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だまされたマテ貝! 

マテ貝 夏キャンプの2日目の午後に私達は行橋市の蓑島海岸に行って、海の中を歩いたり貝殻を集めたりして楽しいひと時を過ごしました。
私が海岸を歩いている時、一人の男性の行動を見て好奇心をかきたてられました。
彼は砂をならして、プツプツの穴に何かを入れて、そして穴から何かを引き上げました。 
私は近づいて彼に聞きました。「何をしているのですか?」彼は「マテ貝を採っていますよ」と答えました。私は「見てもいいですか?」と聞きました。彼は「どうぞ!」と答えました。
彼がまた砂をならして、その中に何かを入れた時、私はビックリしました。砂の中からマテ貝が出てきました。彼はその貝をつまんで簡単に採る事ができました。私は「穴に何を入れたのですか?」と聞くと、彼は説明しました。
「塩です。今は干潮です。塩を入れると、マテ貝はもう満潮になったと思って、砂の中から出てくるのです。」

塩によって、だまされるマテ貝を見た時、私は様々なものにだまされている人々を見る事ができました。例えば、富によってだまされている人々がいます。(マタイの福音書13:22)この人々は富が幸福な人生をもたらすと思っています。

しかし、ルカの福音書12:15にキリストは言われました。
「いくら豊かな人でも、その人のいのちは財産にあるのではないからです。」


また、神様を知らない人々の哲学によってだまされる人々もいます。だから、コロサイ人への手紙2:8「あのむなしい、だましごとの哲学によってだれのとりこにもならぬよう、注意しなさい。」と書いてあります。

また、キリストの使徒に変装している人々の働きや滑らかな言葉と諂いの言葉によってだまされる人々もいます。
ローマ人への手紙16:17-18、 第2コリント人への手紙11:13

教会の誰一人もだまされたマテ貝の様にならないために、ヘブル人への手紙3:12-13の言葉を守りましょう。
「兄弟たち。あなたがたの中では、だれも悪い不信仰の心になって生ける神から離れる者がないように気をつけなさい。日々互いに励まし合って、だれも罪に惑わされてかたくなにならないようにしなさい。」 

なるべく早く避難してください! 

台風 9月3日に台風12号が奈良県五條市に上陸した時、竹原設治さんは大塔町の役場に避難しました。しかし、竹原さんは熊野川の近くにある辻堂地区に住んでいる人々を心配し、彼は辻堂地区に戻って、川沿いにある34件の住民の家を1軒1軒訪ね「なるべく早く避難して下さい!」と伝えました。辻堂地区に住んでいる58人中90%は65歳以上の方々です。竹原さんは彼らを手で引っ張ったり、後から押したりして全員を役場まで避難させる事ができました。その後、辻堂地区に土砂崩れが起こりました。彼の行動は彼等の命を助けました。

なぜ、竹原さんは辻堂地区の住民が危険と分かったのでしょうか?
1889年にも1953年にも辻堂地区で台風による被害で多くの方々が亡くなりました。竹原さんの両親は彼にその事を話して台風の時、避難するように繰り返し伝えたそうです。竹原さんは言いました。「過去の台風を通して学んだ事が役に立ってよかった!」

エドマンド・バークと言うイギリス人は言いました
"Those who don't know history are destined to repeat it."
(歴史を知らない人は、それを繰り返してしまいます)

すなわち、過去の事を無視する人は過去の人々の経験と同じ経験に遭います。

聖書は同じ事を教えています。
ローマ人への手紙15:4「昔書かれたものは、すべて私たちを教えるために書かれたのです。」と書いてあります。 

また、第1コリント人への手紙の10章の前半はイスラエル人の罪を並べ立ています。
彼らは偶像を礼拝しました。(7節)
彼らは姦淫をしました。(8節)
彼らは主を試みました。(9節)
彼らはつぶやきました。(10節)
そして11~12節「これらのことが彼らに起こったのは、戒めのためであり、それが書かれたのは、世の終わりに臨んでいる私たちへの教訓とするためです。ですから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい。」
と書いてあります。

