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ホロコ-ストと原爆 

教会に来ていた方が私に質問しました。
「先生、なぜ神様は、ホロコ-ストや原爆をお許しになったのでしょうか?」この質問は多くの方々が関心のある質問です。
神様はこのような残虐な出来事を阻止する力を持っておられるのに、なぜアウシュビッツや広島と長崎で起こった事を阻止されなかったのでしょうか。

ホロコースト
イザヤ書55:9に神様は仰せられました。「わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。」また、ローマ人への手紙11:34「だれが主のみこころを知ったのですか。」と書いてあります。
上記の質問に対する私の答えは不充分な答ですが、次の3つの事は事実です。

第1に、神様がホロコ-ストと原爆をお許しになりましたが、その出来事に賛成しませんでした。
アダムとエバの事を思い出して下さい。神様は彼等に禁じられた実を食べる事をお許しになりました。その行為をお喜びにならなかったし、彼等に罰を与えました。(創世記3章) 

第2に、神様が人間をお創りになった時、彼等に「自由意志」をお与えになりました。
すなわち、人間に選択の自由が与えられています。私達は自分の意思で正しい道を歩む事も選ぶ事もできます。或いは、自分の意志で悪の道を歩む事も選ぶ事もできます。
ホロコ-ストと原爆は人間の罪深い選択の結果であります。このような残虐な出来事によって証明されている事は人間の心の堕落です。

第3に、人間を自滅させる罪から救うために、神様は救い主イエス・キリストを遣わして下さいました。十字架の上でキリストは私達の罪のために死んで下さいました。
「それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。」

第1ペテロの手紙2:24


人間が神様に遣わされた救い主を拒んで、神様に逆らっている限り、ホロコ-ストや原爆のような残虐な出来事はこれからも起こります。
だから、私達は、「なぜ、神様がホロコ-ストや原爆をお許しになったのか?」と言う質問をしないで、「なぜ、私達がその残虐な事を許したのか?」と言う質問をするべきです。

学校をさぼった男の子 

子どもの頃、学校をさぼるような事がありましたか? 私が小学生の頃、子どもたちは時々いろんな理由で学校をさぼりました。
たとえば、あの時代プロ野球のデーゲームが多かったので、学校をさぼって野球の試合を見に行った子がいました。
また、海の近くに住んでいる子どもたちは暑い日に学校をさぼって泳ぎに行きました。
サーカスが町に来た時、素晴らしいパレードがありました。学校をさぼってピエロ達と動物を見に行った子どもたちも多くいました。

子供が学校をさぼる理由はもう一つあります。
タイラー君 有名な人が町に来た時でした。
今年の6月1日にアメリカのミネソタ州に住んでいるタイラー・サリバン君(11歳)はそのために学校をずる休みしました。彼はその町の工場をたずねた有名な方に会う事も握手する事もできました。 
その有名な方はタイラー君に聞きました。「学校をさぼって、大丈夫ですか?」そして、彼は手紙を書いて、タイラー君にそれを学校の先生に渡すように頼みました。
その手紙にこう書いてありました。
「先生、タイラー君を許して下さい。彼は私と共にいたのです。バラク・オバマ」

この出来事を新聞で読んだ時、私は、キリストが御自分を信じる人々のためにして下さる事を思い起こして喜びました。

聖書によると「私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。」イザヤ書53:6 また、エペソ人への手紙2:1に、私達は「自分の罪過と罪との中に死んでいた者」と書いてあります。

しかし、第1ペテロの手紙2:24によると、キリストは「自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。」と書いてあります。そういう理由ですから、キリストを信じる者は、パウロがガラテヤ人への手紙2:20で書いたように、「私はキリストとともに十字架につけられました。」と言えるのです。

キリストとともに十字架につけられた私が神様のさばきの座に立つ時、キリストはこのような事を言って下さるでしょう。

「お父さん、彼を赦して下さい。私が十字架につけられた時、彼は私と共にいました。」

神様の鏡 

カーブミラー 4月から私は小倉南区の上貫という所に住んでいます。
上貫にはカーブの多い道があります。また、急に道が狭くなる所もあります。多くのカーブに鏡(カーブミラー)があります。
私の家から教会まで車で2~3分で行く事ができます。途中にカーブミラーは4つもあります。
もし、道が狭くなるカーブに鏡がなかったら、対向車が来ているかどうかわからないので事故が起こる可能性は高くなります。

聖書の一つの目的は狭い道のカーブミラーのようなものです。
すなわち、聖書はこれから起こる事を私達に示して下さる神様の鏡です。
黙示録1:1によると、聖書はこれから起こる事を示すためです。それは鏡のようである聖書を見れば、私たちはこれから起こる事を知る事ができます。

たとえば、第2テモテへの手紙3:1「終わりの日には困難な時代がやって来ることをよく承知しておきなさい。」と書いてあります。

そして2節から5節まで、この「困難な時代」の詳しい説明があります。
また、ルカの福音書21:10-11キリストは言われました。
「民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、大地震があり、方々に疫病やききんが起こり、恐ろしいことや天からのすさまじい前兆が現われます。」

