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燃えなくなった石炭 

毎週、教会に行く皆さんに質問します。
「なぜ教会に行くのでしょうか?」
多くのクリスチャンは「教会に行くことは、クリスチャンの義務だから」と答えるかもしれません。
たしかに、クリスチャンは、教会に行くべきです。
しかし、教会に行くもっと素晴らしい理由があります。

まず、私たちは、キリストを愛しているので教会に行きます。
エペソ人への手紙5:25「キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられた」と書いてあります。
だから本当にキリストを愛してクリスチャンは、キリストが愛している教会に行きます。

教会に行く、もう一つの理由は、他のクリスチャンに励まされるためです。
「いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。」へブル人への手紙10:25

ある牧師は、教会に来なくなった教会員を訪問しました。
家に入ると教会員は、暖炉の前で座っていました。
牧師も暖炉の前に座りました。
教会員は、牧師の説教を待っていましたが、牧師は、何も語りませんでした。

しばらく経って牧師は、火バサミで一個の燃えている石炭を火の中から取り出して、暖炉のそばに置きました。
そして4〜5分経つと、燃えていた石炭は、燃えなくなり消えてしまいました。

未だに、何も語らない牧師は、帰る前に燃えなくなった石炭を火に戻しました。
すると再び燃え出し、一緒になった石炭は、勢いよく燃えるようになりました。

牧師がドアを出る時、その教会員は、走り寄って言いました。
「先生、熱い説教を感謝します。私は、日曜日に必ず教会に行きます。」

  
石炭 

THE COAL THAT STOPPED BURNING
  

I would like to ask a question to those of you who come to church every week.
Why do you come to church? Many Christians may answer, “Because going to church is the duty of the Christian.” Certainly, Christians should go to church, but there are more wonderful reasons for going to church.

First of all, we go to church because we love Christ. According to Ephesians 5:25, Christ loved the church and gave Himself for it.
The Christian who truly loves Christ will go to the church that Christ loves.

Another reason for going to church is to be encouraged by other Christians.
Not forsaking the assembling of ourselves together, but exhorting one another, and so much the more as you see the Day approaching. (Hebrews 10:25)

A pastor visited a church member who had stopped coming to church. When the pastor entered the home, the church member was sitting in front of a fireplace. The pastor sat down in front of the fireplace. The church member was waiting for a sermon, but for a while the pastor said nothing.

After waiting a while, the pastor took the fire tongs and removed one coal from the fire and placed in beside the fireplace. In 4-5 minutes, the coal stopped burning.

Before he left, still having said nothing, the pastor returned the coal to the fireplace. Being placed among the burning coals again, the coal soon began to burn.

As the pastor left the house, the church member said,
“Pastor, thank you for the fiery sermon. I will go to church on Sunday.”

自由の女神像 

数十年前に私は、初めてニューヨークに行きました。
観光するためでは、ありません。
アメリカ人や日本人が出席する結婚式で通訳するためでした。
結婚式が終わって私たちは、有名なウォール街にあるレストランに行って披露宴に出席しました。
私は、そのレストランの窓から自由の女神像を見ることができました。

自由の女神像は、フランスが1886年にアメリカに贈った自由のシンボルです。
その像の彫刻家は、フレデリック・オーギュスト・バルトルディというフランス人です。
像を見る全ての人は、その美しさに驚嘆します。
ほとんどの人は、この事を知りませんが、像の頭頂部は、誰にも見られない部分ですが、素晴らしく彫刻されています。
もし飛行機やヘリコプターに乗れば、上からその芸術的な素晴らしい部分を見ることができますが、当時バルトルディさんは、誰もその部分を見る事はないと知りながら、他の部位と同じように美しく表現しました。

この話を聞いた時、私は、小倉教会で奉仕をしている皆さんの事を思い浮かべて考えました。
皆さんの奉仕を見る人がいなくても、皆さんは毎週、忠実に奉仕をしてくださいます。

自分を褒めてくれる人がいなくても、また、自分に感謝してくれる人がいなくても、奉仕を忠実にする皆さんに覚えてもらいたいことがあります。
上からあなたの奉仕を見ておられるお方がいます。神様です。
主は、私たちの奉仕を見ておられます。

人に見られる奉仕であっても、人に見られない奉仕であっても、コロサイ人への手紙の3:23-24に書いてある通りに、
「何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心からしなさい。あなたがたは、主から報いとして、御国を相続させていただくことを知っています。あなたがたは主キリストに仕えているのです。」

  
THE STATUE OF LIBERTY 

THE STATUE OF LIBERTY 

Several years ago, I went to New York City for the first time. I did not go to sightsee. I went to translate at a wedding where both Americans and Japanese would attend. After the wedding, we went to a restaurant on the famous Wall Street and held the reception. I could see the Statue of Liberty from the window of the restaurant.

