階 段
秋の特別伝道集会のチラシ・子供会のチラシ・英会話のチラシ・クリスマス集会のチラシを配りました。2~3回は、弥生ヶ丘でチラシを配りましたが、もう弥生ヶ丘でチラシを配りたくありません。 階段が多いからです。
私は、足に神経障害があるので、階段は苦手です。階段の3段目から手がポストに届く場合は上るが、それ以上長い階段がある場合、私は上りません。
なぜなら、何回も長い階段に上っていると、足がとても痛くなるから、30分位でやめなければなりません。
私はもっと沢山のチラシを配りたいので、長い階段を避けています。
教会の青年と一緒にチラシ配布をする時は、とてもウレシイです。なぜなら、若い兄弟は長い階段がある家でもどんどん配ってくれるからです。
黙示録21章と22章に天国の詳しい説明が書いてあります。城壁、門、土台、大通り等の事が書いてありますが、[階段]と言う言葉は1回も出て来ません。天国に階段がないのでしょうか。
しかし、たとえ天国に階段があっても、私達はその階段を心配する必要がありません。なぜなら、天国に入る私達の体はもはや何の障害もない体に変えられます。肉体的な障害や精神的な障害で悩んでいるクリスチャン達は、この時を待ち望んでいます。
「けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。 キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。 」ピリピ 3:20b~21
唯一の救い主
クリスマスの飾りを付けて、馬小屋と人形を教会の前に出すため、私はPM4:30頃教会に着きました。その日、風はかなり強かったが、私は風船になっている馬小屋とヨセフの人形とマリヤの人形とイエス様の人形を出しました。風船も人形も風に弱いから、私は30分おきに見に行きました。
夜の8:10頃玄関のベルがなりました。メッセージの準備をしていた私は急いで玄関に行ってドアを開けました。小さな子供を抱いている若いお母さんは私に言いました。「倒れている!!」私は風船と人形の方を見ました。馬小屋は倒れていました。ヨセフも倒れていました。マリヤも倒れていました。飼い葉桶の中で寝ているイエス様の人形だけはそのまま残っていました。
そのシーンを見た瞬間に、私は思いました。[結局、人生の嵐が人間を襲いかかる時、頼りになるものは主イエス・キリストだけです]人間の中にはヨセフの様な正しい男性もいるし、神から愛を受けて入るマリヤの様な女性もいます。しかし、人間を救う事ができる方は一人だけです。ベツレヘムの馬小屋の中でお生まれになったイエス・キリストです。
聖書はキリストが私達を罪から救くって下さるために生まれたと教えています。(マタイ1-21) 彼こそクリスマスの本当の中心です。飾りやパーティやプレゼントではありません。救い主がお生まれになった事です。馬小屋で生まれたその赤ちゃんは、大人になった時、私達の罪の代価を払うために、私達の身代わりとなって、十字架の上で死なれました。
ですから、聖書はハッキリと述べています。「神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。キリストは、全ての人の贖いの代価として、ご自身をお与えになりました。」 (Ⅰテモテ2-5〜6)
追 放 !
