掃除の前の掃除
このシーンをTVで見る度に私は笑います。朝、起きた主人はビックリします。なぜなら彼の奥さんは、もう既に起きて必死になって各部屋を片付けて掃除をしているからです。彼は聞きます。「どうしたの?なぜ、こんなに朝早くから一生懸命に掃除をしているの?」彼女は応えました。「だって、今日お手伝いさんが来るからよ!」この返事に納得出来ない主人は聞きます。「でも、お手伝いさんに来てもらうのは掃除をしてもらうためじゃないの?」「そうです。しかし、お手伝いさんに私は家事が上手くないと思われたくない!」
今まで主人の立場からこのシーンを観て笑ったけど、今は奥さんの立場から観れる様になった私は笑いません。今一人で住んでいる私は、どうしても家事をする時間がないので、月に2回お手伝いさんに来てもらいます。やはり、彼女達が午前9:45に来る日に私は午前9:15から必死に家を片付けます。実は2~3回「家事が上手い」と彼女達に褒められた事があるので、もし彼女達が突然30分早目に来たら二度と私の家事を褒めてくれないに違いありません。
掃除の前の掃除をする私の態度はキリストの再臨を待ち望んでいるクリスチャンのとるべき態度を現しています。
キリストは、はっきりと「私は、また来る」と約束されました。ヨハネ14-2
聖書は、この出来事をクリスチャンの「祝福された望み」とよんでいます。テトス2-3
「愛する者たち。私たちは、今すでに神の子どもです。後の状態はまだ明らかにされていません。しかし、キリストが現われたなら、私たちはキリストに似た者となることがわかっています。なぜならそのとき、私たちはキリストのありのままの姿を見るからです。 キリストに対するこの望みをいだく者はみな、キリストが清くあられるように、自分を清くします。」Ⅰヨハネ 3:2~3
掃除をするお手伝いさんが来る前に家の掃除をする私と同じ様にキリストが来られる前に心の掃除をしましょう。
やはり「キリストは、今日来られるかもしれない」と承知しているクリスチャンは自分を清めるはずです。
1億円を失った
毎年3月にアメリカで大学のバスケットボール・64チームが参加するトーナメントが行われます。(3月と8月に甲子園で行われる高等学校の野球のトーナメントに似ているイベントです)このトーナメントは全てのスポーツ・ファンの興味を促すイベントで“March Madness”(3月の熱狂)と呼ばれています。
このトーナメントと共にYahoo!はコンテストを行います。全部で63試合が行われます。Yahoo!は、その全ての試合の勝チームを当てる事が出来た人に$1,000,000(1億円)が提供されます。毎年、私は1億円をもらう事を期待して、このコンテストに参加します。(お金がかからないのでギャンブルではありません)
残念ながら、トーナメントの最初の日に私が選んだチームは負けたので、今年も私は1億円を失いました。私は63試合中、44試合の勝チームしか正確に当てる事が出来ませんでした。実は、何百万人かの人々がこのコンテストに参加しましたが、63試合の勝チームを完全に当てる事が出来た人は一人もいませんでした。今年のコンテスト中、最も多く当てた1位の人でも57の勝チームでした。だから今年も誰も$1,000,000を手に入れる事は出来ませんでした。
全ての試合の勝チームを完全に当てる事が出来る人は一人もいなかったと同じように、聖書によると完全な生活をする事が出来る人は一人もいません。
「すべての人は罪を犯した」ローマ3-23
「全人類が罪を犯した」ローマ5-12
今まで、全く罪のない生活をする事が出来た方は一人だけです。その方は神様がつかわして下さった救い主であるイエス・キリストです。「キリストが現われたのは罪を取り除くためであった。キリストには何の罪もありません 」( 1ヨハネ 3-5)
キリストの裁判を行ったピラト総督は、この証言をしました。
「この人には何の罪も見つからない。」と言った。(ルカ 23:4)
だから、私達は「罪のないイエス・キリストだけに全人類の救い主になる資格がある」とわかります。
生きる力を与える希望
先日の新聞に私をすごく悲しませる記事がありました。その記事によると去年も3万人以上の日本人が自殺をしました。この悲しい記録は11年間も続いています。自殺の原因はいろいろありますが、多くの人達は、希望を失ったので、自殺をしたに違いありません。辞書によると希望とは「自分の望んでいる事が実現する気持ち」です。この気持ちを失う人は最も哀れな人です。
だからこそ今日、私達が祝う「復活の日」に意義があります。聖書に「もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。」Ⅰコリント 15-19~20
キリストのよみがえりは私達に復活の大きな希望を与えて下さいます。まず「永遠の命」と言う希望を与えるのです。
ヨハネ11:25に主イエスは「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」と言われました。
第2に、もうすでに召された家族と友人に再び逢う希望を与えるのです。Ⅰテサロニケ4-13~18によると主イエスは復活されたので、私達が愛する家族と友人に再会する希望を抱く事ができます。
希望こそが私達に生きる力を与えます。だから、聖書は主イエスの復活が与える希望を「生ける」希望と読んでいます。Ⅰペテロ1-3
わたしの愛する賛美歌の通りです。「♪主は、今生きておられる、我がうちにおられる。すべては主の御手にあり、明日も生きよう、主がおられる♪」
止める事が出来ません
運転免許証の更新に行った時、反射神経を調べる適性検査を受けなければなりませんでした。最初の3つの検査は簡単でした。4番目の検査はちょっと難しかったが、私の点数は良かった。しかし、最後の検査は問題でし た。
ゲームセンターにあるゲーム機の様な座席に座って、車のハンドルの様な物を握りました。そのモニターに私の車を現す一本の白い棒がありました。私は自分の棒を動かして、モニターに出てくる2本の赤い棒の間に止めなければなりませんでした。
「ゆっくりやれば、簡単だ!」と思って、モニターのあちこちに現れる赤い棒は、すぐ消えて他の場所に変わってしまうので、反射的に急いでやらなければなりませんでした。しかし、自分の白い棒を2本の赤い棒の間に止めようすると、行き過ぎました。すると赤い棒は、失敗を現す黄色い棒に変わりました。赤い棒が消える前に私は自分の白い棒を赤い棒の所まで早く動かす事が出来ましたが、毎回、行き過ぎたので、その検査の結果は一番低い点数でした。
この最後の検査を受けながら、私は考えました。「この検査は、罪に似ている」多くの人々が罪を犯す時、彼らは「大丈夫です。この罪を止めたくなったら、いつでも止める事が出来る」と思うが、実際に止めようとしたら、もう既に、その罪の道を行き過ぎているから、止める事が出来ないとわかります。
箴言4-16は、こんな人々の事を「彼らは悪を行なわなければ、眠ることができず、人をつまずかせなければ、眠りが得られない 」と言う言葉で説明されています。
また、Ⅱペテロ2-14に「彼らは、罪に関しては飽くことを知らない」と書いてあります。英語の聖書には「彼らは、罪を止める事が出来ない」と書いてあります。
罪の道を行き過ぎて、止める事が出来なくなる前に、罪の道を歩き出す最初の第一歩がないように注意しましょう。
2009春の特別伝道集会
- | HOME |
skin presented by myhurt : BLOG | SKIN
copyright © 2005 小倉聖書バプテスト教会よりメッセージ all rights reserved. Powered by FC2ブログ