undefined 現在の閲覧者数:
FC2ブログ

他人に受け入れられたい欲望 

ほとんど人の心には、他人に受け入れられたいと言う欲望があります。
その欲望自体は、悪くありませんが、その欲望が下記の行動が原因になると、悪い欲望に変わります。

他人に受け入れられたいので、クリスチャンがしては、いけない事をする。
私が高校生ころ、一番仲の良い友達は、クリスチャンでは、ありませんでした。
彼らに受け入れられたい私は、時々クリスチャンが行ってはいけない場所に行き、見てはいけない雑誌を見ました。
親と一緒にフロリダ州に引っ越すまで、私は、彼らの悪い影響を受けていました。

他人に受け入れられたいので、クリスチャンが信仰を隠す。
日本のことわざによると、最も恐ろしいものは「地震・雷・火事・オヤジ」です。
しかし、もう一つあります。
他人の目です。もし他人に信仰を告白したら、彼らが、以前の様に付き合ってくれないと恐れる時、私達は、信仰を隠します。
ある人は、言いました。
「最も過酷な牢獄… それは、他人の目に対する恐れの中にいる状態です。」

他人に受け入れられたいので、神様の御言葉に反する決心をする。つまり、私たちは、聖書に何と書いてあるのかを知っているのに、神様よりも他人を喜ばせたいので、聖書の教えを守りません。
権力によって「イエスの名によって教えてはならないときびしく命じられた」しかし弟子たちは、答えました。
「人に従うよりも、神に従うべきです。」
使徒の働き5:29


クリスチャンの模範は、パウロです。
「いま私は人に取り入ろうとしていうのでしょうか。いや、神に、でしょう。あるいはまた、人の歓心を買おうと努めているのでしょうか。もし私がいまなお人の歓心を買おうとするようなら、私はキリストのしもべとは言えません。」ガラテヤ人への手紙1:10

  
Faith in God 

THE DESIRE TO BE
ACCEPTED BY OTHERS


Almost all people have a desire to be accepted by others. The desire itself is not bad: however, if that desire becomes the cause of the following actions, it is not good:

When we do things a Christian should not do because we want to be accepted by others. When I was a high school student, none of my best friends were Christians. Because I wanted to be accepted by them, I went places a Christian should not go and looked at magazines which a Christian should not look at. Until I moved to Florida with my parents, they had a bad influence on me.

When we hide our faith because we want to be accepted by others. According to a Japanese proverb, the four most fearsome things are earthquakes, thunder, fire, and father. However, there is one more. It is the eyes of others. Because we fear that others will not associate with us any longer if we confess our faith, we hide our faith.
Someone said, “The greatest prison people live in is the fear of what other people think.”

When we make decisions that violate the Word of God because we want to be accepted by others. In other words, we know what is written in the Bible, but because we want to be accepted by others, we do not obey the teachings of the Bible. When the Council commanded the disciples not to teach any more in the name of Jesus, they replied,
“We ought to obey God rather than men.”
(Acts 5:29)


Paul is the Christian’s example.
For do I now persuade men, or God? Or do I seek to please men? For if I still pleased men, I would not be a servant of Christ.
(Galatians 1:10)

ONE(一致) 

2020年教会のスローガンは「教会の一致」です。

今年の御言葉はⅡコリント人への手紙13:11
「兄弟たち。喜びなさい。完全な者になりなさい。慰めを受けなさい。一つ心になりなさい。平和を保ちなさい。そうすれば、愛と平和の神はあなたがたとともにいてくださいます。」

教会の一致を守るために「ONE」で始まる3つのスローガンを覚えましょう。
ONE BOOK(一つの本)小倉教会の信仰は、一つの本に基づいています。それは聖書です。ある宗派や団体の信仰は、聖書+人間の本や伝説に基づいていますが、この教会の信仰は、神様の言葉である聖書だけに基づいています。
なぜなら「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。」
Ⅱテモテへの手紙3:16


ONE PURPOSE(一つの目的)いろんな社会運動に参加することによって社会改善を中心にする教会がありますが、小倉教会のすべての行事の目的はマタイの福音書28:19-20に書いてある命令に従うことです。
「あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。」

ONE HEART(一つの心)Ⅱコリント人への手紙13:11「一つ心になりなさい。」とあります。
英語の聖書には「be of one mind」とあります。
「Mind」「心」のことです。
つまり「be of one heart」 という意味です。
新年に思いがけないことが起こるかもしれません。しかし、私たちの心は「ONE HEART」 であれば教会の一致を守ることができます。

ONEBOOK–ONEPURPOSE–ONEHEART. この3つのスローガンに結ばれて、新しい年を共に主に忠実に仕えましょう。

   
Church Unity 

ONE 

The church slogan for the year 2020 is (Church Unity).

The Bible passage for this year is Second Corinthians 13:11. Brethren, become complete. Be of good comfort. Be of one mind. Live in peace; and the God of love and peace will be with you.

To maintain the unity of the church, let us remember three slogans that begin with [ONE].

