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6 番 と 9 番 

小倉駅の近くの銀行に行った時、私は車を駅の前の駐車場の6番の所に入れました。銀行の用事が終わってから、私は駐車所に戻って、精算機の〔6〕と〔精算〕のボタンを押しました。「料金は100円です」というお知らせがあったので、私は100円を入れて、6番の所に行きました。刺繍
お金を払ったのに、車をふさいでいる鉄の棒がまだあがっているままでしたから、車を出すことが出来ませんでした。私はちょっと怒った声で「これは一体何のことですか。お金をちゃんと払ったよ」とつぶやきました。その棒が下がらない原因を考えながら、私は番号を確かめました。そしたら、原因が分かりました。車を止めた時、私は番号を逆さまに見ていました。6番ではなかった。9番でした。

私はもう一度精算機に戻って、〔9〕と〔精算〕のボタンを押して、100円を払ってから帰りましたが、本当はそこに残って、6番の車の持ち主の顔を見たかった。〔6〕と〔精算〕のボタンを押して、「料金は0円です」と言われた時、彼はびっくりするでしょう。

もちろん私は彼の駐車の代金を払うつもりではありませんでした。6番と9番を間違ったからそうなりました。しかし、聖書によると、イエス様がわざと私たちの罪の代価を払って下さいました。イエスの十字架による死は単なる事件や偶然ではなく、全世界の人々をその罪から救う神様の計画による出来事でした。

イエスがお生まれになった夜、羊飼い達の前に現れた御使いは彼らにこう言いました。「今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。今日、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです」ルカ2-10~11

イエスは十字架の上で「殺された」と言えるかもしれませんが、本当はイエスが自ら喜んで私たちの罪の代価を払って下さいました。ヨハネ10-18にイエスは言われました。「だれも、わたしたちからいのちを取った者はいません。わたしたちが自分からいのを捨てるのです」

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