旧約聖書の面白い話は私達を楽しませるためではありません。私達を罪より生じる土砂崩れから助けるためです。その教訓を無視してはいけません。

ソース:毎日新聞

http://www.mainichi.jp/kansai/news/20110914ddf041040023000c.html


逆さまの燃料ゲージ 

石油ストーブ むかし、私は新しい石油ストーブを買って、家に持ち帰り、灯油を一杯にしました。次の日ストーブのゲージを見た時、私はちょっとビックリしました。灯油は殆どなくなっていました。灯油がすごく早くなくなったなぁと思いなが、私は灯油缶をもって来て、灯油を入ようとしたら、灯油が床に溢れました。
私はもう一度ゲージを見ました。ずっと下の方だったのに、タンクは一杯でした。

普通ストーブの灯油が減ると、ゲージ目盛は少しずつ下がります。
私が新しく買ったストーブのゲージ目盛は反対でした。ゲージは逆さまになっていました。灯油が一杯の時、ゲージ目盛は下の方にありました。灯油が少なくなっていくと、ゲージ目盛は少しずつ上がります。そうです、目盛が上の状態ではカラッポでした。目盛が下の状態では一杯でした。(このストーブにゲージを取り付けた人は二日酔いをしていたのではないしょうか?)

この逆さまのゲージは私達の心に似ています。私達が高慢になって、自分を高くするときに、心はカラッポです。主の愛が宿っていない心になります。私達がへりくだって、自分を低くするときに、神様の愛は私達の心に満ち溢れます。

ヤコブの手紙4:6に書いてある通りです。
「神は、高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお授けになる。」

ルカの福音書18:14でキリストは言われました。
「だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」
すなわち、誰でも自分を高くする者は空しくなり、自分を低くする者は満たされます。

あなたの心のゲージを見て下さい。今、上ですか?下ですか?主の愛に飢えている心ですか?主の愛に満ちている心ですか?

「みな互いに謙遜を身に着けなさい。神は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えられるからです。ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。」
第1ペテロの手紙5:5-6

愛ちゃんの勇気 

愛ちゃん 去年鹿児島のキャンプに行った時、私は牧師のお孫さん、愛ちゃんをダッコする事ができました。しかし、今年は全く違いました。私は何回もお母さんに抱かれている愛ちゃんに手を伸ばしたけど、彼女は来て来れませんでした。
 
そんな事で簡単に諦めない私は考えました。もし、愛ちゃんに笑らってもらう事ができたら、彼女は安心して私の所に来るではないかと思い、私は面白い顔をしたり、口で色んなおかしな音を出しました。しかし、愛ちゃんには何の反応もありませんでした。私は彼女に話しかけたけど、彼女は一言も答えません。

夜の集会が終わってから、私はもう一度、愛ちゃんに接触してみました。今度、愛ちゃんは私のおかしな顔や口の音に反応して笑ったし、私の言葉に答えました。午後の愛ちゃんと夜の愛ちゃんの違いは何でしょうか?午後に愛ちゃんはお母さんに抱かれていたけど、夜はお父さんに抱かれていました。お父さんに抱かれている時、愛ちゃんは勇気のある愛ちゃんに変わりました。

クリスチャンもそうです。いつでも、どこに行っても、天のお父様は自分と一緒におられる事を実感しているクリスチャンは勇気のあるクリスチャンです。申命記31:6に書いてある通りです。「強くあれ。雄々しくあれ。彼らを恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主ご自身が、あなたとともに進まれるからだ。主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。」
愛ちゃんと同じ様に、私達も、天のお父さんに、抱かれているから、この世の生き方と違う生き方をする勇気があります。 

教会に「行って、あらゆる国の人々を弟子にしなさい」と言う命令をお与えになったイエス様はこの言葉に次の言葉を付け加えました。
「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」マタイの福音書28:19-20 この言葉を信じているクリスチャンには周りにいる人々に福音を宣べ伝える勇気があります。

勇敢な信仰生活をする模範を残したダビデは詩篇27:1に自分の勇気の源を説明しました。「主は、私の光、私の救い。だれを私は恐れよう。主は、私のいのちのとりで。だれを私はこわがろう。」

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