田舎のゴミ袋
アメリカではゴミを分別しません。全てのゴミ(家庭ゴミ・プラスチック・ペットボトル・ビン・缶)を同じゴミ袋に入れます。町の指定袋を買う必要もありません。どんな袋でもいいのです。
日本はゴミを分別しなければなりません。私の台所に4つのゴミ袋があります。 ①家庭用ゴミ袋、②ペットボトル用袋、③プラスチック用袋、④ビンと缶用袋です。時々どの袋に入れたらいいのか分からないゴミもあるので困ります。
鹿児島県の長島にある教会の台所にゴミ袋は一つしかありません。 生ゴミを除いて、教会の方々は全てのゴミをその一つのゴミ袋に入れます。 生ゴミを処理する方法を初めて見た時、私はビックリしました。彼らは窓を開けて、生ゴミを外に捨てます。教会は森と畑に囲まれているので、窓から捨てられるゴミは森の中に住んでいる動物(猪・鳥など)が食べてくれます。
全てのクリスチャンがその真似をしたらいいと思います。
私たちは定期的に心の窓を開けて、奥底にある「ゴミ」を捨てるべきです。
それは、どんな「ゴミ」でしょうか。
まず、無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりと一切の悪意を捨てるべきです。 (エペソ人への手紙4:31)
そして、いっさいの重荷とまつわりつく罪を捨てる必要があります。(ヘブル人への手紙12:1)
また、全ての汚れを捨てるべきです。 (ヤコブの手紙1:21)
最後に、すべてのごまかしといろいろな偽善やねたみを捨てましょう。(第1ペテロの手紙2:1)
日本の国立がんセンターの調査の結果によると、もし人間が体に良くない一つの習慣(タバコ・アルコール・塩分の取りすぎ・食べ過ぎ)をやめると、自分の健康を14%改善する事ができます。
同様に、心の中から霊的なゴミを捨てるクリスチャンは自分の信仰生活を改善する事ができます。ゴミを捨てるたびに、信仰生活に悪い影響を与えている心のゴミも捨てましょう。

日本はゴミを分別しなければなりません。私の台所に4つのゴミ袋があります。 ①家庭用ゴミ袋、②ペットボトル用袋、③プラスチック用袋、④ビンと缶用袋です。時々どの袋に入れたらいいのか分からないゴミもあるので困ります。
鹿児島県の長島にある教会の台所にゴミ袋は一つしかありません。 生ゴミを除いて、教会の方々は全てのゴミをその一つのゴミ袋に入れます。 生ゴミを処理する方法を初めて見た時、私はビックリしました。彼らは窓を開けて、生ゴミを外に捨てます。教会は森と畑に囲まれているので、窓から捨てられるゴミは森の中に住んでいる動物(猪・鳥など)が食べてくれます。
全てのクリスチャンがその真似をしたらいいと思います。
私たちは定期的に心の窓を開けて、奥底にある「ゴミ」を捨てるべきです。
それは、どんな「ゴミ」でしょうか。
まず、無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりと一切の悪意を捨てるべきです。 (エペソ人への手紙4:31)
そして、いっさいの重荷とまつわりつく罪を捨てる必要があります。(ヘブル人への手紙12:1)
また、全ての汚れを捨てるべきです。 (ヤコブの手紙1:21)
最後に、すべてのごまかしといろいろな偽善やねたみを捨てましょう。(第1ペテロの手紙2:1)
日本の国立がんセンターの調査の結果によると、もし人間が体に良くない一つの習慣(タバコ・アルコール・塩分の取りすぎ・食べ過ぎ)をやめると、自分の健康を14%改善する事ができます。
同様に、心の中から霊的なゴミを捨てるクリスチャンは自分の信仰生活を改善する事ができます。ゴミを捨てるたびに、信仰生活に悪い影響を与えている心のゴミも捨てましょう。
こわれた人形
数年前から人形のセットをベッドの上に置いています。4つの人形で、2つは青いドレス、もう2つはピンクのドレスを着ています。妻が天に召された後も私は人形をそのままにしています。
先月、私が引越した時、荷物を外に出すために、寝室の窓を開けました。荷物を運んだ時、
ベッドにぶつかりました。一つの人形はベッドヘッドから落ちて、ベッドに跳ね返って、床まで落ちて、人形はカーペットに跳ね返って、開けていた窓から下のコンクリートの道路まで落ちて、3ヶ所が割れてしまいました。
残っている3つの人形はまだベッドの上に置いてありますが、1つの人形が足りないそのセットを見る時、自分の不注意を後悔します。
聖書にも一つのセットがあります。
4つの福音書(マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネ)です。
「なぜ4つの福音書か?」と考えたことがありますか。
各福音書は私達にキリストの人格と業との違う面を示します。
マタイの福音書の目的は私達に「王」であるキリストを示しめしています。
キリストの系図から始まり、キリストがダビデの子で、王になる資格をもっておられる事を証明しています。
マルコの福音書の目的は私達に「しもべ」であるキリストを示しめしています。
マルコは、キリストの言葉よりも、キリストの業を強調しています。
中心の箇所はマルコの福音書10:45です。「人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためである。」
ルカの福音書の目的は私達に「人間」であるキリストを示しめしています。
キリストの人間性を強調しています。ルカは、よくキリストを「人の子」と書いています。
中心の箇所はルカの福音書19:10です。「人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」
ヨハネの福音書の目的は私達に「神の子」であるキリストを示しめしています。
キリストの神性を強調しています。
中心の箇所はヨハネの福音書20:31です。「これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため。」
4つの福音書の中の1つでも抜けると、残りの3つでは、完全ではありません。我が家の人形のように1つ足りないセットのようになります。
先月、私が引越した時、荷物を外に出すために、寝室の窓を開けました。荷物を運んだ時、

