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大震災に負けなかった新聞 

日日新聞 石巻日日新聞は1913年に創刊されました。約100年間この新聞は忠実に宮城県の人達にニュースを伝えています。しかし、今年の3月11日にこの新聞は過去最も難しい状況に置かれました。午後2:46に建物は激しく揺れました。新聞社のコンピュータはこの大地震によって破壊され、印刷機は地震の後の大津波に襲われました。

しかし、新聞社社長の近江弘一さんと編集長の武内宏之さんは大震災に負けませんでした。
3月12日から6日間、彼らは寒い建物で新聞の編集の仕事を続けました。勿論、停電していたため、彼等は懐中電灯の光で新聞を手書きしました。通常新聞の発行部数は14,000部ですが、大震災の次の日に彼らは6部の新聞を公民館やコンビニに掲示する事ができました。

この出来事は世界の注意を引きました。アメリカのNew York TimesとWashington Postに記事が掲載されました。
また、ワシントンにあるニュージアム博物館は手書きの石巻日日新聞を7枚展示する事にしました。

新聞の任務を果たした石巻日日新聞は全ての教会に素晴らしい模範を示しました。

キリストは教会にこの任務をお与えになりました。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。」マルコの福音書16:15

どんな状況に置かれても、教会はこの任務に励むべきです。人生の「地震」が起こっても、試練の「津波」に襲われても、私たちも天国の新聞を忠実に配達しましょう。
武内さんは言いました。「大切なのは新聞の大きさではなくて、新聞の熱心さです」この文章に「新聞」という言葉の代わりに、「教会」を入れましょう。「大切なのは教会の大きさではなくて、教会の熱心さです。」その通りです。会堂や献金や設備ではありません。大切なのは一人ひとりの教会員の熱心な伝道です。

「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。」第2テモテへの手紙4:2

※沖縄タイムス(津波・停電も「新聞出すぞ」石巻日日新聞、手書きで発行)
http://www.okinawatimes.co.jp/article/2011-04-10_16503/

娘を捜しているお母さん 

娘を捜す母 大震災が起こってから、もう3ヶ月経ちます。6月14日の新聞によると、まだ7,931人が行方不明です。
その中に三浦ゆうちゃんと言う3歳の子供がいます。ゆうちゃんの家は津波で押し流されました。
ゆうちゃん、ゆうちゃんのお父さん、おじいさん、おばあさんも流されてしまいました。お父さん、おじいさん、おばあさんの遺体は確認されましたが、ゆうちゃんはまだです。
大震災の日に、ゆうちゃんのお母さん三浦菜緒さんは気仙沼にいました。歌津にある家に帰るのに3日間かかりました。今日まで三浦さんは毎日娘を捜し続けています。三浦さんはゆうちゃんがゴミと一緒に運ばれる事を心配しています。ゴミ処理作業員の方々に注意深くするようにお願いしました。

三浦さんは「娘を見つけるために私は出来るだけの事をしたい」と言いました。ある日、ゆうちゃんを捜している時、三浦さんは近くに飛んでいるメスのかぶと虫を見て、ある事を思い出しました。2歳の時、ゆうちゃんは「大きくなって、私はメスのかぶと虫になりたい」と言った事です。かぶと虫を見て、三浦さんはこの誓いをたてました。「再び、ゆうちゃんに会うまで、私はここから離れません」

この記事を読んだ時、私は娘を捜しているこのお母さんの愛と情熱に感動しました。また、このお母さんの愛は私に罪人を捜しておられるキリストの愛を思い出させました。

聖書のルカの福音書19:10「人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」と書いてあります。「人の子」とはキリストの事です。キリストは、神様から離れて、失われている者になった私達を捜して救うために、天国を出てこの地上に来られました。
「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた。」第1テモテへの手紙1:15

