心 の 洗 剤
妻が突然、天に召された時、私は早速三つの大きな問題に直面しました。
まず食事の問題がありました。私はほとんど料理を作ったことがありません。だから毎日3回の食事を作る事は不可能だと思いました。しかし、1年8ヶ月も経っているのに私は、まだ飢え死にしていません。
第二の問題は家の掃除でした。仕事のスケジュールを守ると充分な掃除をする時間がありません。しかし、私は掃除の会社と契約し、月に2回二人の方に家を徹底的に掃除してもらっているので掃除の問題は解決出来ました。
第三の問題は洗濯の問題でした。いまだに、この問題を解決していません。もちろん汚れた服が増えると私は、それを洗濯機で洗います。その後が問題です。私が聖書の学びに夢中になると、洗濯が終わって洗濯機のブザーが鳴っても気がつきません。そして数時間後に私は洗濯をしていた事を思い出します。ある時、服は次の日まで洗濯機の中入れたままでした。
先日、洗濯した時、私は洗濯機に洗剤を入れるのを忘れました。もちろん、洗剤を入れなくても水だけで服は、ある程度綺麗になりますが、やはり洗剤を入れないとガンコな汚れは綺麗になりません。
クリスチャンの心も同じです。私達は日々つまづきます。その日の罪で汚れた心をきよめる必要があります。では、心をきよめるために、神様は私達にどんな洗剤を与えて下さいましたか?
ヨハネ15-3にキリストは言われました。「あなたがたは、わたしがあなたがたに話したことばによって、もうきよいのです」心の洗剤は聖書に書いてある神様の言葉です。
ヨハネ17-17にキリストはご自分を信じる人々のためにこの祈りをされました。「真理によって彼らを聖め別ってください。あなたのみことばは真理です」
教会の集会を守る事、奉仕をする事、献金を献げる事、伝道する事は全部大切な事ですが、心の洗剤になる聖書を日々の信仰生活に入れる事を忘れる事のない様に注意しましょう!
電車の優先席
私達は8回電車と地下鉄に乗りました。電車にも地下鉄にも「優先席」がありました。「優先席」は身体障害者、妊娠をしてる女性、足をケガしている人、高齢者などの為に特別な席です。このいずれかの方々が電車の乗る時、優先席に座っている若者は立って、その席をゆずるべきです。
一緒に行った友人は69歳です。私は67歳です。2人とも白髪です。それに私は杖をついていました。
しかし、8回電車に乗って、優先席に座る事が出来たのは1回だけでした。1回だけ、2人の若い男性は立って私達に優先席をゆずって下さいました。後の7回、私達は優先席に座っている若者の前にずっと立っていました。電車の窓に「優先席をゆずりましょう」と書いてあるシールが貼ってあったのに、そこに座っている若者は知らない顔をして私達を無視しました。
私達に席をゆずって下さった2人の動機はどんな動機であったか分かりませんが、普通この様な行動をする人には、2つの主な動機があります。その一つの動機は「社会のルールを守る強い責任感」です。もう一つの動機は「他の人々に対して自分の事を良く思われたい気持ち」は席をゆずる動機となります。
しかし、クリスチャンの動機はこの2つの動機とは全く異なります。クリスチャンが他の人に席をゆずる様な行動をする時、その人に仕える事を通してキリストご自身に仕えたい心から動機が生まれてきます。
「人のごきげんとりのような、うわべだけの仕え方でなく、キリストのしもべとして、心から神のみこころを行ない、人にではなく、主に仕えるように、善意をもって仕えなさい。」エペソ 6-6~7
キリストも羊と山羊についてのたとえ話(マタイ25章)の中で同じ事を教えました。私達が空腹である人に食べ物を与え、渇いて人に飲み物を与え、旅人に宿を貸し、裸の人に着る物を与え、病気をした人を見舞う時、それは主イエスご自身にする事と同じです。
「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです」 マタイ 25:40
変わった電子レンジ
先日、台湾旅行に行ったとき、私は高雄のホテルでバイキングの朝食をいただきました。私は電子レンジに慣れているので、おいしそうなパンを見たとき、いつも電子レンジを使うときと同じようにパンを皿に載せ、レンジの中に入れました。しかし、そうするとパンを載せた皿は後ろの方に動き始めたので私は驚きました。(後で分かりましたがそれは本当は電子レンジではなく台が動くオーブントースターでした。)
「何とかしないとパンが載った皿は電子レンジの後ろから落ちて壊れてしまう」と心配して、私はレンジの中に手を入れ皿をレンジの前の方に引っ張りました。レンジの中も皿も熱かったので手を少し火傷しました。私が手を見ている間にパンが載っている皿はまた後ろの方に動きました。仕方がないので私はもう一度手を熱いレンジの中に入れて、熱い皿を掴んで、それを自分のトレイに置きました。
「何という変わった電子レンジだろう?」と思いながら、私は後ろで待っていた男性の行動を見ました。彼はパンだけをレンジの中に入れました。レンジの後ろに着いたとき、パンはレンジの下に置いてあった盆に落ちました。男性は熱い物を掴むための道具を持って、熱いパンを拾い自分の皿に置きました。男性が私にオーブントースターの正しい使い方を教えてくれた次の朝、ホテルで朝食をいただいたとき私は火傷をしないでおいしいパンを温めて食べることができました。
聖書の箴言14:12に「人の目にはまっすぐに見える道がある。その道の終わりは死の道である。」と書いてあるので、私にオーブントースターの正しい使い方を教える模範が必要であったように、私たちに正しい道を歩む模範を示す方が必要です。
Ⅰペテロ2:21によると、その方はイエス・キリストです。「キリストもあなた方のために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなた方に模範を残されました。」
そして、24節に「自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは私たちが罪を離れ、義のために生きるためです」と書いてあります。
ですから人生の正しい道を探している者は、十字架の上で私たちの罪のために死なれたキリストの聖い生き方に目を留めましょう。
忠烈祠の衛兵(台湾・台北)
先週アメリカから来た友人と一緒に台湾旅行に行って来ました。台湾(高雄)の宣教師は私たちをいくつかの有名な所に案内して下さいました。
私にとって、もっとも印象的な場所は台北の忠烈祠でした。特に、一時間おきに行われる衛兵交代は私に深い印象を与えました。
私をすごく驚かせたことは、20分ぐらいかかる衛兵交代が終わってから、衛兵は次の1時間の間、少しも動かないことでした。その日の温度は30度以上の温度でしたが、軍服(長靴、長袖の上着、ヘルメット)を身に着けている衛兵は動きませんでした。彼の頭から玉のような汗がダラダラ~と流れてきましたが、彼は微動だに動きませんでした。
その動かない衛兵の姿を見つめていたとき、私は初めてエペソ6-13を徹底的に理解することができました。
「邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい」
キリストを信じる信仰によって歩もうとしている私たちには様々な燃えさかる火の試練にあう時があるし、悪魔の激しい攻撃を受ける時もあるので、心から不安の汗が流れ出るかもしれません。そのとき、キリストの力によって強められて、堅く立つことが大切です。
忠烈祠衛兵の周りにいた多くの人々は動いていました。衛兵の写真を撮る人も、また衛兵のすぐ側に立って、友達に写真を撮ってもらう人もいました。それに関わらず、衛兵は動きませんでした。同じように、私たちの周りに私たちを動揺させる人間の行動や人生の出来事があっても、私たちも主にあってしっかりと立ちましょう。
「私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたはは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから」Ⅰコリント15-58
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