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神様、巨人を助けてください 

祈り 集会の祈りの中で私は一人の姉妹の主人のために祈る事にしました。祈りながら、私はどのように祈るか決めようとしていました。 「姉妹の御主人を助けて下さい」と祈ってもいいし、また「兄弟を助けて下さい」でもいい。「御主人」にしょうか「兄弟」にしょうかと迷っていた私は「兄弟」「兄」「主人」「人」を付けて「神様、巨人を助けて下さい」と祈りました。
祈りが終わった時、私は牧師の顔を見ました。巨人ファンである彼はニッコリ笑っていました。しかし私は巨人のファンではありませんから、後で私は祈りました。「神様、前の祈りを無視して下さい」クリスチャンになってから、私は初めて神様に私の祈りを無視して戴きました。
ある日、婦人会で私は一人の姉妹のために祈りました。わたしは、「神様、姉妹を支えて下さい」と祈るつもりでしたが、私は間違って「神様、姉妹を押さえて下さい」と祈りました。もちろん、婦人達は笑いました。

このように私は何回も祈っている時に混乱して(特に日本語で祈っている時)どのように祈ったらいいかわからない経験があるからこそ、私はローマ人への手紙8-26に書いてある約束を感謝します。
「御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。」

聖書の中で祈る事は主の前に心を注ぎ出す事とたとえられています。(第1サムエル記1-15)そうする時に、心にある願い事はちゃんと言葉にならないかもしれませんが、聖霊は私達のためにとりなして下さいます。

「すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。」エペソ人への手紙6-18

買いたくなかった醤油 

醤油 私達が日本に来たばかりの頃、軽トラックの移動販売車でケチャップ・マヨネーズ・醤油・ジュース等を販売している人が家に来ていました。私達は全く日本語が出来なったし、彼もほとんど英語がわかりませんでした。
妻は英語で彼に言いました。「I want to buy some vinegar.」(酢を買いたい)彼はわかりませんでした。妻はもう一回ゆっくり言いました。 「I want to buy some vinegar.」やはり彼はわかりませんでした。妻は考えました。「もっと、ゆっくり言ったら、彼はわかるかもしれない」
「Vinegar! Vin-e-gar!」彼はやはり、わかりませんでした。
全く通じていないとわかった妻は、また考えました。「一緒に軽トラックまで行って、彼に見てもらおう!」妻は彼に言いました。「I will show you.」(show you=見せる)コレを聞いた彼は答えました。 「あ~、醤油ですか!」彼は軽トラックまで走って、醤油を持って来ました。妻はあきらめて、その醤油を買いました。
最初の数年間に、日本語がわからない私達と英語がわからない人々の間に、このような誤解が沢山ありました。

しかし、誰もイエス・キリストの言葉を誤解する筈はありません。なぜなら、キリストは子供にもわかることばで御自身を紹介しました。

「わたしがいのちのパンです」ヨハネの福音書6-35
「わたしは世の光です」ヨハネの福音書8-12
「わたしは門です」ヨハネの福音書10-9
「わたしは道です」
ヨハネの福音書14-6

日本人は、外国人が酢の事を言っているのか、醤油の事を言っているのか、わからないかも知れませんが、誰でもパン・光・門・道のような簡単な言葉はわかります。だから、キリストが与えて下さる救いを受けるために信仰が必要です。理解ではありません。

「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたは救われます」使徒の働き16-31

600まで数える 

baptism 一人の高校生は、キリストを信じて、「バプテスマを受けたい」と言ったので、ある日曜日の午後に私達はバプテスマのプールのある教会に行きました。途中で私は一度もバプテスマ式を見た事のない彼に説明しました。そして、今回、私はいつもの説明に一つの事を付け加えました。
「あなたを水の中に入れてから、私は600まで数える」彼は何も言いませんでした。しかし、時計を見ながら、彼は600まで数える時間を計算しました。しばらく待ってから、私は彼に言いました。「なぜ、日本の教会の人数が少ないか分かりますか?バプテスマ式のときに死ぬ人が多いからです」 彼の額に汗が表れました。
バプテスマ式の前に私は彼に本当の事を話すつもりでした。 しかし、教会に着いてから、私は皆さんとの交わりに夢中になって「600まで数える話は冗談です」と言い忘れました。彼は本当に600まで息を殺さなければならないと思いながら、水の中に入りました。もちろん、私は彼を水の中に入れて、そしてすぐ引き上げました。 

今でも、この事件を思い出すと私は笑います。しかし、同時に私は彼の信仰と従順を尊敬しています。彼は、生命の危険をおかすほどにキリストの模範に従いました。
「そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来られ、ヨルダン川で、ヨハネからバプテスマをお受けになった。」マルコの福音書1-9

ペテロの説教を通してイエスを信じた人々の模範もあります。「そこで、彼のことばを受け入れた者は、バプテスマを受けた。」 使徒の働き2-41

バプテスマを受けるにふさわしくないと思っている人々もいますが、バプテスマを受ける条件はキリストを信じる事だけです。(使徒の働き8-36~37)

バプテスマはクリスチャンが祈るべき決心ではありません。 従うべき命令です。「イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。」
使徒の働き2-38


寒い時になかなか点かないライト 

蛍光灯 私は、毎月第2と第4の土曜日に北九州教会の婦人会に行きます。北九州教会の牧師が聖書を教えて、その後、私が英語を教えます。先月行った時、私は会堂がちょっと暗いな~と感じて、天井を見ると会堂に2本の蛍光灯があるのに、一つだけしか点いていませんでした。AM10:30に婦人会が始まり、もう一本の蛍光灯は、まだ点いていませんでした。そして英会話が始まった時、その蛍光灯は、やはりまだ点いていませんでした。英会話の途中、AM11:20頃蛍光灯は、ようやく点きました。点くのに50分もかかりました。
後で私は牧師に聞きました。「あの蛍光灯は、どうしてなかなか点かないのですか?」牧師は答えました。「暑い時には、すぐ点きますが、寒い時にはなかなか点きません」


クリスチャンの皆さん、私達の信仰生活は、北九州教会の蛍光灯の様になってはいけません。マタイの福音書5-16でキリストは言われました。「あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行ないを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」

キリストは我等に、この大事な任務をお与えになったので、私達は暑い時も寒い時も光を輝かせましょう。すなわち「暑い」祝福の中にいるときも「寒い」試練の中にいるときも、キラキラと光っている信仰生活を守りましょう。

マタイの福音書5-14でキリストは言われました。「あなたがたは、世界の光です。」また、ピリピ人への手紙2-15~16「あなたがたが、非難されるところのない純真な者となり、また、曲がった邪悪な世代の中にあって傷のない神の子どもとなり、いのちのことばをしっかり握って、彼らの間で世の光として輝くためです。」と書いてあります。

信仰生活が非常に寒い冬になっても光りましょう。
「時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。」第2テモテへの手紙4-2

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