空いている助手席と静かな家
ちょうど2年前に妻は、突然天に召されました。2007年11月29日でした。もう2年も経っているのに私は、まだ妻がいない生活に慣れていません。実は慣れようとしても、決して慣れる事ができない理由が2つあります。
まず、空いている席があります。45年間、妻は毎週日曜日の朝に車の助手席に乗って一緒に教会に行きました。
今は、日曜日の朝に私が車に乗って教会に向かって行く時、途中で私は隣の空いている助手席を見て、2007年11月29日の出来事を思い出して泣きます。どうしてもその空いている助手席に慣れる事が出来ません。
妻がいない生活に慣れないもう1つの理由は、静かな家です。
以前は、家に帰って玄関に入った時、いつも何かの音が聞こえました。
妻は賛美のCDを聴く事が好きでした。その時、最初に耳に入ってきた音は賛美でした。また、賛美を歌っている妻自身の歌声が聞こえる時もよくありました。或いは妻が食事の準備をしている音もよくありました。今日まで私が帰って来て静かな家の玄関に入る時、妻がいない事を新たに実感して、ほとんど耐えられない孤独を感じています。
しかし、今の私の生活は悲しみと孤独に満ちている生活ではありません。望みに満ちている生活です。なぜなら、Ⅰテサロニケ4:13-18に書いてある通りに、私がまた妻に会う時が来るからです。特に16〜17節にこの尊い約束があります。「キリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。」
家族や友達が、もう既に天国に召されている皆さん、心にある悲しみと孤独とに勝る、この上もない望みをいだいて、私達がまた彼等と一緒になる約束の成就を期待しながら、日々主と共に歩きましょう。
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