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キリストが三月目によみがえられた? 

よみがえり  以前、「復活の日特別集会」を計画した時の出来事です。私は、一人の兄弟にチラシの原稿を書いてもらって、その原稿を印刷会社に持って行って、3,000枚を依頼しました。出来上がったチラシを教会に持って来た時、一人の兄弟はそれを読み始めましたが、読んでいる途中で彼は、「先生、大変です!このチラシには、キリストは三日目にではなく、三月目によみがえられたと書いています!」と言いました。
チラシをよく見ると、「日」という字は「月」になっていました。私はさっそくチラシを印刷会社に持って行って、その間違いを指摘しました。印刷会社の方が原稿を出して、私に見せました。確かに「日」であるはずの字は少し「月」という字にも見えました。それで、キリスト教の事を何も知らない印刷会社はその字を「月」と読んで、入力し、そのまま印刷しました。


3,000枚のチラシを刷って、また新たにチラシを印刷する経費はありません。だから私は急いで教会の方々に連絡して、みんなに教会に集まってもらいました。そして、皆さんは修正ペンを持って、手で3,000枚のチラシを訂正しました。


時々人間が書いた物には、このような字の間違いを見つけることがあります。

しかし、神様のみことばである聖書には、そのような間違いは一つもありません。聖書には誤りも矛盾も一つもない完全な書物です。


「主のみことばは混じりけのないことば」詩篇12-6 「主のみおしえは完全です」詩篇19-7 「神のことばは、すべて純粋」箴言30-5


「日」という字が「月」になっている教会のチラシと違って、聖書の中の一点一画でも信頼出来るみことばです。クリスチャンは安心して、神のみことばに基づく生活をすることが出来ます。

 

私は自分の手に(神)を持ちました 

へび 以前、家族と一緒に別府の遊園地に行った時の出来事です。遊園地の中に小さな動物園がありました。動物園は別料金でしたが、私たちはそこにも入ることにしました。今度、私は動物園の中で小さな神社を見つけました。「なぜ、動物園に神社があるのでしょう?」と思いながら私はその建物に入りました。
右を見ると、何もありませんでしたが、左を見ると神棚がありました。「この神社では何を拝んでいるのでしょうか?」と思いながら私は神棚に近づき、白い蛇を見ました。生きている蛇でした。その時、神社の管理人が現れ「蛇を自分の手に持ちたいですか?」と私に聞きました。
私は断りました。しかし、私は急に気が変わり「はい、お願いします!」と答えました。
彼は蛇を神棚から出して私の手のひらの上に置きました。私は自分の手に「神」を持ちました。突然、蛇は私の腕に這い登りはじめ、顔に近づいてきたので、私はすぐ管理人に返しました。その「神」との交わりはそのぐらいで充分だと思いました。私が今まで日本で見た物の中で、あの白い蛇は最も不思議な物のひとつです。
神社を出てから私の気持ちは感謝に満ちている気持ちでした。何を感謝していたかというと、自分の信じている神様は私が手に持つ「神」ではなく、私をご自分の手に持って下さる神様であるということです。


ヨハネ10-27~29でキリストは言われました。「わたしの羊はわたしの声を聞き分けます。また、わたしは彼らを知っています。そして彼らはわたしについてきます。わたしは彼らに永遠の命を与えます。彼らはこうして滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません。わたしに彼らをお与えになった父は、全てに勝って偉大です。誰もわたしの父の御手から彼らを奪い去ることはできません。」


今日、父の日に私たちをご自分の手の中に持っておられる神様の守りを感謝しましょう。

 

「わたしの魂は、あなたにすがり、あなたの右の手は、私を支えて下さいます。」詩篇63-8

 

病 院 の は か り 

image4224.gif 私は2つのことを目的にして病院に行きます。1つは、もちろん検査を受けるためです。もう一つは看護師達を笑わせることです。例えば、私が検査の部屋に呼ばれる時、看護師はもうすでに体重計を出して待っています。部屋に入って体重計を見ると、私はビックリしたふりをして恐い顔をします。そうすれば、看護師は笑います。また、私が看護師に「今日は体重を量る必要はありません。80㎏にしましょう」と言うと、看護師は笑います。
いつも、私の体重を量ってから看護師は親切に「服を着て、靴も履いているから、2㎏引きましょう」と言うと、私は「いや、今日の服と靴は特別に重いんですよ……、5㎏引いて下さい」と応えます。やはり、看護師は笑います。
先日、検査室に入った時、私は大きな声で「この病院では体重割引の日はありますか?」と聞きました。そうしたら、隣の部屋にいた先生の笑い声も聞こえました。しかし、体重計りの上に立つ時、もう笑うことはできません。なぜなら、冗談で看護師たちをごまかしても、体重計をだますことはできません。体重計は必ず事実を表します。


私にとって、本当の体重を表す量りは恐ろしい物ですが、もっと恐ろしいはかりがあります。それは人間のたましいの本当の状態を表す神様のはかりです。

箴言16-2「人は自分の行いがことごとく純粋だと思う。しかし主は人のたましいの値うちをはかられる」と書いてあります。


私たちは演技のうまい人のように周囲の人々をだますことが出来るかもしれませんが、神様の正しいはかりの上に立つ時、私たちのすべての行いも動機もさらけ出されます。

「主は、やみの中に隠れた事も明るみに出し、心のはかりごとも明らかにされます。」Ⅰコリント4-5


ですから、私たちをこの恐ろしい裁きから救うために来られた救い主イエス・キリストを信じて、そして彼にすがって正しい道を歩みましょう。

 

スーパーボックスに座るチャンス 

スーパーボックス ダスキンに勤めている方から電話があった時、私はかなり興奮して「ほしい!ほしい!」と叫びました。ダスキンはヤフードームにスーパーボックスを持っています。スーパーボックスはヤフードームにある最高の席です。私は正確な値段をしりませんが、かなり高い席です。今まで、ヤフードームに行くときに私は何回も「一度だけで良いから、スーパーボックスに座りたい」と思っていました。
なので「スーパーボックスのチケットが2枚あるから、差し上げますよ」という電話があった時、私は「ほしい!ほしい!」と答えました。ダスキンの方は「スーパーボックスを使う2人の名前を書く必要があるので、今から私がFAXを送ります。その書類に名前と食事の注文を書いて、またFAXで返して下さい」と説明しました。
FAXが来た時、私は手にペンを持て待っていました。しかし、試合の日にちを見た瞬間に、私の満ちあふれる喜びは深い悲しみに変わりました。試合は6月10日にあります。水曜日です。その晩、私はペルーに行かれている先生の代わりに北九州教会で奉仕をします。私はダスキンの方に電話して、泣き声でスーパーボックスのチケットを断りました。


これから先スーパーボックスに座るチャンスがあるかどうかはわかりませんが、私はクリスチャンだから、スーパーボックスの席よりも遥かに素晴らしい席に座るようになります。キリストは全ての信者達にこの約束をされました。

 

「勝利を得る者を、私とともにわたしの座にに着かせよう。」黙示録3-21


実は、聖書によると、神様はキリストを信じている私たちを「キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました」エペソ2-6

 

もちろん、私たちは肉体的にまだこの地上にいますが、霊的に私たちはもうすでにキリストとともに天の所にすわっています。キリストを信じる信仰によって、私たちは神様の「スーパー、スーパー、スーパーボックス」に座っています。

 

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