63連勝

白鵬の連勝は昭和以降、単独2位でした。54勝した時、テレビのインタビューの中で、彼は「一番の敵は誰ですか?」という質問にこう答えました。「自分自身です」そして彼は、その答えを説明しました。「技術と体は何とかできる。でも心の部分が難しい、相手よりも、自分に勝つ事の方が難しい!」
白鵬の態度は全てのクリスチャンが注目すべき態度です。忠実な信仰生活を望んでいる私達の一番の敵は私達です。
私達は、信仰生活の失敗を他の人のせいにするかも知れませんが、その失敗の本当の原因は私達の心の中にあります。
ダビデの経験を思い出して下さい。彼は大男ゴリヤテに勝つ事ができました。また、イスラエルの王になった時、彼は多くの敵を敗る事ができました。しかし、ダビデは自分自身の心に勝つ事ができなかったから、彼は大変な罪を犯しました。
箴言16:32に書いてあります。「自分の心を治める者は町を攻め取る者にまさる」また、箴言25:28に「自分の心を制することができない人は、城壁のない、打ちこわされた町のようだ」と書いてあります。
白鵬と同じように使徒パウロも「相手よりも、自分に勝つ事の方が難しい」と思っていたようです。なぜなら、第1コリント9:25に彼はこの言葉を書きました。「闘技をする者は、あらゆることについて自制します」 そして27節に彼は「私は自分のからだを打ちたたいて従わせます。それは、私がほかの人に宣べ伝えておきながら、自分自身が失格者になるようなことのないためです」と書きました。
「自分」と言う敵に負ける事がないように主と主の御言葉にすがりましょう。
忘れっぽい私

あるに日曜日の朝、私は小倉BBCのメッセージを見てから、博多南BBCのメッセージを見ていました。両方の教会で同じメッセージをする事が多いけど、その日に予定されていた博多南BBCの5周年記念集会のために特別なメッセージを準備しました。そのメッセージの最後の準備をしている時、私はある事を思い出しました。 特別な集会だから、私はメッセージを北九州の牧師に依頼していました。この大事な事を忘れた私はしなくてもいい準備をしました。笑いながら、私は忘れっぽい自分の事を責めました。
年をとればとるほど人間は忘れっぽくなります。大事な事を忘れないように私達はカレンダー・携帯・手帳・コンピュータ等を使います。しかし、神様は決して忘れっぽい神様になりません。この真実は神様を信じている私たちを励ましてくれます。
辛い試練の途中「神様はもう私の事を忘れたのではないか」と思った事がありませんか。聖書によると、神様は絶対に私たちを忘れません。イザヤ49:15に神様はこの約束をされました。「女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとい、女たちが忘れても、このわたしはあなたを忘れない。」
また、神様は私達の奉仕を忘れません。「牧師も教会員も私の奉仕を忘れている。 誰も感謝してくれない」と思った事がありませんか。それは事実であっても、神様はあなたの奉仕を見ておられます。「神は正しい方であって、あなたがたの行ないを忘れず、あなたがたがこれまで聖徒たちに仕え、また今も仕えて神の御名のために示したあの愛をお忘れにならないのです。」ヘブル人への手紙6:10
北九州の牧師の事を思い出した私は言いました。「ああ、忘れた!」神様は今まで一度も「ああ、忘れた!」とおしゃった事がありません。
これからもありません。だから、安心して主の働きに励みましょう。
阿蘇山上の事件
私たちは阿蘇山上で噴火後の火口を見下ろしていました。突然、風の方向が変わって、私達は硫黄の雲(火山ガス)に包まれました。牧師は、急変し、苦しそうに

時々、私達のたましいも同じ様な経験に遭います。すなわち、試練の雲に包まれて、霊的に窒息して苦しくなります。この様な経験に遭う時、私達のたましいを生かす事ができる唯一のものを忘れないように気をつけましょう。詩篇119:93にダビデは書きました。「私はあなたの戒めを決して忘れません。それによって、あなたは私を生かしてくださったからです。」
私たちと同じように、度々ダビデの心も悩み苦しみましたが、彼は助けになるものを忘れる程にその悩みに心を留める事がありませんでした。詩篇119篇の81節と83節に「私のたましいは、あなたの救いを慕って絶え入るばかりです。私はあなたのみことばを待ち望んでいます。たとい私は煙の中の皮袋のようになっても、あなたのおきてを忘れません。」と書いてあります。
アメリカの牧師は自分の弱さを知りながら、大事な吸入器を忘れる事によって、自分を非常に危険な状態に遭わせました。苦しみの日に聖書を忘れるクリスチャンも同じような間違いをします。どんなに悩むようになっても、聖書を読みましょう。詩篇119-153にある祈りと決心をしましょう。「私の悩みを顧み、私を助け出してください。私はあなたのみおしえを忘れません。」
不 老 の 泉
16世紀にJuan Ponce de León(フアン・ポンセ・デ・レオン)と言う探検家は青春を蘇らせる泉についての話を聞いて、その泉を探しに行きました。彼が見つけた泉は、今アメリカのフロリダ州のセント・オーガスティンと言う街にあります。私の母教会はフロリダ州のジャクソンビル市にあります。 ジャクソンビル市からセント・オーガスティンまで車で1時間以内に行けるから、私は「不老の泉」を見に行きました。もちろん私はこの伝説を信じていませんが、「もしかすると」と思いながら私もその泉の水を飲んでみました。もう40歳を越えていた私は全然若くなりませんでした。?!……
先日、病院に行った時、私は「不老の泉」の事を思い出しました。検査の結果は全部良かったから、医者は私に言いました。「今、足の痛みの他に問題はありませんよ」私は答えました。「先生、とても疲れやすい状態ですから、私を若くする薬はありませんか」私と殆ど同じ年齢である医者は笑いながら言いました。「そんな薬があったら、私がもう、とっくに飲んでますよ!」
残念な事ですが、人の青春を甦らせる泉も薬もありません。これは否定できない真実ですから、私は全ての青年にお勧めします。中年の時代を待たないで、今の青春の時代に心を尽くして神様を求めて下さい。まだ精力と勢いに満ちている間、自分の賜を生かして熱心に主に仕えて下さい。 「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ」伝道者の書12:1
使徒パウロが若いテモテに書いた言葉に心を留めて下さい。「年が若いからといって、だれにも軽く見られないようにしなさい。かえって、ことばにも、態度にも、愛にも、信仰にも、純潔にも信者の模範になりなさい」第1テモテの手紙4:12
詩篇71篇を書いた人は5節にこの言葉を書きました。「神なる主よ。あなたは、私の若いころから私の望み、私の信頼の的です」
青年達よ。老年になった時、同じ証しが出来る様に努めて下さい。
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