外国人登録証明証について聞きたい事があった私は小倉の福岡入国管理局に行きました。「外国人登録証明証を見せて下さい」と言われました。それを見た方は私を驚らかす事を言いました。「あなたの滞在期間は9月1日で終わっています。あなたは、すでに3ヶ月間日本に不法で住んでいます」
彼が次に言った事は、なお私を困らせました。「1週間以内に書類を持って来なさい。私達は、それを見て、あなたを追放するかどうか判断します!」この言葉を聞いた私は驚きました。「追放! まさか。クリスマス集会の直前に私は、日本から追放されるのですか!?」
その日から私は必死に書類を集めて、2日後に持って行きました。入国管理局の方は「座って待って下さい。私達は書類を見て、受けいれるかどうか判断します」15分位だったが、私にとってその時間はとても長い時間でした。結局、書類は認められたので、私は3年間日本に滞在する事ができます。
この世では、国から追放される事も住まいから立ち退く事もあります。しかし、キリストを信んじている人はいずれ、追放される事のない国に行きます。また、退く事のない住まいに住むようになります。
聖書によれば、私たちは神御自身が建設された都に行きます。(ヘブル11-10)
キリストは、その都で私達のために場所を供えて下さいます。(ヨハネ14-2)
その場所は神が下さる建物です。天にある永遠の家です。(第2コリント5-1)
この世の家と違って、私達の天にある永遠の家は朽ちることもない汚れることもない、消えて行くこともない住まいです。(第1ペテロ1-4)
また、その住まいは、虫もさびもつかず、泥棒が入らない住まいです。(マタイ6-19〜20)
追放される事も立ち退くこともない神の国にある住まいに行くことは全てのクリスチャンの望みです。有名な詩篇23の一番最後に書いてある通りです。 「私は、いつまでも、主の家に住まいましょう」
ラーメン二郎
私が東京に着いた日、迎えに来て下さった牧師は、いきなり「ラ-メン二郎」と言う店の話を始めました。木曜日と金曜日には、その店に行く時間がなかったが、やっと土曜日のお昼に行く事が出来ました。
店を見た瞬間に私はこの事に驚きました。まず、私は店の規模に驚きました。13名しか座れない小さな店です。そして、私は店の人気に驚きました。お客は外までズラ~リと列んででいました。私と牧師も30分位列んでいました。その間に牧師は私にこの店の注文の方法を教えて下さいました。カウンターに座る前に次の事を決めなければなりませんでした。
1.サイズ (小・大) 2.麺 (普通・堅麺)
3.野菜(野菜入・野菜なし) 4.ニンニク(なし・少し・普通・ダブル)
カウンターに座る前に私は注文を練習しました。「小・普通・野菜・ニンニク少し」その日に私が食べたラ-メンは私の好みにあった、とても美味しいラ-メンでした。
私はその店の注文の方法が正しい祈りかたに似てると思いました。私達が主に祈るのに、望んでいる答がない場合は、私達の祈りの内容があまりにも「曖昧だから」ではないのでしょうか。
マルコ10-47にバルテマイという盲人のこじきはイエスに懇願しました。「イエス様、私を哀れんでください」 51節にイエスは彼に言われました。「私に何をしてほしいのか」バルテマイは応えました。「先生。目が見えるようになることです」私達もバルテマイの様に、具体的に祈りましょう。「イエス様、私を哀れんでください」と祈ってから、主に何をしてほしいか、できるだけ詳しく話ましょう。
「あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。」ピリピ 4-6
空いている助手席と静かな家
ちょうど2年前に妻は、突然天に召されました。2007年11月29日でした。もう2年も経っているのに私は、まだ妻がいない生活に慣れていません。実は慣れようとしても、決して慣れる事ができない理由が2つあります。
まず、空いている席があります。45年間、妻は毎週日曜日の朝に車の助手席に乗って一緒に教会に行きました。
今は、日曜日の朝に私が車に乗って教会に向かって行く時、途中で私は隣の空いている助手席を見て、2007年11月29日の出来事を思い出して泣きます。どうしてもその空いている助手席に慣れる事が出来ません。
妻がいない生活に慣れないもう1つの理由は、静かな家です。
以前は、家に帰って玄関に入った時、いつも何かの音が聞こえました。
妻は賛美のCDを聴く事が好きでした。その時、最初に耳に入ってきた音は賛美でした。また、賛美を歌っている妻自身の歌声が聞こえる時もよくありました。或いは妻が食事の準備をしている音もよくありました。今日まで私が帰って来て静かな家の玄関に入る時、妻がいない事を新たに実感して、ほとんど耐えられない孤独を感じています。
しかし、今の私の生活は悲しみと孤独に満ちている生活ではありません。望みに満ちている生活です。なぜなら、Ⅰテサロニケ4:13-18に書いてある通りに、私がまた妻に会う時が来るからです。特に16〜17節にこの尊い約束があります。「キリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。」
家族や友達が、もう既に天国に召されている皆さん、心にある悲しみと孤独とに勝る、この上もない望みをいだいて、私達がまた彼等と一緒になる約束の成就を期待しながら、日々主と共に歩きましょう。
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