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信仰生活のフィルター 

coffee maker 私が初めて日本に来た時(43年前)、コーヒーを飲む日本人はそんなに多くなかったし、コーヒーショップが少なかった。友達の家や店や教会に行った時、お茶を飲みました。今、コーヒーショップは多し、自販機に缶コーヒーの種類も沢山あります。どこかに行く時、お茶ではなく、コーヒーが出ます。

多くの牧師達と宣教師達はコーヒーが大好きです。私も好きですが、毎朝一杯しか飲みません。私の味覚は少し鈍感です。高いコーヒーと安いコーヒーの区別がつかない私は家でインスタントコーヒーを飲んでいます。

私はコーヒーメーカーの使い方もよく分かりません。金曜日の英会話に来る生徒達のためにコーヒーを作る時、私は英会話の先生に教えられた通りに作ります。先日作った時、私はスプーン一杯のコーヒーをコーヒーメーカーに入れる直前、まだフィルターを入れてないことに気がつきました。そのまま入れたら、大変な事になったでしょう。やはりおいしいコーヒーを作りたいなら、フィルターが必要です。

同じ様に、喜ばしい信仰生活をしたいなら、フィルターが必要です。クリスチャンは自分の人生の経験や自分の周りに起こっている出来事を理解するために、その経験と出来事を「聖書」というフィルターに通すべきです。すなわち、私達は経験や出来事を聖書を通して解釈すべきです。反対に、自分の経験を通して聖書を解釈するとき、私達は神様についての間違った考え方をするし、聖書よりも経験を重んじる間違いから生まれる異端を信じる様になるかもしれません。

第2テモテへの手紙3:16-17に書いてあります。
「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。」

神様の霊感によって与えられた聖書こそが私達のし信仰生活のフィルターであります。毎朝、家を出る前に、このフィルターを心に入れましょう。

私は高齢者です! 

 先日、私はポストの中にイヤなハガキを見つけました。そのハガキに「高齢者講習受講通知書」と書いてありました。私は思いました。「高齢者?この家に高齢者は住んでいませんよ。郵便配達人の間違いでしょう!」しかし、ハガキの宛名は私の名前でした。

高齢者講習 正直に言えば、ショックでした。「高齢者」と呼ばれるのは、はじめてでしたは自分が高齢者である事を認めたくありません。しかし、事実です。私は高齢者です。来年、運転免許証を更新する前に私は70歳になります。ハガキによると、70歳以上の方は高齢者講習を受けなければなりません。受けないと免許証を更新する事ができないのです。

なぜ、今まで自分は高齢者だと思わないかというと気が若いからです。私の身体は69歳ですが、私の心は29歳です。残念な事で、私の69歳の体はもはや私の29歳の心は聞きません。心が体に命令する時、体は「冗談でしょう!」と答えます。

私は高齢者ですが、これからも主のために御奉仕を忠実に続けたいと思います。
クリスチャンにとって定年退職する事がありません。教会で奉仕をする元気がある限り私たちは主に仕えるべきです。

 ◆モーセとアロンがイスラエルの民を解放に行った時、
   モーセは80歳、アロンは83歳でした。
(出エジプト記7:7)
 ◆敵を追い払ってヘブロンを自分の相続地にした時、
   カレブは85歳でした。
(ヨシュア記14:10-11)
 ◆84歳のアンナは夜も昼も神に仕えていました。
   
ルカの福音書2:37

私達は高齢者になっても、
テトスへの手紙2:2-3に書いてある勧め守りましょう。
「老人たちには、自制し、謹厳で、慎み深くし、信仰と愛と忍耐とにおいて健全であるように。同じように、年をとった婦人たちには、神に仕えている者らしく敬虔にふるまい、悪口を言わず、大酒のとりこにならず、良いことを教える者であるように。」

