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1,000日 

夫婦 「まことに、あなたの目には、千年も、きのうのように過ぎ去り、夜回りのひとときのようです。」 詩篇90-4

「主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。」
Ⅱペテロ3-8

みなさんは、この二箇所の御言葉を理解する事ができますか?。
私にとって、初めて読んだ時から今日までこの二箇所は私を当惑せる箇所となっています。

もちろん私はこの箇所のひとつ一つの言葉の意味は分かります。また、何回もこの箇所の説明を聞いた事があります。すなわち、人間と違って、神様は時間に影響される事がありません。人間は時間に縛られています。人間は時間の世界に閉じ込められています。しかし、永遠の神様の世界には時間がありません。神様は時間を超える御方です。神様は時間の外におられます。

私はこの説明に納得していますが、最近までこの箇所の意味をあんまり実感する事ができませんでした。しかし今、少し分かる様になったと思います。私は先週の水曜日(8月25日)に、このメッセージを書きました。妻が天に召れた日からちょうど1,000日となりました。確かにもう1,000日経ちましたが、私の心の中で1,000日は1日の様です。「奥様はいつ天に召されましたか?」と聞かれたら、私の心は「昨日でした」と答えます。同時に、妻のいない一日一日が1,000日の様に感じる時もあります。

私達の世界は、時間の世界です。人間は自分の人生の経験を時間で計ります。しかし、Ⅰテサロニケ4章に説明されているキリストの再臨が起こる瞬間から、私達も時間のない世界に入ります。もうすでに、召された愛する者たちと一緒に私達は神様の世界に行きます。Ⅰテサロニケ4-18「私たちは、いつまでも主と共にいる事になります」と書いてあります。

いつまでも!  永遠に!  永遠と比べて1,000日とか、1,000年とは何ですか。一日の様です。

パスカード(名札) 

パスカード 「JBBFの全国聖会」の数日前に、このメールがありました。
「全国聖会にご参加下さる諸教会に、先日、パスカード(名札)を送付させていただきました。当日は、このパスカードがないと入場できませんので、お忘れにならないよう、必ずご持参ください。」
第1集会と第2集会、私はメールに書いてあるようにパスカードに付いている紐を首にかけて行ったので、入場出来ました。しかし、第3集会のとき私は、パスカードについての規則を試す事にしました。私はパスカードを手の中に隠して入場しようとしましたが、パスカードを確認している方に止められました。「先生、パスカードはどうしましたか?」笑いながら私は手を広げてパスカードを彼に見せました。隣のテーブルに座っていた先生は言いました。「ボード先生、パスカードをちゃんと付けて下さいよ!」
第4集会のときも、私はパスカードを付けないままで入場しようとしました。やはり、パスカードを確認している方は私に聞きました。「先生、パスカードはどうしましたか?」私は答えました。「ありません、しかし私はこの集会の講師ですから、私を入れてくれないと、誰がメッセージをしますか?」その方は困った顔をして、口ごもりながら「どうぞ、お入り下さい」と言いました。笑いながら、私はポケットの中からパスカードを出して見せました。
「パスカードがないと入場できない」という規則があったのに、私は講師だったので入場できました。

しかし、天国に入るための規則を守らないなら、誰一人天国に入る事ができません。「天国に入るための規則」って何ですか。ヨハネの福音書の3章に書いてあります。3節と5節によると「人は新しく生まれなければ、神の国を見る事もそこに入る事もできません。」

人は自分の罪を悔い改めて、十字架の上で私達の罪のために死んで下さったイエス・キリストを救い主として信じる事によって新しく生まれます。そうしない方は、誰であっても天国に入る事ができません。
マタイの福音書7:22によると、主の名によって預言する人や悪霊を追い出す人や奇跡を行う人であっても、イエス・キリストを信じる信仰によって神の子供にならなければ、天国の門で神様に言われます。「私はあなたを知りません。私から離れていく」

まだ、天国のパスカードを持っていない皆さんにお勧めします。今日イエス・キリストを信んじて、パスカードをもらって下さい。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたは救われます。」使徒の働き16:31

