車検の証明 

   車検の証明 
近所の人が質問しました。「車の車検を受けましたか?」
私は「はい」と答えました。
そして彼は言いました。「フロントガラスに貼るシールはどこですか? それがないと、あなたは警察に捕まって、罰金を支払わなければなりませんよ!」

私はそのシールをもらった事を覚えていましたが、家・車・カバンの中・上着のポケット等を探し回ったけど、そのシールを見つける事ができませんでした。
車のダッシュボードの中に車検証が入っているけど、車の外部には車検シールが貼ってないので車検の証明ができませんでした。

ヤコブの手紙によると、私たちの信仰も同じです。私たちの心の中にキリストを信じる信仰がありますが、外部の人たちは私たちの心の中を見る事ができません。私たちの信仰を証明する「行いや証し」が必要です。
こう言う人もあるでしょう。「あなたは信仰を持っているが、私は行ないを持っています。行ないのないあなたの信仰を、私に見せてください。私は、行ないによって、私の信仰をあなたに見せてあげます。」
ヤコブの手紙2:18


私たちが家族や友達にキリストに対する信仰を口で告白しても、彼等に見られる「行いや証し」がなければ、彼等は私たちが本当にクリスチャンであるか疑うかも知れません。
クリスチャンが聖書の教えに従う時、その「行ないや証し」は車に貼る車検シールのような物です。

「あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行ないを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」
マタイの福音書5:16


  
Matthew 5-16 

PROOF OF INSPECTION 

My neighbor asked me, “Did your get your car inspected?” I replied, “Yes.” Then he said, “Where is the sticker that you stick on your windshield? If you do not have that, you may be stopped by the police and have to pay a fine.”

I remembered receiving the sticker, but when I searched in my home, my car, my briefcase, and my coat pocket, I could not find the sticker. I had my inspection certificate in the glove compartment of my car, but people on the outside of the car could not know if I had the car inspected or not.

According to the Epistle of James, our faith is the same. In our heart we have faith in Christ, but people on the outside of us cannot see inside our heart, so work that proves our faith is necessary.

But someone will say, “You have faith, and I have works.” Show me your faith without your works, and I will show you my faith by my works.
(James 2:18)


We may confess our faith in Christ to our family and friends, but if there is no work that can be seen by them, the possibility is strong that they may doubt whether we are truly a Christian or not. When a Christian obeys the teaching of the Bible, his works are like an inspection sticker that he sticks on his car.

Let your light so shine before men, that they may see your good works and glorify your Father in heaven. (Matthew 5:16)

何か変だな~ 

毎朝、私は朝食と一緒にオレンジジュースを飲みます。
先日、ジュースをコップに入れた時、私はその色に気が付きました。いつものより薄い色で、それを飲んでみました。すると、いつものとは違う味でした。
「何か変だな~」と思いました。
私は、ジュースの紙パッケージを見てビックリしました。パッケージのデザインは、いつも買っているオレンジジュースと殆どそっくりでしたが、それはオレンジジュースではありませんでした。フルーツミックスジュースでした。
私は「どんな果物が入っているのかな~」と思って原材料名を見ました。
リンゴ・オレンジ・桃・バナナ「バナナ!」私は、バナナのアレルギーがあります。
その瞬間、飲んだジュースを吐き出しそうになりましたが、思いとどまりました。
私は殆どそっくりのパッケージによって騙されました。

同じように、現在、多くのクリスチャンは聖書的にそっくりな教えによって騙されています。
その教理を教えている教師たちは聖書を使っているし、彼らの会堂の玄関には「〇〇教会」と看板が掲げられています。
しかし、彼らの話を聞くと「何か変だな~」と感じます。

例えば最近、創世記の11章を攻撃している教師たちが増えています。
彼らは、その箇所が歴史的な出来事ではなくて、神話のような文学と教えています。

聖書はこの出来事を預言しました。
「人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め、 真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるからです。」Ⅱテモテへの手紙4:3-4

今から、オレンジジュースを買う時、私は中身を確かめるつもりです。
皆さんも聖書を手に持っている教師の話を聞く前に、その中身を吟味してください。

   
何かへんだな~ 

SOMETHING IS STRANGE 

Every morning I drink some orange juice with my breakfast. The other day when I poured the orange juice into the glass, I noticed the color of the juice. It was not as orange as usual. I drank some of the juice. The taste was different too. I thought, “Something is strange.”

