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区役所での3時間 

先週の月曜日に私と一緒にワイエット先生家族が国民健康保険に加入するために小倉南区役所に手続きに行きました。
まず、私たちは国民健康保険の窓口に行って、番号札をもらいました。その日に区役所に来た人達が多かったので、私達はずっと待ちました。ようやく私たちの番号札が呼ばれました。
そこで係員に「その手続きは別の窓口に行って登録しなければなりませんよ」と言われました。

私たちは登録の窓口に行って、また番号札を取り、ずっと待ち続けました。
ようやく私達の番号札が呼ばれた時、区役所の係員は「登録の手続きは、かなり時間がかかりますよ」と教えてくれました。
私たちは、その窓口で1時間25分も待たされました。

そこから私たちは、再び国民健康保険の窓口に戻って、また待ちました。
午後1時に区役所に来て、ようやく4時に終える事ができました。

永い、長い3時間でした。
区役所を出て帰りながら、私はワイエット先生に話しました。
「天国に入る事は、日本の国民健康保険に入る事より簡単です」

本当にそうです。 たった3つのステップです。
①神様に自分の罪を認める。
②イエス・キリストが十字架の上で自分の罪のために死んでくださったと信じる。
③祈りを通して神様に赦しを願う。


ルカの福音書18:13
「神さま。こんな罪人の私をあわれんでください」
と言う簡単な祈りをした人の事が書いてあります。
また14節には
「この人が、義と認められて家に帰りました」
と書いてあります。
簡単な事です。どうぞ決心してください。

   
区役所3時間 

THREE HOURS
 AT THE WARD OFFICE
 

On Monday of last week Mike Wyatt and I went to the South Kokura Ward Office to register his family in the Japan health insurance system. First, we went to the health insurance window and received a number. There were many people at the Ward Office that day, so we waited a long time. Finally, our number was called. However, we were told that first we had to go to a different window and register.

We went to the registration window, took a number, and waited for a long time. When our number was finally called, the Ward Office official told us that the registration process would take quite a long time. We waited at that window for one hour and 25 minutes.

Then we returned to the health insurance window and waited a long time. We went to the Ward Office at one o’clock and left there at four o’clock. It was a long, long three hours. As we were leaving the Ward Office, I said to Mike,
“It is easier to get into heaven than it is to get into the Japan health insurance system.”

It really is true. There are three steps.
First, admit your sins to God.
Second, believe that Jesus Christ died on the cross for your sins.
Third, pray and ask God to forgive your sins.


In Luke 18:13
there is a simple prayer that a man prayed.
God, be merciful to me a sinner.
In verse 14 it is written,
This man went down to his house justified.
It is simple. Give it a try.

十字架の下に 

私の友達がとても美しいベッドカバーを作ってくださいました。それを作成する前に彼女は私のベッドのサイズと私の好きな色を聞きました。そしてベッドのサイズにピッタリ合っている青いベッドカバーを作ってくださいました。そのベッドカバーのデザインの中央に十字架があります。
毎晩、私はこの十字架の下で休んでいます。

イエス・キリストを信じる全ての人々も十字架の下に休んでいます。コロサイ人への手紙1:21によると、私達はかつて神様から離れて、心に置いて神様の敵となっていました。
しかし、私たちを御自分と和解させるために哀れみ豊な神は
「みこころによって、満ち満ちた神の本質を御子のうちに宿らせ、 その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、ご自分と和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。」 コロサイ人への手紙 1:19-20
Ⅰヨハネの手紙1:7によると、十字架の血はキリストを信じる人々を全ての罪から清めてくださいます。
また、エペソ人への手紙1:7によると、キリストを信じる人々はキリストの血によって罪の赦しを受けています。

友達が作ってくださったベッドカバーの十字架の下に安らかに寝ている私と同じように、この素晴らしい心理を自覚しているクリスチャンの魂は安らかに休む事ができます。

イエスの十字架(聖歌110番)
イエスの十字架の もとはやすし
 さばくのなかなる わがいこいば
 はげしきひざしと そのねつより
 かくまいてまもる わがたてなり

   十字架ベッドカバー

BENEATH  THE  CROSS 

 

My friend made me a beautiful bed cover. Before making it, she asked me the size of my bed and my favorite color, and she made a blue bed cover that fits my bed exactly. There is a cross in the middle of the design of the bed cover. Every night I am sleeping beneath the cross.

 

Everyone who believes in Jesus Christ is also resting beneath the cross. According to Colossians 1:21, we were alienated from God and, in our mind, His enemies. However, in order to reconcile all things to Himself, God made peace through the blood of His cross. 

(Colossians 1:20)

 

According to First John 1:7, the blood of the cross cleanses people who believe in Christ from all of their sins. Also, according to Ephesians 1:7, we receive forgiveness of sin through the blood of the cross.

 

Just as I am resting peacefully beneath the cross on the bed cover that my friend made for me, the soul of the Christian who is aware of these truths can be at ease.