ONE BOOK 
 The faith of Kokura BBC is based on one book – the Bible. The faith of some denominations and organizations is based on the Bible plus the books of men or tradition. But the faith of this church is based only on the Bible, the Word of God, because all Scripture is given by inspiration of God, and is profitable for doctrine, for reproof, for correction, for instruction in righteousness. (Second Timothy 3:16)

ONE PURPOSE  
 There are churches that focus on social improvement through participation in various social movements, but the purpose of all activities of Kokura BBC is obedience to the command written in Matthew 28:19-20.
Go therefore and make disciples of all the nations, baptizing them in the name of the Father and of the Son and of the Holy Spirit, teaching them to observe all things that I have commanded you.

ONE HEART
  In Second Corinthians 13:11 it is written, Be of one mind. The meaning of [mind] is [heart], so it is [be of one heart]. There may be unexpected events that occur in the new year, but if our hearts are ONE HEART, we shall be able to protect the unity of the church.

ONE BOOK – ONE PURPOSE – ONE HEART.
Let us be bound together by these three slogans and serve the Lord faithfully together in the new year.

NO! 

私は、しばらく祈りを通して神様にあることを願いました。
ようやく答えがありました。「NO」でした。正直に言って私は、泣くほど失望しました。
なぜなら自分が願ったことは、ある問題の完全な解決であると思ったからです。しかし、神様は「NO」とおっしゃいました。

聖書の中で神様は、次の人達にも「NO」と応えました。
サウル(Ⅰサムエル記14章)
ダビデ(Ⅱサムエル記12章)
エリヤ(Ⅰ列王記19
ヨナ(ヨナ書4章)
ヤコブとヨハネ(マルコの福音書10章)
とパウロ(Ⅱコリント12章)

神様が私たちの祈りに「NO」と答えるとき私たちは、どの様に反応すべきでしょうか。キリストの模範があります。十字架かにつく前にキリストは、祈りました。
「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」ルカの福音書22:42
「わたしの願いではなく」これは、非常に言いにくい言葉です。 そして「みこころのとおりにしてください。」この言葉は、もっと言いにくい言葉です。

しかし、私たちは祈りの目的を覚えなければなりません。祈りの目的は、自分が欲しがっているものや貰う事だけでは、ありません。祈りのもう一つの大事な目的は、神様の御心を確認することです。

自分が神様に願ったことは、主の御心では、ないとわかるとき私たちは、続けて祈りを通して主の御心を求めるべきです。
なぜなら、Ⅰヨハネの手紙5:14「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。」と書いてあるからです。

   
Prayer 

NO! 

For a while I prayed and asked God for something. Finally, the answer came. It was “NO.” Speaking honestly, I was so disappointed that I cried because I thought that what I requested of God was the perfect solution to a certain problem. However, God said, “NO.”

In the Bible God said, “NO” to these people too: Saul (First Samuel 14), David (Second Samuel 12), Elijah (First Kings 19), Jonah (Jonah 4), James and John (Mark 10), and Paul (Second Corinthians 12).

When God replies, “NO,” to our prayers, how should we react? We have the example of Christ. Before He went to the cross, He prayed, Father, if it is Your will, take this cup away from Me; nevertheless not My will, but Yours, be done.

“Not my will” – these words are hard to say. “Your will be done” – these words are even harder to say. However, we must remember the purpose of prayer. The purpose of prayer is not just to receive the things that we desire. Another important purpose of prayer is to confirm the will of God.

When we realize that what we requested is not the will of God, we should continue to seek His will through prayer, for in First John 5:14 it is written,
Now this is the confidence that we have in Him, that if we ask anything according to His will, He hears us.

あなたの義度は? 

私はスイカが大好きです。夏になると毎晩スイカを食べます。
しかし、いつも買っているスイカについてわからない事が一つあります。スイカの容器に数字の書いたシールが貼ってあります。普通10~12です。
最近まで、その数字を見て何を表わしているか不思議に思っていました。

先週の日曜日に教会の姉妹はそれを説明してくださいました。 数字はスイカの糖度を表しています。そうです数字はスイカの甘味です。数字が高くなればなるほどスイカは甘いのです。最も甘いスイカは15度だそうです。

もし、神様が同じような事をしたら、どうなるでしょうか?
つまり、神様が一人ひとりのクリスチャンの額にそのクリスチャンの義度シールを貼ったなら、あなたの義度は何度になるでしょうか。

例えば、Ⅰテサロニケ人への手紙の5:12-22にクリスチャンが守るべき15の命令が書いてあります。

あなたがたの間で労苦し、主にあってあなたがたを指導し、訓戒している人々を認めなさい。その務めのゆえに、愛をもって深い尊敬を払いなさい。
お互いの間に平和を保ちなさい。
気ままな者を戒めなさい。
小心な者を励ましなさい。
弱い者を助けなさい。
すべての人に対して寛容でありなさい。
だれも悪をもって悪に報いないように気をつけなさい。
お互いの間で、またすべての人に対して、いつも善を行なうよう務めなさい。
いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
すべての事について、感謝しなさい。
御霊を消してはなりません。
預言をないがしろにしてはいうけません。
すべてのことを見分けて、ほんとうに良いものを堅く守りなさい。
悪はどんな悪でも避けなさい。


今、私達はこの15の命令を、いくつ守っているでしょうか? その数字の結果が私達の義度です。

   
スイカ糖度 

WHAT IS YOUR LEVEL
 OF RIGHTEOUSNESS
 ?