I looked at the carton and was surprised. The carton was almost identical to the carton of orange juice that I buy, but it was not orange juice. It was a fruit mix.

Wondering what kind of fruit what in the fruit mix, I looked at the ingredients. Apple, orange, peach and banana – banana! I am allergic to bananas. For a second or two, I felt like throwing up, but I was okay.

I was deceived by the carton that was almost identical. In the same way, in these days many Christians are being deceived by teaching that is almost identical to Biblical teaching. Those teachers hold a Bible in their hands, and on the sign outside the building there is the word “church,” but when you listen to their teaching, you sense something is strange.

For example, lately the teachers who attack the first eleven chapters of Genesis are increasing. They teach that the events of the first eleven chapters of Genesis are not historical events but mythical literature. The Bible prophesied this event.
For the time will come when they will not endure sound doctrine, but according to their own desires, because they have itching ears, they will heap up for themselves teachers; and they will turn their ears away from the truth and be turned aside to fables.
(Second Timothy 4:3-4)


From now on, when I buy juice, I intend to verify the content. All of you too, before you swallow the message of a teacher holding a Bible in his hand, verify the content.

楽しい!…けれども…… 

私が小倉教会の事を考える時、詩篇133:1の御言葉が浮かんできます。
「見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。」

皆さんと共に賛美して、聖書を学ぶ事が楽しい。共に昼食をする事が楽しい。昼食食事後の交わりが楽しい。午後に皆さんと共に色んな活動をする事も楽しい。
楽しい!…けれども……、私たちは共に教会生活を楽しみながら、この教会の最も大切な目的を忘れてはいけません。
それはマルコの福音書16:15に書いてあります。
「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。」

最近、私は友達と一緒に「焼肉食べ放題のレストラン」に行きました。食事はとてもおいしかったし、交わりもとても楽しかった。そして食後、友達は私を家まで送ってくれました。
車を降りて家のカギを探しながら玄関に行きました。そしてその時、大変な事に気が付きました。「家のカギがない!」カギが入っているコートをレストランに置き忘れてしまったのでした!
私は帰って行く友達の車に向って「待ってくれ~!」と叫びました。幸いに私の叫び声が届き、車を止めてくれました。そして彼は私を再びレストランまで戻ってくれて、家のカギ・車のカギ・教会のカギが入っているコートを受け取る事ができました。

私は、楽しい食事に夢中になって大切な物を忘れてしまいました。小倉教会はこのような同じ間違いをしてはいけません。
教会生活を共に楽しみましょう。けれども、私たちは主から受けた大事な任務を忘れては行けません。
「街道や垣根のところに出かけて行って、この家がいっぱいになるように、無理にでも人々を連れて来なさい。」
ルカの福音書14:23


   
IT WAS DELIGHTFUL…BUT 

IT WAS DELIGHTFUL…BUT……

Whenever I think about the Kokura church, these words in Psalm 133:1 come to my mind.
Behold, how good and how pleasant it is for brethren to dwell together in unity!
Singing and studying the Bible together with everyone is delightful. Eating lunch together is delightful. The fellowship after lunch is delightful. Participating in various activities in the afternoon is delightful.

It is delightful . . . BUT we must not forget the most important purpose of this church. It is written in Mark 16:15. Go ye into all the world and preach the gospel to every creature.