 

[Beneath the cross of Jesus
 I fain would take my stand,
 the shadow of a mighty rock
 within a weary land;
 a home within the wilderness,
 a rest upon the way,
 from the burning of the noontide heat,
 and the burden of the day.]

(First stanza of “Beneath the Cross of Jesus”)


10年後に届いた手紙 

2004年1月10日当時、バスガイドの仕事をしていた押野千恵さんは岩手県大槌町に住んでいる両親に手紙を書きました。
押野さんはその手紙を明治村博物館に預けて、10年後に配達するように依頼しました。

※愛知県明治村では、10年後の未来に手紙を出すことができるシステム。それは「はあとふるレター」です。

それから後に、押野さんは郷里に戻って岩手県大槌町役場の臨時職員となりました。
2011年3月11日に彼女は、東日本大震災で津波に流された役場で仕事をしていました。彼女は、いまだに行方不明です。

3年後、2014年1月12日に彼女が10年前に書いた手紙は、両親の家に届きました。その手紙の内容は仕事や結婚の事でした。
そして、10年後の手紙の一部にはこう書いてありました。
「お父さん、お母さん、私がこうしていられるのは全てあなた方のおかげです。これから私はあなた方のお世話をします」


押野さんの手紙の事を読んだ時、私は自分の経験を思い出しました。2001年の9月に私は北海道の教会の特別伝道集会の奉仕に行っていました。そこにいる間、妻から緊急の電話がありました。
「今日、あなたのお母さんが突然、天に召されました。」
母が天国に行く前に感謝を伝える事が出来なかった私は泣きました。

聖書に書いてある通りに明日、何が起こるか分かりません。
今日、あなたもあなたの両親もまだ生きている間に何かの方法で両親に感謝を伝えましょう。

「あなたを生んだ父の言うことを聞け。あなたの年老いた母をさげすんではならない。」
箴言23:22

「あなたの父と母を喜ばせ、
   あなたを産んだ母を楽しませよ。」
箴言23:25


    10年後の手紙

THE LETTER THAT ARRIVED
   10 YEARS LATER     


On January 10, 2004, Chie Oshino, who was working as a bus guide in Aichi Prefecture, wrote a letter to her parents living in Otsuchi town in Iwate Prefecture. She left the letter in care of the Meiji-Mura Museum and asked that it be delivered 10 years later.

Later she moved back to Otsuchi and worked at the town office. She was working there on March 11, 2011 when the building was swept away by a tidal wave. She is still missing to this day.

Three years later, on January 12, 2014 the letter that she wrote 10 years earlier arrived at the home of her parents. The content of the letter was her work and marriage. These words were in the letter: “I owe a lot to you, dad and mom, so I will take care of the two of you from now on.” How precious that letter must be to Mr. and Mrs. Oshino who lost their daughter.

When I read the story of the letter of Miss Oshino, I remembered my own experience. In September of 2001 I went to preach at a church in Hokkaido. While I was there, my wife called and said, “Today your mother suddenly went home to be with the Lord.” I wept because I did not have the opportunity to thank my mother before she went to heaven.

Just as it is written in the Bible, we do not know what will happen tomorrow, so today while we and our parents are still alive, let’s thank them in some way.

Hearken unto thy father that begat thee, and despise not thy mother when she is old.
(Proverbs 23:22)

Thy father and thy mother shall be glad, and she that bare thee shall rejoice.
(Proverbs 23: 25)

重いごみ袋 

月曜日の朝、ゴミを出しに行きました。
私の前に一人のご婦人もゴミ収集場所に向かっていました。 私よりも年上らしき彼女は三つのゴミ袋を持っていました。
途中で彼女は疲れて、一つの袋を下ろしました。 二だけを出してから、もう一つを取りに戻るようでした。私は彼女が下ろした袋を拾って収集場所まで持って行ってあげました。
彼女は微笑んで「ありがとうございました」と何度も言って帰って行きました。
家に帰りながら、聖書の御言葉、二箇所を思い浮かべました。

一つは、ガラテヤ人への手紙6:2でした。
「互いの重荷を負い合い、そのようにしてキリストの律法を全うしなさい。」
キリストを信じる信仰によって兄弟と姉妹になったクリスチャンは互いに重荷を負い合うべきです。
「教会」という言葉の定義は色々ありますが、一つは「クリスチャン達がお互いに重荷を負い合う場所です」大きな重荷を負っている教会の兄弟や姉妹を見たら、祈りと具体的な助けを通して、その重荷を一緒に負いましょう。

もう一つの箇所は詩篇55:22でした。
「あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる。」
クリスチャンの重荷はどのようなものであっても、主はその重荷に感心を持っておられます。
重荷がある限り日々の祈りを通してその重荷を主にゆだねましょう。

「ほむべきかな。日々、私たちのために重荷をになわれる神。」詩篇 68:19

もし、あなたが現在、人生の悲しい出来事や人間関係の問題のために三つの重いゴミ袋のような重荷を負っているなら、キリストの言葉を思い出してください。

「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」マタイの福音書11:28

    重いゴミ袋

HEAVY TRASH BAGS 

On Monday morning, I went to take out the trash. A woman in front of me was walking toward the trash collection site. The lady, who was older than I, was carrying three trash bags. On the way, she became tired and put down one of the bags. She intended to take two of the bags to the collection site and then come back for the other one. I picked up her bag and carried it to the collection site. She smiled and said,
“Thank you,” many times.

