お酒・ゴルフ・銭湯

一緒に銭湯に行く事です。「とりあえず、タオルを持って、私について来て下さい!」
アメリカでは、他の男性と一緒に裸になる習慣がありません。だから友達は幾分戸惑って、一緒について行き、お風呂に入ります。そして入浴後、友達は言いました。「最初は、かなり恥ずかしかったが、行ってよかった。気分が爽快なりました。」
人々は、友達同志で交わりをする必要を認めます。だから、友達同志の交わりが必要であれば、クリスチャン同志の交わりはもっと必要です。
使徒の働き2:42に私達は、健全な教会の四つの特徴を見る事ができます。
「彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。」
「全ての交わりが、霊的な交わりであるべきだ」という考えがあります。すなわち、交わりは一緒に聖書を読んだり、祈ったり、教会に関係のある事を話したりする事です。しかし、使徒の働き2:42を読むと、交わりは聖書の教えと祈りとパンを裂く事とは違うことだとわかります。
もちろん私は、教会の皆さんにお酒 ・ ゴルフ ・ 銭湯での交わりを勧めるつもりはありませんが、一緒に楽しい事をする事によってお互いに励まし合う事ができるなら、様々な交わりの方法を利用しましょう。
「見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。」詩篇133:1
ステファニーちゃんの復讐

日本に来たばかりの宣教師の家族は、住まいが見つかる間、私の家に泊まりました。その家族にステファニーと言う女の子がいました。食事の時に、ステファニーちゃんが、よそ見している隙に、私はマヨネーズの瓶を取って、彼女の腕にマヨネーズを少し付けました。もちろん、ステファニーは驚きました。彼等が家に泊まっている間、私は何回も近くにあるマヨネーズやケチャップやマスタードを彼女の腕に付けました。
数年間、日本で伝道してから、その家族の息子は重い病気になったので、彼等はアメリカに帰らなければなりませんでした。
そして十数年経ちました。ある時、私の家族がアメリカに帰っている間に、私達はステファニーの家族に合いに行きました。彼女の両親と話している時に、突然私は腕に冷たいものを感じました。見たら、腕に大なマヨネーズの山がありました。手にマヨネーズの瓶を持っているステファニーは嬉しそうにニコニコしていました。
人間の生まれつき持っている本能は、自分に対して悪い事をした人や自分について悪い事を言った人に復讐する事です。しかし、イエス・キリストは私達に最も高い生き方の模範を示して下さいました。キリストは、何の罪もなかったのに、彼は十字架につけられました。その様な状況において、ほとんどの人は恨みの言葉を叫ぶに違いありません。しかし、十字架の上で苦しんでおられたキリストの言葉は敵のための祈りでした。
「父よ。彼らをお赦しください。」ルカ23:34
だれかに復讐したくなった時、ルカ6:28に書いてあるキリストの言葉を思い出して下さい。 「あなたをのろう者を祝福しなさい。あなたを侮辱する者のために祈りなさい」
同時に、隣人に対して、復讐させる原因になるような行動や言葉に注意しましょう。
「だれも悪をもって悪に報いないように気をつけ、お互いの間で、またすべての人に対して、いつも善を行なうよう務めなさい。」第1テサロニケ5:15
醤 油 の 跡