France gave the Statue of Liberty, a symbol of freedom, to America in 1886. The man who sculptured it was a Frenchman named Frederic Auguste Bartholdi. Everyone who sees the statue marvels at its beauty. Most people do not know this, but the topmost part of the statue, the part that cannot be seen by people, is also sculptured beautifully. Now, people who ride in an airplane or helicopter can see that beautiful part, but in those days, knowing that no one would be able to see that part, Bartholdi sculptured it as beautifully as the part that can be seen.

When I heard this story, it made me think about the people who are doing service at the Kokura church. Even if there is no one to see your service, every week you do the service faithfully.

There is something I want everyone who is doing service faithfully, even if there is no one to commend you or thank you, to remember. There is Someone looking at your service from above. It’s God. The Lord is looking at our service, so whether our service is a service that can be seen by others or a service that cannot be seen by others, just as it is written in
Colossians 3:23-24, Whatever you do, do it heartily, as to the Lord and not to men, knowing that from the Lord you will receive the reward of the inheritance; for you serve the Lord Christ.

崖崩れ 

今度の大雨で九州の各地で崖崩れが起こっています。
川の氾濫や崖崩れの写真を新聞で見て、過去に四国で起きた崖崩れを思い出しました。
私は、教会の兄弟と一緒に夏キャンプの場所を探すために四国に行きました。
私達は、山奥まで見に行って、そして山を下りました。

途中で自動販売機があり、兄弟は「飲み物を買いましょう」と言ったので私は、車を止めました。どの飲み物にしようかと選んでいた時『ドーン!』という地鳴りのようなすごい音が聞こえました。兄弟は「今の音は、何でしょうか?」と言いました。

車に戻って、山を下って行きました。2〜3分位経過して、私達は、驚きました。
道路の真ん中に土砂と大きな岩の崖崩れがあり道を塞いでいました。
私と兄弟は、顔を見合わせました。
もし私達が、飲み物を買っていなかったら、崖崩れが起こった時、私達は、ちょうどその場所を通っていたかもしれません。
私達は、神様に感謝しました。

神様は、よく思いがけない方法で私達を守ってくださいます。
例えば、私達は、青信号に間に合わなかったらイライラします。
しかし、その赤信号は、私達を事故から守ってくださる神様の方法であるかもしれません。

日々、私達が気付かない方法で神様は守ってくださいます。
天国に行く時どのようにして神様は、私達を災いから守ってくださったかを知る時、きっと驚くでしょう。

「主の使いは主を恐れる者の周りに陣を張り、彼らを助け出される。」詩篇34:7

  
Landslide 

LANDSLIDE 

Because of the heavy rain, many landslides have occurred in Kyushu. When I saw a picture of a landslide in the newspaper, I remembered a landslide that happened in Shikoku. A Christian brother and I went to Shikoku to look for a place for Summer Camp. After going way up into the mountain, we started down.

On the way down, there was a vending machine, so the brother said, “Let’s get something to drink.” When we were trying to decide what to drink, we heard a terrific sound. The brother said, “I wonder what that was?”

We returned to the car and headed down the mountain. After 2-3 minutes, we were amazed. There was dirt and a large rock in the middle of the road. The brother and I looked at each other. If we had not bought those drinks, we might have been right at that spot when the landslide happened. We gave thanks to the Lord.

God often protects us through unexpected methods. For example, we are irritated because we did not make the green light in time, but that red light may have been the method of God to protect us from an accident.

Every day God protects us in ways that we do not even notice. When we go to heaven and see the many ways God protected us from harm, we will be amazed for certain.

The angel of the Lord encamps around those that fear Him and delivers them. (Psam 34:7)


あなたの体温は何度ですか? 

先週、病院に行ったとき入口で待っていた看護師は、私の体温を調べました。
34.6℃でした。
日曜日にそのことを数人の教会員に伝えると彼らはビックリしました。
「先生、それは低いですよ。平熱は、36.5℃〜37.5℃位ですよ」

これを聞いて、とても心配しました。家に帰って、低い体温のことをインターネットで調べました。
その情報によると低い体温は、よくない健康の症状です。
また、体温が35℃以下になると、それは、疲れ・憂鬱・不安・パニック障害の原因になる可能性があります。幸いなことに現在そのような症状は、私にはないので安心しました。

今、新型コロナウイルスのために皆さんは、よく体温を計ると思いますが、しかし霊的な温度を調べることがありますか。
例えば、今あなたの奉仕の温度は、何度ですか。
テトスへの手紙2:14「キリストが私たちのためにご自身をささげられたのは、私たちをすべての不法から贖い出し、良いわざに熱心なご自分の民を、ご自分のためにきよめるためでした。」と書いてあります。

