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MY NUMBER 

最近、新聞を見ると、新聞を読んでいるのか聖書を読んでいるのか分からなくなります。例えば、マタイの福音書24章にこう書いてあります。

My Number「わたしの名を名のる者が大ぜい現われ、『私こそキリストだ。』と言って、多くの人を惑わすでしょう。」(マタイ24:5)

「また、戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。
(マタイ24:6-7) 

また、にせ預言者が多く起こって、多くの人々を惑わします。

(マタイ24:11


この様な内容の記事がよく新聞に掲載されています。そして3月3日の新聞に聖書に詳しい人々を驚かせる記事がありました。その記事によると、3月1日に日本の政府の内閣は全ての国民に独自の身分証明書の番号を与える議案を通過させました。政府は2015年に全ての国民
  My Number  を与えるつもりです。

この記事を読んだ時、私は叫びました。「黙示録です!私達の目の前に黙示録の預言が成就し、始まりました!」

「また、小さい者にも、大きい者にも、富んでいる者にも、貧しい者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々にその右の手かその額かに、刻印を受けさせた。また、その刻印、すなわち、あの獣の名、またはその名の数字を持っている者以外は、だれも、買うことも、売ることもできないようにした。」黙示録13:16-17

毎日、テレビや新聞を通してこの様なニュースを見ているクリスチャンはキリストの再臨が間近だと感じています。だから、Ⅰヨハネ2:28の勧めに耳を傾けるべきです。

そこで、子どもたちよ。キリストのうちにとどまっていなさい。それは、キリストが現われるとき、私たちが信頼を持ち、その来臨のときに、御前で恥じ入るということのないためです。(Ⅰヨハネ2:28)

まだキリストを信じていない皆さんに私は勧めます。聖書の旧約聖書の預言が成就した様に、これから起きる事を教えている新約聖書の預言も成就します。
 My Number はその一つの証拠です。

まだ、救われる機会が与えられている今のうちにキリストを信じて下さい。 


THE AMERICAN DREAM 

皆さんは The American Dream  と言う表現を聞いた事がありますか? この表現は全てのアメリカ人の望みを表しています。その望みに4つの事が含まれています。
①個人の自由。 ②一生懸命に働いて成功する事。 
③幸せな生活。 ④自分の家を所有する事。
 
この4つの事が実現できた人は
 living the dream THE AMERICAN DREAMをしている人です。

私と妻は結婚した時からずっと教会が貸して下さった家や自分達で借りた家に住みました。 
ようやく1998年に私達は家を買う事ができました。
その時、私はもう56歳でした。今アメリカのミズーリ州に家があるけど、妻はもう天国に呼ばれたし、私は、ほとんどアメリカに帰らないので、私は living the dream をしている気持ちではありません。

最近まで私は全ての日本人も同じ4つの事を望んでいると思いました。その望みを The Japanese Dream と呼びましょうか。特に日本人は家を所有したいだろうと私は思っていました。
しかし、日本の政府が行った調査の結果によると、マイ・ホームを購入したい人はたった79.8%です。12年ぶりに80%以下でした。残りの21.2%の中の12.5%の人は借家で構わないそうです。
日本では、土地と家があまりにも高騰なので、自分の家を買いたい79.8%の中の多くの人々は The Japanese Dream を実現する事ができません。

しかし、イエス・キリストを信じる人は、たとえこの地に自分の家を持つ事が出来なくても、マイ・ホームに住む望みを捨てる事はありません。

ヨハネの福音書14:1-3にイエス様のすばらしい約束が書いてあります。
「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。 わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。 わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです」

今、イエス様は天国でクリスチャンの住居を備えておられますから、借家やアパートに住んでいる方、喜んで下さい。いつか、あなたは神様ご自身が用意して下さった住居に住みます。この事は単なるdreamや望みではありません。
キリストの約束に基づいている事実です。 


12番目の選手 

6月4日にサッカー日本代表のワールド・カップ出場が決まった夜にチームのサポーターは渋谷駅の前で群がっていました。
そして「DJポリス」は群集にまばらになってもらうために面白い言葉を使いました。
「みなさんは12番目の選手です。チームワークをお願いします。駅の方へ進んでください」

12番目の選手 皆さんは「12番目の選手」と言う表現の歴史を知っていますか。
1922年1月2日にアメリカのテキサス州でアメリカン・フットボールの試合が行われました。
テキサス州A&M大学 vs センター・カレッジでした。テキサス州A&Mの選手達は次々にケガをしたので、監督は選手達が足りないかも知れないと心配しました。
その時、彼はスタンドの中でサポーター達と一緒に座っているもう一人の選手を思い出しました。彼は、その選手を選んで、ユニフォームを着てもらいました。試合が終わった時プレイ出来る選手達は12人しか残っていませんでした。
彼は、試合に出場する事はありませんでしたが、準備をして待機していました。
この出来事から生まれた「12番目の選手」と言う表現は、進んでチームを熱心にサポートする態度をとる事を意味する様になりました。
「12番目の選手」と呼ばれています。

