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なぜ車の窓を下げているの 

今年、私はやっとETCを車に付けました。とても便利な機械です。高速の料金所を通る時、車を止めずににゲートを通ることが出来るので、払うために並んで待つ忍耐のない私にとって、ETCは楽しいおもちゃのようなものです。
ETCを車に取り付けてから、すぐ九州高速道路で使うことができたけど、北九州都市高速道路はETCを受け入れる準備がまだ出来ていなかったのでその道を使った場合、いつもと同じように、高速道路に入る時、車を停めて、窓を下げて、通行券を取らなければなりませんでした。また、降りる時、車を停め、窓を下げ、料金を払わなければなりませんでした。私は北九州都市高速道路の料金所に近づく時、窓を下げる習慣がついてしまいました。ETC

今月の1日から北九州都市高速道路もETCを受け入れるようになったけど、私はETCのゲートに近づく時、窓を下げる必要がないのに、いつもと同じように窓を下げる習慣を守っています。もう3週間経っているけど、私はまだ窓を下げる習慣をやめることが出来ません。ETCのゲートを通りながら、私は自分に聞きます。「なぜ車の窓を下げているの?」やはり日々の生活の中で習慣になってきた行動を止めることは難しいことです。 


箴言27-22に「愚か者を臼に入れ、きねでこれを麦といっしょについても、その愚かさは彼から離れない」と書いてあります。
信仰生活の中にある悪い習慣をやめることも非常に難しいことです。エレミヤ13-23に主は「クシュ人がその皮膚を、ひょうがその斑点を、変えることができようか。もしできたら、悪に慣れたあなたがたでも、善を行うことができるだろう」とおっしゃいました。クリスチャンになっても悪に慣れる可能性があります。聖書は私たちが慣れる悪を「まつわりつく罪」と呼んで、それを捨てるように進めています。(ヘブル12-1)

 

確かにひょうは、斑点を変えることができませんけが、ひょうにはない神様の力と助けがクリスチャンにあるから、私たちは主に喜ばれない習慣に対する勝利を得ることができるはずです。

サーカスの手品師になれない私 

この数年間は行っていませんが、子供の時も、大人になってからも、私はサーカスを見に行くことが好きでした。私にとって、ピエロたちは特に楽しかったけど、家に帰ってから私はサーカスで見た者達の中の一人を真似してみました。それは手品をした人です。四つか五つのボールを手にとって見たとおりにやってみましたが、必ずボールを落としていました。
最近、私はまた手品にチャレンジしました。実は、そのつもりではなかったけど、朝の新聞を取ってから、私は牛乳が来ていることを思い出して、新聞と四本の牛乳のビンを一緒に持って行きました。玄関に入ってから、私は杖と新聞と牛乳のビンを左の手と腕でつかまえて、右の手でドアのカギを掛けようとしました。やはり、杖も新聞も牛乳のビンも持つことは無理でした。一本のビンは落ちてバラバラに割れてしまいました。掃除は大変でした。 もちろん、私はまず新聞をソファまで持っていってから、杖をいつもの場所に置くべきでした。そして、四本の牛乳のビンを冷蔵庫の中に入れて、玄関のカギを掛けたら、玄関は牛乳とこなごなになっているガラスでめちゃめちゃにならなかったでしょう。 枯葉

 

私たちの人生がめちゃめちゃになる時も、原因は同じです。すなわち、私たちは同時にいくつかの問題をやりくりしているからです。それが出来なかった時、ちょうど私の玄関が牛乳とガラスでいっぱいになったように、私たちの心は不安とストレスでいっぱいになってしまいます。 

 

心がそのようなめちゃめちゃになっている状態にならないように、全ての問題の重要性を決めて、その順番で片づけていくことが必要です。時に、信仰生活をしている私たちにとって、神様の御心をわきまえて、それに従う一事に励むことが大切です。

 

「私はただこの一事に励んでいます。 すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです」 ピリピ3-13~14

したくなかった旅 

marriage 私はどうしても牧師のA先生の結婚式に行くと決心したけど、旅の途中の足の痛みを想像すると、富山県までの旅をあまりしたくありませんでした。福岡から小松までは良いけど、小松から小杉まで電車で行くから、かなり歩かなければならないだろうと予想したからです。

飛行機に乗ってから、離陸を待っている間私は新聞を読んでいました。突然誰かが私の肩に触って「ボード先生」と言いました。見ると、A先生が牧師であった時、よく「北九州聖書バプテスト教会」に出席したSさんでした。小松に着いてから、Sさんは私に聞きました。「先生、小杉までどうしますか。小杉に住んでいる私の友達が迎えに来てくれるから、一緒に乗りませんか」Sさんの友達は私を「歌の森バプテスト教会」の玄関まで送って下さったから、その晩A先生と食事をする時間もありました!


次の日、結婚式が終わってから、私は電車で小松に帰らなければなりませんから、やはり少し嫌な気持ちでした。しかし、「高槻聖書バプテスト教会」から来られた皆さんは私を小松空港まで送って下さったから、一時間ぐらい車の中で高槻聖書バプテスト教会の宣教師ご家族と楽しく交わることができました!
家に戻ってから、私は神様に言いました。

 

「主は私の道を守って下さっただけでなく、A先生と高槻聖書バプテスト教会の宣教師ご家族との交わりも備えて下さいました。感謝します」

 
信仰生活の歩みを知っている私たちには、歩みたくない道を歩まなければならない時があります。その道の苦しみを予想するゆえに、私たちの気持ちが嫌な気持ちになります。その時、私たちの前に行かれて祝福を備えて下さる主の約束を思い出しましょう。

 

「恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからです」ヨシュア記1:9

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