また、今あなたの伝道の温度は、何度ですか。
マタイの福音書9:36によると、キリストが群衆を見たとき、彼は、彼らを可愛そうに思われました。
英語の聖書に「キリストは哀れみに動かされた」と書いてあります。
あなたの心にも、この地方の方々の救いのために哀れみで燃えていますか。

もう一つ、今あなたの祈りの温度は、何度ですか。
決まり文句の祈りですか。
あるいは、ハンナのように祈るときあなたは、主の前にあなたの心を注ぎ出していますか。(Ⅰサムエル記1:15)

今度、体温を調べるとき、霊的な温度も調べましょう。
あまり低い温度であれば、それは、私たちの霊的な状態は、よくない症状です。
「勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。」
ローマ人への手紙12:11


  
TEMPERATURE 

WHAT IS YOUR TEMPERATURE? 

When I went to the hospital the other day, a nurse waiting at the entrance checked my temperature. It was 34.6 (94.2). On Sunday, when I told several of the church people about this, they were surprised. They said, “Pastor, that is low. The normal temperature is between 36.5 and 37.5.” (97.7-99.5)

When I heard that, I became worried. After I returned home, I checked the subject of low temperature on the Internet. According to the articles I read, a low temperature is a sign of poor health. If the temperature drops below 35 (95), it can cause fatigue, depression, anxiety, and panic attacks. Thankfully, I do not have any of those symptoms right now, so I was relieved.

Because of the Corona virus, you probably check your temperature often. However, do you ever check your spiritual temperature? For example, what is your good works temperature right now? In Titus 2:14 it is written, Christ gave Himself for us, that He might redeem us from every lawless deed and purify for Himself His own special people, zealous for good works.

Also, what is your evangelism temperature?
According to Matthew 9:36, when Christ saw the multitudes, He was moved with compassion. Is your heart too burning with compassion for the salvation of the souls in this area?

One more, what is your prayer temperature? Is your prayer just a cliché prayer, or do you pour your heart out before the Lord like Hannah did? (First Samuel 1:15)

From time to time, when we check our temperature, let’s check our spiritual temperature too. If it is very low, it is a sign that our spiritual condition is not good.

Not lagging in diligence, fervent in spirit, serving the Lord. (Romans 12:11)

どんなことでも? マジで〜? 

もし、私がすべてのクリスチャンに暗記すべき個所のリストを作ったら、ピリピ人への手紙4:13が、そのリストに入ります。
「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。」
本当にどんなことでもできるのでしょうか。
私は、アメリカの大リーグのワールドシリーズの第7戦の9回の裏に満塁サヨナラホームランを打ちたい。
私に、それができると思いますか。
もちろん78歳には無理です。

では「どんなことでも」とは、どんな意味でしょうか。
私たちがやりたいことではなく、私のやるべきことです。
すなわち、神様の御心であることです。

もし、皆さんは、17歳の頃の私を知っていたら、おそらく私は、宣教師になることは不可能だと思ったでしょう。
私は、気の小さい、内気な少年でした。
しかし、私が宣教師になる事は、神様の御心でした。
主が与えてくださった御力によって宣教師になることができました。

全てのクリスチャンを2つのグループに分けることができます。
「できる」クリスチャンと「できない」クリスチャンです。
何かの奉仕をするように、あるいは、何かの決心をするように主に導かれる時「できない」と答えないで「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。」と答えましょう。

私たちを強くしてくださる「方」は、誰ですか。
英語の聖書を見れば分かります。こう書いてあります。
「私は、私を強くしてくださるキリストによって、どんなことでもできるのです。」キリストが私たちを強くしてくださいます。
私たちは、主の御心を行うことができます。
どんなことでも? はい。 そうです。

  
なんでもできる 

ALL THINGS?  REALLY? 
If I made a list of passages that all Christians should memorize, Philippians 4:13 would be on that list.
I can do all things through Christ who strengthens me.
All things? Really? 
 I want to hit a walk-off bases-loaded home run in the bottom of the ninth inning of the seventh game of the Major League World Series. Do you think I can do it? Of course, it’s not possible for a 78-year-old man like me.

Well, what is the meaning of “all things?” It is not the things we want to do but the things we ought to do. In other words, the things that are the will of God.

If you could have known me when I was 17 years old, you probably would have thought that it would be impossible for me to become a missionary. I was a timid, shy teenager. However, my becoming a missionary was the will of God, so through the strength that God gave me, I was able to become a missionary.

All Christians can be divided into two groups – the “I can” Christians and the “I can’t” Christians. When we are led by the Lord to do some sort of service or make some sort of decision, instead of replying, “I can’t,” let us reply, I can do all things through Christ who strengthens me.

Because Christ will strengthen us, we can do the will of God. All things? Yes, all things.

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