娘を捜しているお母さんについての記事を読んだ時、私はこの質問に責められました。「今、私は同じ情熱を持って失われた魂を捜しているだろうか。今、私は魂を見つけるために出来るだけの事をやっているだろうか」クリスチャンの皆さん、このお母さんがたてた誓いと同じ様に誓いをたてようではありませんか。
すなわち
「失われた魂を見つける事ができるまで、私はあきらめません」

指きりげんまん 

「指きりげんまん   嘘ついたら   針千本飲ます」

指切り お互いの小指を曲げ組み合わせて「指切りげんまん」をする子供達を初めて見た時、私はその習慣がとても可愛いしぐさだと思いました。そして、この43年間ずっとそう思ってきました。
しかし最近、私の友達はその誓いの意味を教えて下さいました。それは、約束を守る誓いをたてる人は、その誓いを破ったら、針を千本飲まなければなりません。「指切りげんまん」の意味を知った私はビックリしました。もはや私はその習慣が「可愛い」と思えません。「恐ろしい」と思うようになりました。

もちろん私は約束を破った人に針を千本飲ませる事はないと分かっています。そして、私は約束を守る事の重大さを教える「指切りげんまん」がとても気に入っています。やはり、私たちは約束を守るべきです。


聖書はクリスチャンの言葉が健全な言葉であるべきだと教えています。
「すべての点で自分自身が良いわざの模範となり、教えにおいては純正で、威厳を保ち、非難すべきところのない、健全なことばを用いなさい。」テトスへの手紙2:7-8a
約束を破るクリスチャンの言葉は自分自身にも自分の教会にも恥をかかせる言葉となります。

人間同士で約束した事を守る事が大切であれば、神様に約束した事を守る事はもっと大切です。
「神に誓願を立てるときには、それを果たすのを遅らせてはならない。神は愚かな者を喜ばないからだ。誓ったことは果たせ。」伝道者の書5:4

また、申命記23:21「あなたの神、主に誓願をするとき、それを遅れずに果たさなければならない。あなたの神、主は、必ずあなたにそれを求め、あなたの罪とされるからである。」と書いてあります。

神様と指切りげんまんをする時、約束を守りましょう。守らないなら、針千本を飲む事より大変な事があるかも知れません。

仕返し! 

仕返し 5月の青年キャンプに行った時、私達は大変な渋滞に巻き込まれました。キャンプの主催教会の先生と奥さんから何回も電話がありました。「今どこですか」最後の電話を受けた時、私達はキャンプ場の前に立っていました。先生の奥さんが「今どこですか?」と聞いた時、私は「あと20分で着きます」と答えました。1分後にキャンプ場にいる私達を見た奥さんは驚きました。彼女は「また、ボード先生の冗談に一杯食わされた!」そんな面持ちでした。

私は3人の先生達と一緒に畳の部屋に泊まるはずでしたが、500円を払えば、ベッドがあるシングルの部屋に泊まる事ができると言われたので、私はそうしました。次の朝2泊の1,000円を払いに行った時、奥さんは「先生、1泊500円ではありませんよ!5,000円です。10,000円ください」と言いました。10,000円を持っていなかった私は抗議しました。「でも私は500円と聞いたよ」と言うと、奥さんは「聞き間違いです。5,000円です」と答えました。非常に困っている私をしばらく見つめてから、奥さんは笑いながら「仕返しです!」と言いました。
私は彼女を褒めました。「今まで私の冗談を返す事が出来た人は、ほとんどいません。お見事!参りました!!」

私は冗談の種を蒔いて、冗談を刈り取りました。聖書に書いてある通りです。「思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。」ガラテヤ人への手紙6:7-8

「種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。」 この原則は「収穫の原則」と呼ばれています。この原則を教える聖書の箇所は沢山あります。例えば、箴言22:8「不正を蒔く者はわざわいを刈り取る。」と書いてあります。

また、ホセア書10:12「あなたがたは正義の種を蒔き、誠実の実を刈り入れよ。」と書いてあります。

今、私達は人生の庭にどんな種を蒔いているでしょうか?収穫が来る時、どんな実が生るのでしょうか。

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