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不 愉 快 な 猫 

ねこ 私の娘は、ミトン(miton)と言う名の猫を飼っています。子猫の時ミトンは苦しい目に遇ったので、とても不愉快な猫になってしまいました。私は何回もミトンと仲良くしようとしましたが、全くダメです。例えば、私の目をミトンの目と合わせると、ミトンは大な声でうなります。私がミトンに触ろうとすれば、ミトンは背中を上げてシャ~という音を出して怒ります。
しかし、私が朝にシリアルを食べる時、ミトンの態度は変わります。ミトンは、私に近づいてニャア~と鳴きます。娘の説明によると、ミトンは私に牛乳を少し残して欲しいそうです。他の時、ミトンは私を無視するが、牛乳が欲しい時だけ、物乞いの様に私に頼みに来ます。

ミトンは多くの人間に似ています。彼らは、ほとんど神様を無視するけど、何かを欲しがる時に、神様に近づいて必死に願います。彼らは病気の癒しや商売の成功や試験の合格を神様に頼みます。しかし、願っている物が手に入ると、彼等は、神様を無視する生活に戻ります。

ヨハネによる福音書6章
の中でキリストは奇跡をなさって、多くの方々にパンを与えました。無料でパンをもらった彼らは、またキリストにパンを与えて欲しかったので、キリストについて行きました。キリストはヨハネ6-26に彼等に言われました、「まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからです。」
さらに、33節にキリストは言われました。「神のパンは、天から下って来て、世にいのちを与えるものだからです。」まだ全然理解していなかった群衆は34節「主よ。いつもそのパンを私たちにお与えください。」と答えたので、35節にキリストはハッキリと「わたしがいのちのパンです。」と言われました。この言葉を聞いた彼等の反応は66節に書いてあります。「こういうわけで、弟子たちのうちの多くの者が離れ去って行き、もはやイエスとともに歩かなかった。」

神様に近づく一人ひとりは、自分自身に、この質問をすべきです。「神様に近づく私は、何を求めているでしょうか。私は、ミトンの様に神様が私にお与えになる物を求めているでしょうか。あるいは、神様御自身を求めているでしょうか」
ミトンの様な人々は決して神様を見い出しません。なぜなら、エレミヤ書29-13に神様は「もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。」とおっしゃったからです。

4人のお父さん 

Father 今まで私は4人の方を「お父さん」と呼びました。まず実のお父さんがいました。ある日彼は私を買物に行かせました。私が店に入っている間に、まだ32歳であったお父さんは心臓麻痺で亡くなりました。その時わたしは、まだ9歳でした。
私の次のお父さんは、母の2番目の主人でした。私は彼を「お父さん」と呼んだが、私達の関係は決して親しい関係になりませんでした。私が神学校に行っている時、彼は母を捨てて家を出て行きました。
私の3番目のお父さんは母教会の牧師であったディンズビル先生でした。私は一度も彼を「お父さん」と呼びませんでしたが、私が教会で働いていた3年間、彼は「お父さん」の役目をして下さいました。しかし、私達が日本に来た時、彼と離れなければなりませんでした。
私に、この3人のお父さんだけなら、私の人生は悲しい人生だったかも知れません。

13歳の時、私はイエス・キリストを信じて神様の子供となりました。私の「天のお父さん」との関係は、もう55年間続いています。

今まで私の全てのお父さんの中で、私の「天のお父さん」は最も素晴らしいお父さんです。まず、私の実のお父さんは死にましたが、私の「天のお父さん」は決して死にません。聖書の黙示録の五つの箇所によると、私の「天のお父さん」は永遠に生きておられます。(黙示録4-9、4-10、5-14、10-6、15-7)

また、私の2番目のお父さんは私を捨てましたが、私の「天のお父さん」は決して私を捨てません。神様がお使わしになった救い主であるイエス・キリストを信じる全ての人々に神様はヘブル人絵の手紙13-5にこの約束をして下さいました。「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」

また、日本にっ来た時、お父さんの様になった牧師は一緒に来る事が出来ませんでしたが、マタイによる福音書28-20によると【私がどこへ行っても、私の「天のお父さん」はいつも私と共におられます。】

