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でっかい草 との 戦い 

大きな草の根 教会が今の場所に移った時から、勝手口の近くに“でっかい草”が生えています。
あまりにも大きな草なので、庭掃除をするたびに、私達はその草の根っこから切らずに、地面の上に出ている部分だけを切っていました。
しかし、今回の庭掃除の時、私はその醜い草を見るのが嫌になり、根こそぎ切り取る決心をしました。でっかい草の根っこを掘り出そうととしている私を見たK兄とR姉は手伝いに来てくだいました。深く掘れば掘るほど私達は土の中に力強くはびこった根を見つけました。
そのでっかい草との戦いの途中で、2回も私はフラフラになって、教会の中に入って休まなければならなかったが、K兄とR姉は諦めずにその戦いを続けました。長く時間がかかった戦いでしたが、私達はやっとの思いで、でっかい草の全ての根っこを掘り出し、勝利する事が出来ました。


教会の窓から“でっかい草と戦っているK兄とR姉の姿”を見た時、私は心に深かく根を張り、生活にはびこる罪と戦う人達の姿を見る事が出来ました。 彼らは自分がしている事は罪だと知っているのに「1回だけは、少しだけは、大丈夫だ!」と言う言葉で自分自身を欺くのです。

 

しかし、彼等がその罪を続ければ続けるほどに彼等の心にその罪は深く根を張って、ついに彼等の生き方も考え方も支配するようになります。やっと、その罪の影響に気付く彼等はその罪をやめようとするが、心の中にもつれ、はびこっているその罪を掘り出す事は大変な戦いだと分かります。
神様が私達の罪を示して下さる時、その罪はでっかい草の様になる前にそれを捨て去りましょう。

 
「私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。」ヘブル12:1

 

 

2009秋の特別集会 

Poster 

キズだらけの車 

ワゴン車 2週間前まで私の車はキズだらけの車でした。大げさに言っているのではありません。本当にキズだらけの車でした。キズはあまりにも多かったので、乗る度に、私は恥ずかしい思いをしました。また、他の人達を私のキズだらけの車に乗せることも恥ずかしいことでした。
車の前方のキズは、中央分離帯の棒にぶつけた時のキズでした。車の左側のキズは、教会の前にある手すりにぶつけた時のキズでした。車の右側のキズは、電柱にぶつけた時のキズでした。車の後方のキズは、家の塀にぶつけた時のキズでした。
今、車にはキズ1つありません。なぜなら、先週私は車を修理に出して、すべてのキズを直してもらったからです。

 
聖書によると、人間の心もキズだらけのものです。罪というキズです。恨み、怒り、憎しみ、情欲、むさぼりなどのような罪によって、私たちの心は私の車と同じようなキズだらけのものとなりました。
しかし、私たちの心をすべての罪からきよめて下さる方がおられます。十字架の上で私たちの罪の為に死んで下さったイエス・キリストです。


エペソ5-25~27に書いてあるとおりに、キリストは私たちをきよくキズのない者にするために、私たちを愛し、ご自分を捧げられました。


また、Ⅰヨハネ1-7に、「イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。」と書いてあります。


多くのキズの故に醜いものとなっていた私の白い車は今、雪のようにきれいになりました。キリストはご自分のもとに来る一人ひとりのために同じことをして下さいます。「さあ、来たれ。たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる」イザヤ1-18

 

21番目 

病院待合室 私は、一ヶ月おきに泌尿器科の病院で検査を受けます。初めてその病院に行った時、私は3時間半ほど待たなければなりませんでした。私はあまり長く待たされると、イライラする性格ですから、2回目の時から私は朝7時に病院に行って名前を書く事にしました。そして列んでいたのは5〜6人だったので、私は普通6番目か7番目になります。
しかし、先月から病院は7時ではなく、8時から玄関を開ける事になりました。私はいつもの様に、6番目か7番目になるつもりで7時45分頃、病院に行きました。すると、もうすでに多くの患者さんは玄関の前で列んでいました。 結局、私は21番目になってしまったので長く待たなければなりませんでした。
アメリカでは大きい病院であっても小さなクリニックであっても予約制度だから予約時間のちょっと前に行けば、あまり待たされる事はありません。 だから、こんな性格の私はアメリカの予約制度は日本の順番制度に勝ってると思います。


実は、アメリカの予約制度にも日本の順番制度にも勝っている制度があります。助けを求める私達の祈りに答えて下さる神様の制度です。神様に私達の祈りを聞いて頂くために予約をする必要も、多くの方々と一緒に列んで待つ必要もありません。


神様は決して「あなたの予約時間は明日の午後2時になっているから、その時間まで待ちなさい」とか「今日あなたは21番目だから、最初の20人の祈りを聞いてから、あなたの祈りを聞くから待ちなさい」ともおっしゃいません。


詩篇18-6にダビデは証ししました。「私は苦しみの中に主を呼び求め、助けを求めてわがが神に叫んだ。主はその宮で私の声を聞かれ、御前に助けを求めた私の叫びは、御耳に届いた」

 

999 ピース 

富士山 数ヶ月前、私は富士山のジグソーパズル(1000ピース)を始めました。 一日に数ピースしか出来ないので、どうしても完成までには時間がかかってしまいます。途中、どうしても見つける事ができない1ピースがありました。私は「最後には出てくるだろう」と思いながらパズルを続けました。最後のピースを入れた時、結局その1ピースは出てきませんでした。

 
「もしかしたら、床に落ちたかもしれない」と思い私は、テーブルの下を探しましたが、その1ピースは何処にもありませんでした。どうしても、その1ピースを見つけたくて、私は四つん這いになり、這いつくばって、念入りに捜しました。そうすると、すぐに見つける事ができました。パズルのピースの裏側の色とカーペットの色がほとんど同じだったので、イスに座った状態では、裏返しに落ちた1ピースを見つける事ができなかったが、四つん這いになって捜すと、すぐに見つける事ができました。


キリストの“たとえ話”の中に私の経験に似ている“たとえ話”があります。「あなたがたのうちに羊を100匹持っている人がいて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は99匹を野原に残して、いなくなった1匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。見つけたら、大喜びでその羊をかついで、帰って来て、友だちや近所の人たちを呼び集め、『いなくなった羊を見つけましたから、一緒に喜んで下さい』と言うでしょう」ルカ15-4~6


いなくなった1匹の羊も、なくなったパズルの1ピースも自分勝手な道に向かって、「失われた者」になった一人ひとりの人間を表しています。 そして、いなくなった羊を捜しに行った羊飼いも、四つん這いになってパズルの1ピースを捜した私も主イエスの事を表しています。

 
ルカ19-10「人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです」と書いてあります。


(聖歌 446)
群れを離れて 道に 迷い 飢えと寒さに 死ぬばかりの
この身も 主イエスに 今 救われたり 迷う 我を 捜す 愛よ
死にかけし この身を 生かす 主の恵よ

 

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