袋に入れる時、私は気が付きませんでしたが、醤油のボトルの蓋が少し開いていて、醤油は袋の中で少しこぼれていました。教会の冷蔵庫に入れる前に瓶を洗った方がいいと思い、私はそのボトルを会堂の部屋から台所まで持って行きました。ボトルを綺麗に洗ってから、私は会堂に戻ろうとした時、床を見てビックリしました!私が醤油のボトルを台所に置いた所から、点々と数センチ置きに醤油が落ちました。会堂から台所まで醤油の跡が残りました。私は床を綺麗に拭いて、そして醤油のニオイが日曜日までに消えて、残らないようにと祈りました。
醤油の跡を見た時、私は黙示録14:13の言葉を思い出しました。「彼らの行ないは彼らについて行きます。」いつか私たちは天に召されますが、私たちは行いの跡を残します。使徒パウロと同じように「締まりのないことをせず、私達の跡に来る方々のために立派な模範を残しましょう。」(第2テサロニケ3:7-9)
特に、親達は自分が残す行いの跡について真面目に考える必要があります。今、自分の子供のためにどんな跡を残していますか?。不信仰の跡でしょうか?怒りや憎しみや恨みの跡でしょうか?子供に「愛、親切、おもいやり」などの言葉を話しても、私達が残した跡を見る子供は私達の言葉を無視して、私達の行いの真似をします。だから、第1テモテ6:11と第2テモテ2:22に書いてある通りに、「正しさ、敬虔、信仰、愛、忍耐、柔和」を追い求めましょう。
私は自分の跡を見て、醤油の跡を見ました。あなたの今までの生活の跡に見える跡は何ですか?
満タンにして下さい

スタンドを出てから15分後に私はチラッとガソリン燃料計を見てビックリしました。3/4も入っていませんでした!私は「満タンにして下さい!」と言ったのに、スタンドの方は3/4も入れてくれなかったから、北九州に帰る途中、私は広川サービス・エリアのスタンドでまたガソリンを入れなければなりませんでした。
「満タンにして下さい!」と頼んだのに、満タンに出来なかった事は、この世の多くの人々を表しています。それは、この世のもの、すなわち快楽・スポーツ・お酒・宗教・富・仕事・教育等に「私の心を満タンにして下さい!」と頼むのに、彼等の心は決して満たされません。
彼等の経験は聖書の伝道者の書を書いたソロモンという人の経験と同じです。
「私は心の中で言った。『さあ、快楽を味わってみるがよい。楽しんでみるがよい。』しかし、これもまた、なんとむなしいことか。」伝道者の書2:1
「私は、私の目の欲するものは何でも拒まず、心のおもむくままに、あらゆる楽しみをした。しかし、振り返ってみると、なんと、すべてがむなしいことよ。風を追うようなものだ。」伝道者の書2:10-11
そうです。この世のものに「私の心を満たして下さい!」と頼む事は風を追うような空しい事です。しかし、キリストを信じる信仰によって神の子供となる私達は神様に「私の心を満たして下さい!」と頼めば、神様は私達にいつまでも残る心の満たしを与えて下さいます。
「まことに主は渇いたたましいを満ち足らせ、飢えたたましいを良いもので満たされた。」詩篇107:9
突然の検査
新年あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い申し上げます。
今年もよろしくお願い申し上げます。
先日私は、病院に薬を取りに行きました。普通は、医者が私の血圧を調べてから、私は帰りますが、突然医者は「今日、血液の検査をしましょう」と言いました。私は糖尿病にかかっているので、いつも喜んで検査を受けるけれど、今回私は喜べなかった。医者が「今日、血液の検査をしましょう」と言った時、私は「しまった!」と思いました。

聖書に「あすのことを誇るな。一日のうちに何が起こるか、あなたは知らないからだ。 」と書いてあります。(箴言27:1)
2011年の間に突然、起こるかも知れない事は二つあります。まず今年あなたは突然死ぬかもしれません。あるいは、今年主の再臨が突然起こるかもしれません。
まだ、キリストを信じていない方は私と同じ様に「しまった!」と叫ぶでしょう。だから、聖書に「神に会う備えをせよ。」と書いてあります。 (アモス書4:12)
もう、すでにキリストを信じているけど、主に喜ばれる生活をしていない方も「しまった!」と叫ぶでしょう。その人の魂は救われるけど、キリストの裁きの座の前に現れて、その肉における行為の「検査」を受ける時、彼らは困るでしょう。
今年、突然主に「今日、魂の検査をしましょう!」と言われても、その検査を喜んで受ける事が出来るように神様にある備えをしましょう。
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