As I walked back to my house, my mind was dwelling on two Bible passages. One of them was Galatians 6:2. Bear ye one another’s burdens, and so fulfill the law of Christ.
Christians who have become brothers and sisters through faith in Christ should bear each other’s burdens. There are many definitions of the word “church.” One of them is “a place where Christians bear each other’s burdens.” When we see a brother or sister carrying a heavy burden, through prayer and specific assistance, let’s bear the burden with them.

The other passage was Psalm 55:22.
Cast thy burden upon the Lord, and he shall sustain thee.
Whether the burden of a Christian is a small burden or a large burden, the Lord is concerned about that burden. As long as that burden exists, through daily prayer let’s cast that burden upon the Lord.

If, because of some sad experience of life or a problem in human relationships, you are now carrying a burden like three heavy trash bags, remember the words of Christ.
Come unto me, all ye that labour and are heavy laden, and I will give you rest. (Matthew 11:28)

なに~! 赤がON? 青がOFF? 

韓国で行われたBBFIの全国大会に参加した時、私は通訳を一回頼まれました。
機械の前に座った時、赤いボタンと青いボタンを見て、赤いボタンはOFFで、青いボタンがONだと思い込んだ私は、通訳する時、青いボタンを押して通訳をしました。 讃美の間に、赤いボタン押して、隣に座っている人と話しに夢中になっていました。
しかし、赤いボタンはONで、青いボタンはOFFだったので、数十人の日本人には私の通訳を聞く事が出来なかったのです。その間、隣に座っている人との会話が筒抜けでした。
後でみんなに笑らわれました。そして答えました。
「誰でも、赤がOFFで、緑がONだと思うよ。まさか逆だとは想像もしなかったよ!」

聖書を読む時、私の気持ちは、赤がONで、緑がOFFであると理解した時の気持ちと同じようになります。
聖書の御言葉を読んでいて「何? 違うでしょう。逆でしょう!」と思う時があります。

例えば、マタイの福音書16:25でキリストは言われました。
「いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。」
普通、私達は命を救うために一生懸命になりますが、キリストは命を見出す方法、それを神様のために失なう事だと言われました。

Ⅱコリント人への手紙12:10にもう一つの例があります。
「私が弱いときにこそ、私は強いからです。」
この御言葉を読む度に、私は「何? 弱い時にこそ強い? 違うでしょう!」と言いたくなるのは私だけでしょうか? 
やはり私達は自分が弱いと分かっている時、自分の力ではなく、神様の力に頼るから強いです。

他にもあります。
神様に自分を高くして戴きたい人は自分を低くしなければなりません。
(ヤコブの手紙4:10)

受けたいと思う人は与えなければなりません。
(ルカの福音書6:38)

罪から解放されたい人は神様の奴隷にならなければなりません。
(ローマ6:18)

多くの実を結びたい人は死ななければなりません。
(ヨハネ12:24)

キリストの素晴らしさを知りたい人は自分にとって益であるものを損だと思って捨てなければなりません。

(ピリピ3:7-8)

    通訳機器

WHAT? RED IS ON? GREEN IS OFF? 

When I attended the BBFI Global Meeting that was held in Seoul, one night I was asked to translate. When I sat before the machine, I saw a red button and a green button, so I thought, “The red button is OFF, and the green button is ON.” When it came time for me to translate, I pushed the green button. During the singing, I pushed the red button and talked with the person sitting beside me.

However, what I didn’t know was that the red button was ON and the green button was OFF. Over 40 Japanese couldn’t hear my translation, but all of them heard my conversation with the person next to me. Later they all laughed at me, but I replied, “Anyone would think that the red button was OFF and the green button was ON. I never imagined that it was the reverse.”

When I read the Bible, sometimes my feeling is the same feeling at the time when I realized that the red button was ON and the green button was OFF. I read the words in the Bible and think, “What? That’s not right. It’s the reverse.” For example, In Matthew 16:25 Christ said, For whoever desires to save his life will lose it, but whoever loses his life for my sake will find it. Usually we strive to save our life, but Christ said that the person who will find his life is the person who loses it for the sake of God.

There’s another example in Second Corinthians 12:10.
For when I am weak, then I am strong.
Every time I read this passage, I want to say, “What? You’re strong when you’re weak? That’s not right.” However, when we realize that we are weak, we depend not on our own power but on God’s power, so we are strong.

There are more.
The Christian who wants God to lift him up must make himself low. (James 4:10)

The person who wants to receive must give.
(Luke 6:38)

The person who wants to be free must become God’s servant. The person who wants to bear much fruit must die.
(John 12:14)

The person who wants to know the wonderfulness of Christ must consider what is gain to him loss and throw it away.
(Philippians 3:7-8)

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