笑 点 

笑点 普通テレビを見る時、私は英語の番組を見ます。しかし、大好きな日本語の番組が一つあります。笑点です。アメリカに笑点に似ている番組が一つあります。「What’s My Line?」という番組です。但し、アメリカの番組には座布団がありません。笑点の方が面白いです。
私は笑点の大喜利レギュラーの方々みんな好きですが、特に林家木久扇と三遊亭円楽が好きです。林家木久扇のバカバカしい話に反応する司会者の桂歌丸の顔を見る時、私はゲラゲラ笑います。
私は三遊亭円楽が一番上手だと思います。真面目にやったら、すぐ座布団10枚をもらう事ができるのに、彼はわざと桂歌丸をからかうので、座布団を全部取られる事が多いのです。ある時、桂歌丸を怒らせた三遊亭円楽の言葉のせいで、みんなの座布団が取られてしまいました。

それを見た時、私は聖書が教えている原則を思い出しました。私達の行動と言葉は他人に影響を与えるという原則です。最も有名な例はヨシュア記7章に記録されているアカンという人の罪です。アカンの罪のために36人の兵隊が殺されました。(5節) さらに、イスラエル全会衆の上に神様の怒りが下りました。ヨシュア記22:20「彼の不義によって死んだ者は彼ひとりではなかった。」と書いてあります。

毎朝新聞を読む時、私はそれと同じ様な事件を見ます。
飲酒運転による死亡事故のゆえに、運転手の家族も相手の家族も不幸になります。多額の借金を抱え込んだ人も家族も自殺してしまいます。犯罪を犯して刑務所に入るお父さんは奥さんと子供達を悲しませます。浮気をする主人や妻の罪が幸福な家庭を壊してしまいます。

笑点の場合、みんなが失う物は座布団だけですが、私達は笑う事ができます。
しかし、私達の行動と言葉が他人に有害な影響を与える時、笑い事ではすまされません。
「ですから、私たちは、すべての人に対して、善を行ないましょう。」
ガラテヤ人への手紙6:10

3秒間 

 最近、私に3秒間の重要性を教える事件が2つありました。

3秒間 まず、私が教会の近くの蕎麦屋で食べた時の事です。店人が蕎麦を作る時、蕎麦の麺をお湯に入れて、タイマーを13秒にセットして茹でます。10秒は早すぎるが、16秒では遅すぎます。お客さんに最も美味しい蕎麦を食べてもらうために、彼必ず13秒後に蕎麦をお湯から出して、お客さんのテーブルに持って行きます。
彼は、お客様に出来るだけ美味しい蕎麦を食べてほしいのです。お客様がすぐに蕎麦を食べないと彼は困惑します。
蕎麦を食べる前に、私は感謝の祈りをしました。普通よりちょっと長すぎた私の祈りは店の御主人をがっかりさせました。その事を知った私は笑いながら「今度は、来る前に祈りをしてきます!」と約束しました。

もう一つの事件は買物から帰る途中の出来事です。交差点に近づいた時、女性が運転している車は猛スピードで左方向から交差点に進入しました。彼女側の交差点進入手前には「止まれ」の標識があったのに止まらなかっただけではなく全くスピードを落とさないで交差点を通過して行きました。
もし、私が3秒早かったら、大変な交通事故に遭ったに違いありません。死亡した可能性も高いと思います。

こんなに死に近づていた私は第1サムエル記20:3に書いてあるダビデの言葉を思い出しました。「私と死との間には、ただ一歩の隔たりしかありません。」
私の場合、一歩ではなく、3秒間でした。私と死との間には、3秒間しかありませんでした。ダビデの言葉も私の経験も「人生の無情」を表しています。

次の交差点に進入する時、次の角を曲がる時、今度、家を出る時3秒間後に何が起こるかわかりません。
それ故に、聖書は私達に神様に会う備えをするように勧めています。(アモス書4:12) 第2コリント6:2「今は恵みの時、今は救いの日です。」と書いてあります。

今日、信仰に導く神様の御声を聞く人は心をかたくなにしてはなりません。 (ヘブル人への手紙4:7)なぜなら、私達は3秒後に何が起こるかわからないのです。

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