TALLIE 

改札口 熊本のスミス先生から電話がありました。「ボード先生に頼みがあります。夏の間に私の教会で奉仕をしたアメリカ人が次の土曜日の午前8:00に北九州空港→羽田に行きます。先生に小倉駅まで彼女を迎えに行って、金曜日の夜に何処かに泊めて、そして次の朝に空港まで送っていただけないでしょうか?」私は先生の願いを聞き入れました。
次の日に本人が私に電話してきて、電車の到着時間を教えてくれました。私は彼女に聞きました。「What's your name?」「My name is Tallie.」
私は今までにその名前を聞いた事がなかったので、彼女にスペルを聞きました。(後で分かりましたが、Tallieはあだ名で、本当の名前はTalithaです。聖書のマルコ5:41に出てくる名前です)

後で私は考えました。「彼女に会った事がないから、駅に行って、どうやって見つけたらいいのか」私は紙に「Tallie」と大きい字で書いて、駅の改札口に立って、その紙(プラカードの様な)を持ち上げました。それを見た彼女はニッコリ笑って、私の所に来て言いました。「I am Tallie」その晩Tallie姉は小倉教会に泊まりました。次の朝、私は彼女を北九州空港まで送りました。

神様は、私がTallie姉のためにしたのと同じ様な事をしておられると思います。主は天国の入口に立って1枚の紙を持ち上げておられます。その紙に書いてある名前はそれを見る人によって変わります。すなわち、一人ひとりがその名前を見る時、自分の名前を見ます。なぜなら、聖書によると神様は一人ひとりを招いておられるからです。

主の最も有名な招きはマタイ11:28に書いてあります。「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」

聖書はキリストが全ての人々のために死んで下さった事を明白にのべています。「キリストは、私たちの罪のための、――私たちの罪だけでなく全世界のための、――なだめの供え物なのです。」 Ⅰヨハネ2:1~2

神様は全ての人々の救いを望んでおられます。「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。 」Ⅰテモテ2:4

主の御手に貴方の名前が書いてある招待状があります。キリストを信じる信仰によってその招きに応えましょう。

頭を閉じて、目を下げてください 

祈り あるとき、私はアメリカのメリーランド州の一番大きな教会で開かれた宣教大会に参加しました。私に日曜日の夕拝のメッセージをする特権が与えられました。メッセージの後に、いつもと同じ様に、私は「頭を下げて、目を閉じて下さい」と言うつもりでしたが「頭を閉じて目を下げてください」と言い間違いました。誰もその間違いについて何も言わなかったので、私はホットしました。
しかし翌日の朝に牧師と宣教師のミーティングがありました。ミーティングのはじめに牧師は笑いながら言いました。「頭を閉じて目を下げてください」もちろん、他の数人の宣教師達は笑いました。大会の間に、牧師と宣教師達が一緒に祈る度に、牧師は「頭を閉じて目を下げてください」という言葉でみんなを笑わせました。その3日間、牧師と他の宣教師達は、その言葉で私をからかい続けました。
 
確かに「頭を閉じて目を下げてください」は大変な間違いですが、聖書に「祈るときに頭を下げて目を閉じてください」と書いていません。頭を閉じて目を下げて祈ってもかまいません。

祈るとき、大切な事は姿勢や場所ではありません。祈るとき、大切な事は2つだけです。一つは心から祈る事です。頭を閉じてもいいけど、心を閉じてはいけません。詩篇119:145に書いてある通りに「心を尽くして主の御名を呼びましょう。祈る事は神の御前に心を注ぎ出す事です。」(詩篇62:8)
エレミヤ29:13
に神様は「もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つける」と約束して下さいました。

大切な事はもう一つあります。日々祈る事です。もし、祈るときに、私達は家の屋根に昇って逆立して祈りたいなら、その様に祈る自由もあるが、それを毎日しましょう。キリストは弟子達に失望せずにいつも祈る事を教えられました。(ルカ18:1)
エペソ6:18
「すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも祈りなさい。」と書いてあります。ほとんどの人は頭を下げて目を閉じて祈ります。それと違って、私は頭を閉じて目を下げて祈るかも知れません。日々、心から祈っているなら、他の人の祈りも私の祈りも主に喜ばれる祈りになります。

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