この父の日に私は皆さんに、この素晴らしい「天のお父さん」との個人的な関係をおすすめします。イエス・キリストを信じる事によって、今日皆さんも神様にあなたの「天のお父さん」になって戴く事ができます。
「あなたがたはみな、キリスト・イエスに対する信仰によって、神の子どもです。」ガラテヤ人への手紙3-26。

長 い 近 道 

カーナビ 娘と一緒にノース・カロライナ州からサウス・カロライナ州まで行くため、私は車のナビにもう一人の娘の住所を入力して4時間半位の旅に出かけました。私達は高速道路で行くつもりでしたが、車のナビは違う道を選びました。最初の1時間、その道は4車線でかなり高速で走行できる道でしたが、突然小さな町に入り道路は1車線に変わりました。町は南部の古い家並みが沢山ありました。多くの家は綺麗に保存されていたので、私達は景色を楽しんでいました。「風と共に去りぬ」と言う映画の舞台にいる様な気分でした。
しばらくすると、道はまた4車線の道になったので、私達は喜んだけど、その道は信号の多い道でした。その上、道路は大変な渋滞になりました。 結局、4時間半かかる筈の旅は6時間の旅になってしまいました。

確かに車のナビが選んだ道路は最短距離でしたが、一番時間がかかる道でした。ナビと同じ様に多くの人々は近道を選びます。例えば、彼等は神の国である天国に行く近道を探します。宗教や宗教の儀式、良い行いの様な近道を通って天国に行こうとします。しかし、その様な道を通っても誰一人も天国に行く事ができません。
十字架の上で全ての人々の罪のために死んで下さったイエス・キリストは言われました。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」ヨハネの福音書14-6 天国までの近道はありません。

もう、すでにキリストを信じている私達も時々霊的な成長に行く近道を選びます。本やCDやインターネットを通して霊的に成長しようとしますが、ちょうど天国に行く道がないと同じ様に、霊的な成長に行く近道もありません。Ⅰペテロの手紙2-2によると「私達は神様の純粋な言葉である聖書を通して成長します。」

霊的に成長するために私達は毎日聖書を読んで、神の御心を学ばなければなりません。他の方法は全て「長い近道」なのです。

APPLE PIE YUM YUM!! 

apple pie 娘と孫と一緒にファストフードの店に行きました。私は店員の言葉に感激しました。彼は私が今まで行ったファストフードの中で一番商売上手な人でした。 私達が食事を注文すると、彼は [How about a hot apple pie? Two for a dollar. Yum, yum!] と言いました。「熱々のアップルパイいかがですか?2個1ドルです。おいしい、おいしい!」と言う意味です。
私たちはアップルパイを注文しませんでしたが、食事を食べながら、私は彼を見ていました。彼は全ての客に元気よく言っていました。
[How about a hot apple pie? Two for a dollar. Yum, yum!] 彼は[How about a hot apple pie? Two for a dollar.] と言うだけなら、普通の店員と変わらないが、彼は必ず [Yum, yum!] を付け加えました。
そして [Yum, yum!]
と言う言葉を繰りかえして聞いた、私の娘と孫はアップルパイが食べたくなったので、店を出る前に娘は2個注文しました

彼の [Yum, yum!] を聞きながら、私は彼の「接客応対」が全てのクリスチャンにとって模範になると思いました。クリスチャンは他の人々に対してクリスチャン生活の魅力を魅せる生き方、特に家族と友達にキリストを信じる信仰の価値を感じさせる生き方を目標にする者です。
Ⅱコリント人への手紙2-15「私たちは、救われる人々の中でも、滅びる人々の中でも、神の前にかぐわしいキリストのかおりなのです。」と書いてあります。
クリスチャンの生きかたは「かぐわしい香り」のような者であるべきです。

私達の言葉は人々をキリストから追い払う者ではなく、彼等をキリストに引き寄せる言葉であるべきです。私達の態度は人々に教会について不愉快な思いをさせる態度ではなく、彼等に教会に行って見たいと思わせる様な態度であるべきです。私達の行動は人々にクリスチャン生活は大変な生活であると言う印象を与えないで、彼等にクリスチャン生活は最も素晴らしい生活であると言う印象を与えるべきです。

いつ如何なる場合でも、神に喜ばれる生き方を通して、周りの人々に伝えましょう。
「キリストを信じる信仰による、喜びと目的のある人生 YUM YUM!」

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