教会にも「12番目の選手」の様なクリスチャンが必要です。
それは、どんな奉仕であっても、それをする必要があれば、自ら進んで、その奉仕を熱心にするクリスチャンの事です。
Ⅱコリント人への手紙9:2で使徒パウロはコリントの信者達について、こう書きました。「あなたがたの熱心は、多くの人を奮起させました。」

忠実に教会の礼拝を守って、熱心に奉仕をする事によって教会の皆さんを奮起させるクリスチャンは「12番目の選手」の様なクリスチャン。
多くのクリスチャンは説教をする牧師や礼拝の司会をする人になれませんが、彼等は教会の「12番目の選手」になる事が出来ます。

「ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。」
(Ⅰコリント人への手紙15:58) 


タクシードライバーの新鮮な信仰 

先週の水曜日に私は無事に日本に帰りました。
火曜日に帰える予定でしたが、スプリングフィールドからシカゴに行く飛行機が1時間遅れてスプリングフィールドに到着したので、シカゴから成田までの便に間に合わないと言われたので、私は家に帰って、水曜日に帰える事にしました。
私を空港に送って下さった友達はもうすでに仕事に行ったので、私は家に住んでいる青年に向かえに来てもらうと思いましが、彼はぐっすり寝ていたし、電話で起こす事ができなかったので、私はタクシーで帰る事にしました。

Taxi タクシーに乗った時、私は直ぐに珍しい事に気がつきました。
タクシーのラジオはクリスチャン向けの放送になっていたのです。
私は運転手に聞きました。「あなたはクリスチャンですか?」30歳位の男性の証しによると、彼はずっと神様を信じていましたが、去年の秋にイエス様を自分の救い主として受け入れて救われました。
私の家までの20分間に、私達は信仰生活について話しました。
彼は私に聖書について少し質問をしました。
また、彼は今年はじめて夏季聖書学校で奉仕をするそうです。
それを楽しみにしていると言っていました。

彼の新鮮な信仰と主に仕える喜びを見た私はとても恵を受けました。しかし、タクシーを降りてから、私は自問自答しました。
「私の信仰はまだ彼のような新鮮な信仰でしょうか。
あるいは、私はもうクリスチャン生活に慣れ過ぎているため、その新鮮さを失っていないでしょうか?」
また「私にも主のために教会で奉仕をする喜びがあるでしょうか?
あるいは、私にとって主に仕える事はもう楽しくない事なのでしょうか?」

クリスチャンのみなさん、クリスチャン生活と教会の奉仕に慣れ過ぎて、その新鮮さと喜びを失う事に気を付けましょう。

詩篇51篇
でダビデは、この祈りをしました。
「神よ。私にきよい心を造り、ゆるがない霊を私のうちに新しくしてください。あなたの救いの喜びを、私に返し、喜んで仕える霊が、私をささえますように。」(詩篇51篇10~12)

もし、イエス様を信じて救われた時期の新鮮な信仰と教会で主に仕える喜びがなくなっているなら、私達も同じ祈りをしましょう。 

写真と本人 

皆さんはFacebookをやっていますか? 私はFacebookをやっていましたが、時間をすごく取られるので、私はFacebookを止めました。

孫しかし、2年半前に私はまたFacebookをやる事にしました。そのキッカケは孫の誕生でした。
Samuel (サムエル)が2010年に生まれて、Josiah (ヨシヤ)は2012年に生まれました。


娘は度々SamuelとJosiahの写真をFacebookに載せるので、それを見るために私はまたFacebookをはじめました。
SamuelとJosiahはあまりにも可愛い孫達だったので、彼等の写真を見る事は私の楽しみとなりました。
しかし、彼等の写真を見れば見るほど私は、彼等に合いたくなりました。ようやく今年の4月に私は彼等に顔と顔を合わせて合う事ができました。
自分の目でSamuelの笑顔を見て、自分の耳でJosiahの笑い声を聞いた時、私はFacebookの写真は彼等の愛らしさの半分も写っていないと思いました。本人は写真よりもはるかに可愛かった。

クリスチャンのイエス様との関係も同じです。
今、私たちは聖書の中にある言葉による「写真」を見ています。
聖書はクリスチャンのFacebookとなっていると言っても良いと思います。

マルコの福音書10:16

子ども達を抱くやさしいイエス様を見る事ができます。

ルカの福音書18:35-43

目の不自由の人を癒す憐れみ深いイエス様を見る事ができます。

ヨハネの福音書11:43-44

死人を甦らせる力強いイエス様を見る事ができます。

この言葉による「写真」を見る時、私達はイエス様の素晴らしさを感じます。
しかし、いつか顔と顔を合わせて主に合う時、イエス様の偉大さは私達が想像したよりもはるかに素晴らしいと分かります。

 ♪ わが罪のために みうせたまいし
    主を拝しまつる 日ぞなつかしき
    うるわしき星の 彼方にゆきて…
     まのあたりきみを 拝しまつらなん ♬ 

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