TROUBLE

私と孫のネイサンはTROUBLEと言うゲームをしました。TROUBLEは簡単なゲームです。それぞれに四つの駒があります。サイコロをふって、駒をスタートからホームまで動かします。 先に4つの駒をホームに入れる事が出来た人が勝ちです。
わたしと孫はTROUBLEを5回しました。孫は5連勝しました。5回のうち3回、サイコロに1が出れば、私が勝っていたのに、とうとう1が出なかったので、孫は逆転して勝ちました。私はゲームに負ける事がイヤです。私にとってTROUBLEと言うゲームは本当のトラブルでした。
私達人間は、日々何らかのトラブルがあると思います。しかし、ゲームではありません。本当のトラブルです。ヨブ記14-1に「女から生まれた人間は、日が短く、心がかき乱されることでいっぱいです。」と書いてあります。英語の聖書は [Man that is born of woman is of few days, and full of trouble.] となっています。[Full of trouble] と言う言葉はみんなの人生を説明する言葉です。
しかし、神に信頼する者はいろんなトラブルに遇っても、勝利を得る事が出来ます。詩篇46-1に「神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け。」と書いてあります。英語の聖書に「そこにある助け」は [a very present help in trouble] となっています。
わたしと孫は、その後、2回TROUBLEをしました。私は2連勝しました。
キリストを信じる者の人生はこの事に似ています。今、私たちは四方八方から苦しめられているが、Ⅱコリント4-8に書いてある通りに、「私達は窮する事はありません。」なぜなら、私たちは詩篇50-15に書いてある神の約束の上に立って人生をおくっているからです。「苦難 (TROUBLE) の日にはわたしを呼び求めよ。わたしはあなたを助け出そう」
思い出 の 一日

先週、私はロアノケに行って、午前10時から午後5時までワンダと一緒に多くの思い出の場所に行きました。まず、17th Street Baptist Churchと言う教会に行きました。私は1955年8月3日に、この教会でイエス・キリストを信じる決心をしました。次に、私にバプテスマを授けたWaverly Place Baptist Churchと言う教会に行きました。
その後、私の中学校と高等学校を見に行きました。私は子供の時、引越しが多かった。私が住んだ家を幾つか見に行きました。また毎日、暗くなるまで友達と一緒にスポーツをした公園にも行きました。私とワンダにとって、とっても楽しい一日でした。
しかし、ある所で涙が流れました。母の墓地とワンダの母の墓地に行った時でした。私に[Roger]という弟がいました。 私の[half-brother]でした。彼は6歳で天に召されました。彼の墓地に行った時、私もワンダも泣きました。
母の墓の前に立って泣いた時、私に慰めを与えた言葉は、黙示録21-3~4に書いてある言葉です。「神ご自身が彼らとともにおられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」
イエス・キリストを信じているクリスチャンには恵が沢山ありますが、たとえ他になくても、涙も死も悲しみしみも叫びも苦しみも全くない神の国に行く事ができると言う恵で充分です。「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました」Ⅰコリント15と57
私のひっくり返えた生活

そして、車は右側に走るので、車のハンドルは左側にあります。車に乗る度に、私は、まだ右側から乗ろうとします。
また、日本のレストランでは店を出る時、必ず2~3人は「ありがとう ございました」と言ってくれます。アメリカに帰った時、私は最初の日、レストランで朝食を食べました。レストランを出る時、だれも「thank you」と言ってくれませんでした。ヘンな気持ちでした。
日本では、車は必ず踏切で止まりますが、アメリカでは列車が来ていなければ止まりません。止まらずに踏切を通った瞬間、私は何だか大きな犯罪を犯している気持でした。
この習慣のゆえに私の生活はひっくり返った生活になっています。
信仰生活においても、気をつけないと、この世の習慣はクリスチャンの生活をひっくり返してしまいます。
聖書によると、クリスチャンはこの世にひっくり返る者ではなく、この世をひっくり返す者であるべきです。使徒の働き17-6に、テサロニケに住んでいたクリスチャン達は「世界中を騒がせて来た者たち」とよばれました。英語の聖書に「These that have turned the world upside down」と書いてあります。「Turn upside down」という言葉の意味は「ひっくり返す」と言う意味です。
イエス・キリストを信じる信仰によってクリスチャンになっている私たちは、この世の習慣にひっくり返る者ではなく、大胆な証しとしっかりした信仰によってこの世をひっくり返す者になりましょう。
箱の中の物からのメッセージ

箱を開けた時、私を驚かさせた物もありました。幾つかの箱の中に入っていた物は妻の物ではなく、私の母の物でした。それは、私が母に贈ったカードや私の赤ちゃんの時の靴とか、私の学校の成績表などがありました。その様な物を見た時、やはり私は自分の一人息子に対する母の深い愛を思い出して泣きました。
私は、母の日である今日、電話で或いは、直接に母と妻に「私達を愛し、私達の事を心配し、私達の面倒を見て下さって、ありがとうございます」と伝えたいと思いますが、母も妻も既に、天に召されているのでそれは出来ません。
しかし、お母さんがまだ生きている皆さんは、それが出来ます。今日、言葉やカードやプレセントを通してお母さんに感謝を伝えて下さい。例えば、現在、お母さんとの関係があまり良くなくても、この1日だけは、二人の間の問題を忘れて、感謝出来る事をよく考えて連絡して下さい。
詩篇103-2に「主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」と書いてあります。母の日である今日、お母さんの良くして下さった事を覚えましょう。箱の中からお母さんの物を出す日まで待たないで下さい。
ここで何も起こらなかった

3番目の物は、よくアメリカで見られる看板のパロディでした。アメリカでは、何か歴史的な出来事が起こった場所にその出来事を簡単に説明する看板があります。例えば、[On this site in 1864 there was a Civil War battle.] と書いています。(1864年にこの場所で南北戦争の戦いがありました)と言う意味です。そこで、私が日本の家の玄関の前で見た看板には、こう書いてありました。[On this site in 1887 nothing happened.](1887年に、この場所で何も起こりませんでした)と言う意味です。
その看板を見た時、私はゲラ・ゲラ笑いました。しかし、次の瞬間に私の笑いは悲しみに変わりました。なぜかと言うと、その看板は多くの日本人の人生を表していると思ったからです。
人々の生活は来る日も、来る日も同じ繰り返しです。人は、朝起きて、食事をして、仕事や学校に行って、帰って来て、食事をして、お風呂に入って、寝ます。次の日も、次の日も、同じ決まりきった生活です。時々、一時的な楽しみがあるかも知れませんが、日々の生活は殆ど喜びのない生活です。
聖書によると、私達は、このような退屈な生活をする必要はありません。なぜなら、イエス・キリストは御自分を信じる者に豊な人生を約束しておられます。ヨハネによる福音書10-10にキリストは言われました。「わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。」[羊]とはキリストを信じる人の事です。
また、ヨハネによる福音書15-11にイエスは「わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたの喜びが満たされるためです。」と言われました。
もし、私たちが、日々神様の導きに従って歩んでいるなら、私達の人生は「何も起こらない」人生ではなくて、冒険と期待に満ちている人生になります。
- | HOME |
skin presented by myhurt : BLOG | SKIN
copyright © 2005 小倉聖書バプテスト教会よりメッセージ all rights reserved. Powered by FC2ブログ