I love watermelon. In the summer, I eat watermelon every night. However, there was one thing I did not understand about the watermelon I always bought. There is a number written on top of the pack. Usually, it is 12 or 11 or 10. Until recently I wondered what that number meant.

Last Sunday at church, one of the ladies of the church explained it to me. The number shows the level of sugar in the watermelon. In other words, the number shows how sweet the watermelon is. The higher the number, the sweeter the watermelon. The number of the sweetest watermelon is 15.

What would happen if God did the same thing? In other words, if God wrote the level of our righteousness on our forehead, what would the level of our righteousness be?

For example, in First Thessalonians 5:12-22 there is a list of 15 commands that Christians should obey.

Recognize those who labor among you, and are over you in the Lord and admonish you, and to esteem them very highly in love for their work’s sake.
Be at peace among yourselves.
Warn those who are unruly.
Comfort the fainthearted.
Uphold the weak.
Be patient with all.
See that no one renders evil for evil to anyone.
Always pursue what is good both for yourselves and for all.
Rejoice always.
Pray without ceasing.
In everything give thanks.
Do not quench the Spirit.
Do not despise prophecies.
Test all things; hold fast what is good.
Abstain from every form of evil.


How many of these commands are we obeying? That number is the level of our righteousness.

人生の遠回り 

先週の日曜日、私は佐世保のライトハウス・バプテスト教会で説教しました。AM10:00からの日曜学校に間に合うようにAM7:30に出発しました。
九州自動車道と長崎自動車道を通れば2時間15分程で行けるはずだったのですが……。

しかし、その日は朝から大雨による災害があったので、筑紫野インターから高速道路は通行止めでした。そこから佐賀の途中まで一般道を通らなければなりませんでした。
そして教会に到着したのは10:30頃でした。だから日曜学校には間に合いませんでした。

私は、朝の集会が終わってすぐに、食事をせずに小倉に向かって帰ろうとしました。
ところが驚いた事に武雄ジャンクションから長崎自動車道も災害のために通行止めでした。
そこから九州自動車道の筑紫野まで、また一般道を通らなければなりませんでした。
2時間15分かかるはずの旅はその2倍の4時間半かかりました。

旅の計画を妨げる災害は嫌です。しかし、人生の計画を妨げる災害はもっと嫌です。
何かの思いがけない出来事のゆえに私達の人生が遠回りになる時、次の三つの事をおぼえましょう。

もし、私達の遠回りの原因が神様の御心に対する不従順であるならば、なるべく早く主の道から離れた所に戻って、再び主の御心の道を歩みましょう。

人生の遠回りが神様の御心による事であるならば、神様のご計画に信頼しましょう。ヨブの人生が多くの災害のゆえに遠回りになった時、彼は言いました。
「神が私を殺しても、私は神を信頼しましょう。」
ヨブ記13:15


人生が遠回りになった時も、主は私達と共におられます。
「強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。」
ヨシュア記1:9


   
遠回り 

THE DETOURS OF LIFE 

Last Sunday I preached at the Lighthouse Baptist Church in Sasebo. In order to be on time for Sunday School at 10:00, I left at 7:30. If I take the Kyushu Expressway and the Nagasaki Expressway, I can drive there in about two hours and fifteen minutes.

However, there had been heavy rains that morning, so the Kyushu Expressway was closed from Chikushino. From there until part of the way to Saga I had to take the regular roads, so I arrived at the church at 10:30. I did not make it in time for Sunday School.

After the morning service, I left without eating lunch and headed for Kokura. To my surprise, from Takeo Junction, the Nagasaki Expressway was closed too, so from there to the Chikushino entrance on the Kyushu Expressway I had to take the regular roads. A trip that should have taken two hours and fifteen minutes took twice as long, four and one-half hours.

Weather-related disasters that interfere with travel plans are bad. However, events that interfere with the plans for our life are even worse. When, for some unforeseen event, our life has to take a detour, let us remember three things.

First of all, if the cause of the detour is our own disobedience to the will of God, let us go back to the place where we left the path of God and once again walk the path of the will of God.

Second, when the detours of life occur according to the will of God, let us trust in the plan of God. When the life of Job became a detour because of many calamities, he wrote, Though He slay me, yet will I trust Him.
(Job 13:15)

Third, even when our life takes a detour, the Lord is with us.
Be strong and of good courage; do not be afraid, nor be dismayed, for the LORD your God is with you wherever you go.
(Joshua 1:9)

skin presented by myhurt : BLOG | SKIN
  
copyright © 2005 小倉聖書バプテスト教会よりメッセージ all rights reserved. Powered by FC2ブログ