豊かな人生
「豊かな人生の条件」 という歌の2節と折り返しはこうなっています。
豊かな人生とは、どんな人生でしょうか。
羊飼いの仕事をしていたダビデと言う人は美しい詩(詩篇23篇)の中で豊かな人生の特徴を次のように書きました。
豊かな人生は、 満足のある人生です。
♪ 知識も名誉も財産も、 はかないものです
自分の努力や才能も、 限りがあるでしょうか
(折り返し)豊かな人生の条件は、聖書のなかに
歴史の始まる以前から、 啓示されています
自分の努力や才能も、 限りがあるでしょうか
(折り返し)豊かな人生の条件は、聖書のなかに
歴史の始まる以前から、 啓示されています
まことの神を敬い、罪を悔い改め
まごころつくしてキリストに、 従うことです ♬
まごころつくしてキリストに、 従うことです ♬

豊かな人生とは、どんな人生でしょうか。
羊飼いの仕事をしていたダビデと言う人は美しい詩(詩篇23篇)の中で豊かな人生の特徴を次のように書きました。
豊かな人生は、 満足のある人生です。
「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません」
(詩篇23:1)
豊かな人生は、 安息のある人生です。
(詩篇23:1)
豊かな人生は、 安息のある人生です。
「主は私を緑の牧場に伏させる」(詩篇23:2)
豊かな人生は、 平安のある人生です。
「いこいの水のほとりに伴われます」(詩篇23:2)
豊かな人生は、 回復のある人生です。
「主は私のたましいを生き返らせる」(詩篇23:3)
豊かな人生は、 勇気のある人生です。
豊かな人生は、 回復のある人生です。
「主は私のたましいを生き返らせる」(詩篇23:3)
豊かな人生は、 勇気のある人生です。
「たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを
恐れません。あなたが私とともにおられますから」
(詩篇23:4)
豊かな人生は、 慰めのある人生です。
「あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです」
(詩篇23:4)
豊な人生は、 備えのある人生です。
「私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえる」
(詩篇23:5)
豊かな人生は、 喜びのある人生です。
「私の杯は、あふれています」(詩篇23:5)
豊かな人生は、 守りのある人生です。
「まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、
私を追って来るでしょう」(詩篇23:6)
豊かな人生は、 確信のある人生です。
「私は、いつまでも、主の家に住まいましょう」(詩篇23:6)
十字架の上で私達の罪のために死んで下さったキリストを信じる事によって、誰でもこのような豊かな人生を知る事ができます。
恐れません。あなたが私とともにおられますから」
(詩篇23:4)
豊かな人生は、 慰めのある人生です。
「あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです」
(詩篇23:4)
豊な人生は、 備えのある人生です。
「私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえる」
(詩篇23:5)
豊かな人生は、 喜びのある人生です。
「私の杯は、あふれています」(詩篇23:5)
豊かな人生は、 守りのある人生です。
「まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、
私を追って来るでしょう」(詩篇23:6)
豊かな人生は、 確信のある人生です。
「私は、いつまでも、主の家に住まいましょう」(詩篇23:6)
十字架の上で私達の罪のために死んで下さったキリストを信じる事によって、誰でもこのような豊かな人生を知る事ができます。
天国の証明
エベン・アレキサンダーはハーバード大学と他の大学で教えた事のある神経外科医です。
2008年まですばらしい評判を得ていたアレキサンダー先生は、科学的な理論を通して天国の存在と「体外離脱体験(臨死体験)」を否定していました。
しかし、2008年に彼は急性細菌性髄膜炎という重い病にかかり、1週間昏睡状態に陥りました。