Recently a friend and I went to an all-you-can-eat yakiniku restaurant. The meal was delicious, and the fellowship was delightful. Later my friend drove me home. I got out of his car and, searching for my keys, walked toward my house. Just then I realized something awful. My overcoat with my keys inside it was still at the restaurant!

I yelled toward the car that was pulling away, “Wait!” Thankfully, my friend heard my shout. He drove me to the restaurant, so I was able to get my overcoat that had my house key, car keys, and church key in it.

I became engrossed in the delightful meal and forgot something important. The Kokura church must not make the same mistake. Let’s enjoy our time at church together. But we must not forget the important mission that we received from the Lord.
Go out into the highways and hedges, and compel them to come in, that my house may be filled. (Luke 14:23)

中味のないコ-ヒ- 

水曜日夜の集会(聖書の学び会)に皆さんが来るのを待つ間、私はコーヒー準備します。
水とフィルターとドリップ・コーヒーをポットに入れてスイッチを入れます。そして、皆さんが集まってから、私は「コーヒーが出来ていますよ!」と知らせます。

先日、同じようにコーヒーを準備ました。二人の姉妹がコーヒーを入れに行きました。
突然、二人の大きな笑い声が聞こえました。
私は何がおかしいのかと思って見に行きました。
彼女達がコップに注いだ時、お湯しか出てきませんでした。
なぜなら、私はポットにドリップ・コーヒーを入れるのを忘れていたからです。
やはり、コーヒー豆が入っていないのは、ただのお湯だけです。

同じように御言葉が入っていないのは味気ない信仰生活です。なぜなら聖書の言葉はクリスチャンの生活に味を付けるからです。

詩篇19:10によると聖書の言葉は
「蜜よりも、蜜蜂の巣のしたたりよりも甘い。」

詩篇119:103でダビデが書きました。
「あなたのみことばは、私の上あごに、なんと甘いことでしょう。蜜よりも私の口に甘いのです。」

もし、あなたの現在の信仰生活があまり楽しみと喜びのない生活であれば、エレミヤがやった事を実行して見てください。
「私はあなたのみことばを見つけ出し、それを食べました。あなたのみことばは、私にとって楽しみとなり、心の喜びとなりました。」エレミヤ書15:16

毎日、朝食の時に、聖書を開いて自分の目でそれを味わってください。
そうすれば、お湯だけの中味のないコーヒーのようなあなたの生活は、もっと楽しみと喜びがある生活になります。
「主の戒めは正しくて、人の心を喜ばせる。」詩篇19:8

   
TASTELESS COFFE 

TASTELESS COFFEE 

On Wednesday evening, while I am waiting for everyone to come to the Bible study, I fix some coffee. I put water, a filter, and some coffee into the pot and turn on the switch. After everyone has gathered, I announce,
“The coffee is ready.”

Two or three weeks ago when I did that, two of the ladies went to fix everyone’s coffee. Suddenly I heard them laughing. Thinking, “What is so funny?” I went to see. When they poured coffee into the cups, only hot water came out because I had forgotten to put in the coffee.

Coffee with no coffee in it is tasteless coffee. In the same way, a Christian life without the Word of God is a tasteless life, for it is the Bible that adds flavor to the life of the Christian. According to Psalm 19:10, the words of the Bible are sweeter also than honey and the honeycomb.
In Psalm 119:103 David wrote,
How sweet are Your words to my taste, Sweeter than honey to my mouth!


If, at the present time, your Christian life is a life with very little delight and joy, try doing what Jeremiah did.
Your words were found, and I ate them, and Your word was to me the joy and rejoicing of my heart
Jeremiah 15:16

Every morning when you eat breakfast, open the Bible and taste it with your eyes. If you will do so, your life that is now like coffee with only hot water in it will become a life of delight and joy.
The statutes of the LORD are right, rejoicing the heart. (Psalm 19:8)

skin presented by myhurt : BLOG | SKIN

FC2Ad

  
copyright © 2005 小倉聖書バプテスト教会よりメッセージ all rights reserved. Powered by FC2ブログ