残っている3つの人形はまだベッドの上に置いてありますが、1つの人形が足りないそのセットを見る時、自分の不注意を後悔します。
聖書にも一つのセットがあります。
4つの福音書(マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネ)です。
「なぜ4つの福音書か?」と考えたことがありますか。
各福音書は私達にキリストの人格と業との違う面を示します。
マタイの福音書の目的は私達に「王」であるキリストを示しめしています。
キリストの系図から始まり、キリストがダビデの子で、王になる資格をもっておられる事を証明しています。
マルコの福音書の目的は私達に「しもべ」であるキリストを示しめしています。
マルコは、キリストの言葉よりも、キリストの業を強調しています。
中心の箇所はマルコの福音書10:45です。「人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためである。」
ルカの福音書の目的は私達に「人間」であるキリストを示しめしています。
キリストの人間性を強調しています。ルカは、よくキリストを「人の子」と書いています。
中心の箇所はルカの福音書19:10です。「人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」
ヨハネの福音書の目的は私達に「神の子」であるキリストを示しめしています。
キリストの神性を強調しています。
中心の箇所はヨハネの福音書20:31です。「これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため。」
4つの福音書の中の1つでも抜けると、残りの3つでは、完全ではありません。我が家の人形のように1つ足りないセットのようになります。
Golden Weekはあまり「Golden」ではありません

私はこの時期に「Golden Week」と言う名をつけた人を知りませんが、その人はGolden Weekの間に車で旅をした事のない人だと思います。
去年のGolden Weekに北九州教会の牧師と私は数人の青年達を関西のキャンプに連れて行きました。私達は夕方に出発しました。途中、山口県岩国の教会で一泊、そして次の日に関西に向かって行きました。6時間位で到着の予定でしたが、12時間かかりました。
今年のGolden Weekに私は鹿児島県長島の教会で行われる集会でメッセージの奉仕をするために行きました。5時間位で到着の予定でしたが、やはり7時間半かかりました。
「Golden」と言う英語の単語のおもな三つの意味は「金色」と「輝かしい」と「絶好」です。「Golden Week」の名を考え出した人は「絶好」という意味でつけたと思いますが、Golden Weekの間に車で旅をしなければならない人にとって、Golden Weekはあまり「Golden」ではありません。
聖書を読むと、私達は本当に「Golden」であるものを見る事ができます。
まず、神様の民のために用意されている都は「Golden」です。
黙示録21:18に「都は混じりけのないガラスに似た純金でできていた。」と書いてあります。
また、黙示録21:21によると「都の大通りは、透き通ったガラスのような純金であった。」です。
もう一つ「Golden」と読んでもいいものがあります。マタイの福音書7:12に書いてあるキリストの言葉です。「何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。」この箇所は「Golden rule」(黄金律)と呼ばれています。
もし、私達はこの言葉を守るなら、毎週は「Golden Week」になります。
美味しい食事

すごい食事でした。私達はシュウマイ・鴨・豚・エビ・魚・焼きそば・スイカ・タピオカ・胡麻だんご等を食べました。もっと沢山食べたけど私はこれだけしか覚えていません。
あまりにも美味しかったので、私は冗談を言いました。「天国に行っても、これより美味しい物がないでしょう!」みんなは笑いました。
しかし一人の姉妹は私の冗談に反論しました。「それが事実なら、私は天国に行きたくありません!」今度、みんなは大笑いしました。
聖書を読むとその姉妹の言葉の通りだと分かります。この地上の生活はどんなに贅沢な生活であっても、天国の生活はもっと素晴らしい生活になります。
例えば、台湾でどんなに美味しい食事をしても、黙示録19:9によると、私達は「小羊の婚宴」に招かれています。
また、マタイの福音書8:11でイエス様は言われました。「たくさんの人が東からも西からも来て、天の御国で、アブラハム、イサク、ヤコブといっしょに食事をします」この食事に出る食物はこの地上にあるすべての食物よりもっと美味しいでしょう。
この地上でどんなに美味しい飲物でも、天国でもっと美味しい物を飲みます。なぜなら、黙示録22:1によると、私達は「水晶のように光るいのちの川の水」を飲むからです。
この地上でどんなに立派なな住居に住んでいても天国で私達はイエス様が供えて下さる住居に住みます。 (ヨハネの福音書14:2)
この地上でどんなに美しい服を着ても、天国で私達は神様が与えて下さる衣、光り輝く、衣を着ます。(黙示録6:11;19:8)
「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」第1コリント2:9
- | HOME |
skin presented by myhurt : BLOG | SKIN
copyright © 2005 小倉聖書バプテスト教会よりメッセージ all rights reserved. Powered by FC2ブログ