その状態から覚めた時に彼は自分が、その一週間の間に天国にいたと主張しています。
「天国はどんな所ですか」と聞かれたアレキサンダー先生は、この説明をしました。
「私の上に多くのキラキラ光っている透明な物が飛んでいました。その生物は普通の国語を超える方法で私にに3つの事を伝えました」
「あなたは永遠に愛されている。恐れる事はありません。あなたはもう悪い事をする事ができません」
アレキサンダー先生は、その経験を説明する本を書きました。
Proof of Heaven 「天国の証明」と言う本です。
今週の火曜日(23日)から発売される予定です。
どう思いますか。アレキサンダー先生が本当に天国に行ったと思いますか。
彼が見た生物は御使いでしょうか。彼の経験は本当に天国の存在を証明するのでしょうか。
正直に言って、私は分かりませんが、アレキサンダー先生と同じように「体外離脱体験(臨死体験)」をした人が沢山います。
彼等の証言があるから、私たちは天国の存在を信じてもいいのでしょうか。
クリスチャンは天国の存在を信じていますが、その信仰の根拠は人間の経験ではありません。
神様の御言葉である聖書に天国の存在を教える箇所が沢山あるます。
クリスチャンは天国を信じています。
(マタイの福音書6:9、第2コリント5:1、ピリピ3:20、第1ペテロ1:4、黙示録21章)
クリスチャンにとって、ヨハネの福音書14:2-3に書いてあるキリストの言葉が天国を信じる充分な根拠になります。
「わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。」
2008年まですばらしい評判を得ていたアレキサンダー先生は、科学的な理論を通して天国の存在と「体外離脱体験(臨死体験)」を否定していました。
しかし、2008年に彼は急性細菌性髄膜炎という重い病にかかり、1週間昏睡状態に陥りました。

「天国はどんな所ですか」と聞かれたアレキサンダー先生は、この説明をしました。
「私の上に多くのキラキラ光っている透明な物が飛んでいました。その生物は普通の国語を超える方法で私にに3つの事を伝えました」
「あなたは永遠に愛されている。恐れる事はありません。あなたはもう悪い事をする事ができません」
アレキサンダー先生は、その経験を説明する本を書きました。
Proof of Heaven 「天国の証明」と言う本です。
今週の火曜日(23日)から発売される予定です。
どう思いますか。アレキサンダー先生が本当に天国に行ったと思いますか。
彼が見た生物は御使いでしょうか。彼の経験は本当に天国の存在を証明するのでしょうか。
正直に言って、私は分かりませんが、アレキサンダー先生と同じように「体外離脱体験(臨死体験)」をした人が沢山います。
彼等の証言があるから、私たちは天国の存在を信じてもいいのでしょうか。
クリスチャンは天国の存在を信じていますが、その信仰の根拠は人間の経験ではありません。
神様の御言葉である聖書に天国の存在を教える箇所が沢山あるます。
クリスチャンは天国を信じています。
(マタイの福音書6:9、第2コリント5:1、ピリピ3:20、第1ペテロ1:4、黙示録21章)
クリスチャンにとって、ヨハネの福音書14:2-3に書いてあるキリストの言葉が天国を信じる充分な根拠になります。
「わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。」
3時間の取り調べ
昔の法律は、外国人が登録証明書を更新してから、2週間以内に区役所に行って、更新を報告しなければなりませんでした。
ある時、1ヶ月が経ってから、私は区役所に行きました。すると区役所の方から「報告が2週間遅れているから、警察がお宅に行くかもしれませんよ」と言われました。
私は内心笑って「報告が2週間遅れただけで警察が来るはずはないでしょう」と思いながら帰りました。
数日後、警官が家に来て「あなたは外国人登録証明書違反を犯したので、警察署に来てもらいます」と言われました。
警察署に行った時、2人の刑事が待っていました。1人は別の部屋で妻の取調べを行って、もう一人は「あなたはどこで生まれましたか」と言う質問から始まって、私の取調べを行ないました。その後3時間、刑事は私に多くの質問を受けました。やっと私は刑事に、私が2週間以内に区役所に行かなければならない事をつい忘れたと、信じてもらえました。取調べは警告だけで終わったが、非常に怖い経験でした。その後、証明書の更新は、必ず2週間以内に報告しています。