狭い道でカーブに近付いて、カーブミラーに対向車が見えた時、私は車を減速し、ゆっくり走行します。カーブの手前で車を止めて、対向車を待つ時もあります。では、神様の鏡でこれから起こる事を見る私たちはどうしたらよいでしょうか。

「目をさまして、慎み深くしていましょう。」

第1テサロニケ人への手紙5:6


「信仰と愛を胸当てとして着け、救いの望みをかぶととしてかぶって、慎み深くしていましょう。」
第1テサロニケ人への手紙紙5:8

「しみも傷もない者として、平安をもって御前に出られるように、励みなさい。」
第2ペテロの手紙3:14

高齢運転者マーク 

4月で私は70歳になりました。「高齢運転者マーク」を車に付けました。このマークの目的は他の運転者に対して警告するためだそうです。
「高齢運転者マーク」が付いている車を見た人に、「年齢が高くなるとどんな人でも身体的能力の衰えを感じるようになり、自動車の運転技術も少しずつ衰えて反応も鈍くなってきます。そんな高齢者に対して気をつけて下さい」と理解してもらうためです。

高齢者運転マーク 1997年から昨年まで高齢運転者マークは「葉っぱ」の形でした。橙色と黄色だったので「もみじマーク」と呼ばれていました。また「枯れ葉マーク」「落ち葉マーク」とも呼ばれていました。
去年、新しく変更になりました。四つ葉のクローバーの形で、真ん中に「シニア」の白い「S」の文字があります。四つの葉に若々しさを表現した黄緑と緑、豊かな人生経験を表す黄と橙色と黄色に変わりました。

残念な事ですが、多くの人々は70歳からの生活は枯れ葉や落ち葉のような生活だと思っています。
詩篇90篇を書いたモーセは10節に多くの高齢者の気持ちを述べています。
「私たちの齢は七十年。健やかであっても八十年。しかも、その誇りとするところは労苦とわざわいです。それは早く過ぎ去り、私たちも飛び去るのです。」

たしかに、多くの高齢者はいろんな災いに遭います。健康が衰える、 すぐ疲れ果てる、寂しい生活をする、死の風に飛ばされることを待っている枯れ葉のようなものです。
しかし、キリストを信じている高齢者は自分の人生の最後の十数年間はこのような生活する必要はありません。

聖書によると、高齢のクリスチャンに若いクリスチャン達の模範になる機会が与えられています。
テトスへの手紙2:2「老人たちには、自制し、謹厳で、慎み深くし、信仰と愛と忍耐とにおいて健全であるように」と書いてあります。
さらに、3節「同じように、年をとった婦人たちには、神に仕えている者らしく敬虔にふるまい、悪口を言わず、大酒のとりこにならず、良いことを教える者であるように。」と書いてあります。

今「高齢者マーク」が自分の人生に付いているクリスチャンの皆さん「私は、もう神様に役に立たない者になった」と思わないで、これからも模範的な信仰生活を生活を送って下さい。

いらないプレゼント 

ビール 知人からプレゼントをもらい、私はとても嬉しくなりました。
それは大きな袋に入っていて重量のあるプレゼントでした。知人はその大きな袋を車の後部座席まで運んでくれました。私はそのプレゼントを早く見たいと思い、車を止め、袋を開けて見ました。
なんとビールでした。ビール24缶が入っている箱でした。

ビールを見た時、すごくがっかりしました。なぜなら、私はビールを全く飲まないからです。私は、どんなアルコールも飲みません。

◆飲まない理由が3つあります


①私の父の生活…毎日ビールを飲んでいた父は若くて死にました。

②聖書の教え…アルコールを飲み過ぎる危険性について教えている聖書の箇所がいくつもあります。

③私の職業…聖書によると、教会を牧会する人の一つの特徴は「酒飲みでない」事です。(第1テモテへの手紙3:3)

知人はそのプレゼントを通して私を喜ばせるつもりでしたが、私にとって、そのプレゼントは、いらないプレセントでした。

ある時、神様もいらないプレゼントをもらいました。
イザヤ書1:11、13~14
で神様は仰せられました。
「あなたがたの多くのいけにえは、わたしに何になろう。」「わたしは、雄羊の全焼のいけにえや、肥えた家畜の脂肪に飽きた。雄牛、子羊、雄やぎの血も喜ばない。」
「もう、むなしいささげ物を携えて来るな。香の煙――それもわたしの忌みきらうもの。新月の祭りと安息日――会合の召集、不義と、きよめの集会、これにわたしは耐えられない。あなたがたの新月の祭りや例祭を、わたしの心は憎む。それはわたしの重荷となり、わたしは負うのに疲れ果てた。」

神様を喜ばせるプレゼントは捧げものや祭りや例祭のようなものではありません。
神様に喜ばれることがイザヤ書1:16~17節書いてあります。
「洗え。身をきよめよ。わたしの前で、あなたがたの悪を取り除け。悪事を働くのをやめよ。善をなすことを習い、公正を求めよ」。

もちろん、神様は私たちの奉仕や献金等を喜んでおられます。
神様は、他のどんな事よりも、私たちの聖い生き方を喜んで下さいます。
「神のみこころは、あなたがたが聖くなることです。」第1テサロニケ人への手紙4:3


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