聖書によると、全てのクリスチャンはこの様な取調べを受けます。もちろん、聖書の多くの箇所によると、クリスチャンの魂は永遠に救われています。
(たとえば、ヨハネの福音書5:24と10:27-29)
しかし、第2コリント5:10に「私たちはみな、キリストのさばきの座に現われて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになるからです」と書いてあります。
私達がキリストのさばきの座の前に立つ時、主は私達の行為(信じた後)を見て、私達の報いをお決めになります。ですから、怖がりながら警察署に行った私と違って、確信を持って主の前に立つ事ができる様に主に喜ばれる行為をしましょう。
「キリストのうちにとどまっていなさい。それは、キリストが現われるとき、私たちが信頼を持ち、その来臨のときに、御前で恥じ入るということのないためです。」第1ヨハネの手紙2:28
ある時、1ヶ月が経ってから、私は区役所に行きました。すると区役所の方から「報告が2週間遅れているから、警察がお宅に行くかもしれませんよ」と言われました。
私は内心笑って「報告が2週間遅れただけで警察が来るはずはないでしょう」と思いながら帰りました。
数日後、警官が家に来て「あなたは外国人登録証明書違反を犯したので、警察署に来てもらいます」と言われました。

聖書によると、全てのクリスチャンはこの様な取調べを受けます。もちろん、聖書の多くの箇所によると、クリスチャンの魂は永遠に救われています。
(たとえば、ヨハネの福音書5:24と10:27-29)
しかし、第2コリント5:10に「私たちはみな、キリストのさばきの座に現われて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになるからです」と書いてあります。
私達がキリストのさばきの座の前に立つ時、主は私達の行為(信じた後)を見て、私達の報いをお決めになります。ですから、怖がりながら警察署に行った私と違って、確信を持って主の前に立つ事ができる様に主に喜ばれる行為をしましょう。
「キリストのうちにとどまっていなさい。それは、キリストが現われるとき、私たちが信頼を持ち、その来臨のときに、御前で恥じ入るということのないためです。」第1ヨハネの手紙2:28
BEAUTY SOAP

その中に、私に希望を与える石鹸がありBeauty Soapという石鹸でした。それを見た時、私はとても嬉しくなりました。
「この石鹸を使ったら、私はもっと美しい人になる事ができるかもしれない」と思い喜んでその石鹸を買いました。
数週間そのBeauty Soapをつかって見たけど、私はちっともBeautifulになっていません。顔にあった皺はまだ残っています。体は細くなっていません。まだ太ったままです。毎日そのBeauty Soapを使っていますが、私が期待していたような効果は何もありません。
やはり本当のBeautyは石鹸の様な物からなりません。Beauty Soap・化粧・綺麗な服は私達の外側をある程度美しくする事ができます。しかし、聖書はその外側だけの美しさは空しいものであると言っています。(箴言31:30)
マタイの福音書23:27-28にイエス様は言われました。
「あなたがたは白く塗った墓のようなものです。墓はその外側は美しく見えても、内側は、死人の骨や、あらゆる汚れたものがいっぱいなように、あなたがたも、外側は人に正しいと見えても、内側は偽善と不法でいっぱいです。」
もちろんBeauty Soapの様な物で自分の外側を出来るだけ美しくする事は悪い事ではありませんが、外側だけ綺麗にして、内側を汚い状態にする事は良くない事です。
エレミヤ書2:22で神様は仰いました。
「たとい、あなたがソーダで身を洗い、たくさんの灰汁を使っても、あなたの咎は、わたしの前では汚れている。」
全ての人々に、体を美しくする石鹸よりも、心を美しくするものが必要です。幸いな事で、それができるものは一つあります。
「御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。」第1ヨハネ1:7。
イエス様が十字架の上で私達の罪のために流して下さった血は心を美しくするBeauty Soapです。
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