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熱い麦茶 

7月になって非情に暑い日が続いています。
私は、教会の婦人達に提案しました。
「夏の間、食事の時、お茶ではなく、麦茶にしましょう」
次の日曜日に彼女達は麦茶を作ってくださいました。
しかし、それを飲んだ時、私はガッカリしました。
熱い麦茶でした!私が期待していたのは冷えた麦茶でしたが、婦人達に麦茶を頼んだ時、私は具体的に言わなかったので、彼女等は熱い麦茶を作りました。

麦茶 神様に祈る時、私達はよく同じ間違いをします。
つまり、あいまいな祈りをします。神様に何かを願う時、出来るだけ詳しい祈りをしましょう。

去年、八幡から小倉に引越しする時、私は神様に祈りました。

「主よ、次の様な家を与えて下さい。」
①家賃が今と同じ位である事。
②階段がない家。
③カーテンとライトがすでに付いている家。
④教会の近くの家。


不動産が見せてくれた最初の家は、私が願った通りの家でした。

①八幡の家と家賃が同じ。
②平屋なので、階段がありません。
③全ての部屋にライトとかカーテンが付いています。
④教会まで車で2~3分です。

それだけではありません。小倉の家は八幡の家よりとても広い。
また、八幡の家は、車1台しか止める事ができなかったので、近くの駐車場を借りなければなりませんでした。小倉の家の持主は駐車場を整地してくれたので、私は家の前に車2台も止める事ができます。

その家を見た時、私はエペソ人への手紙3:20~21を思い出しました。
「どうか、私たちのうちに働く力によって、私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことのできる方に、教会により、またキリスト・イエスにより、栄光が、世々にわたって、とこしえまでありますように。アーメン。」
個人的な事であっても、教会の事であっても、出来るだけ具体的な祈りをしましょう。

「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。」ピリピ人への手紙4:6 


特別なビオラ 

先日、新聞の記事によると、7月7日に学習院大学の卒業生のオーケストラはコンサートを行ないました。
皇太子殿下は、この大学の卒業生で、殿下も参加され、楽器はビオラです。この時、弾いたのは特別なビオラです。
2011年の津波の廃材から作られたビオラです。

ビオラ ビオラの一部は津波に耐えた「奇跡の一本松」から出来ました。ビオラの裏にその一本松の絵があります。
このビオラの製作者は、中沢宗幸さんです。
彼は津波の廃材からヴァイオリンも作っています。
世界の1,000人の音楽家に、リレーし、この楽器を弾いてもらうプロジェクトもあります。

この記事を読んだ時、私は  Something Beautiful  と言う賛美を思い出しました。

Something beautiful something good
 (美しいもの、良いもの)
 All my confusion Jesus understood
 (イエスは私のすべての混乱を知っておられた)
 
All I have to offer him is brokenness and strife
 (私は彼に壊れた心と争いしか与えられなかった)
 But he made something beautiful out of my life. 

 (しかし彼は私の人生から美しいものを造ってくださった)


この賛美を生み出した聖書の箇所はイザヤ書61:3です。
旧約聖書の時代に、悲しんでいる人々は頭に灰をかぶって、灰の中に座りました。(エステル記4:3、ヨブ記2:8)預言者イザヤがこの言葉(イザヤ書61:3)を書いた時、この習慣に触れました。
「悲しむ者たちに、灰の代わりに頭の飾りを、悲しみの代わりに喜びの油を、憂いの心の代わりに賛美の外套を着けさせる」
「灰の代わりに頭の飾りを」

英語の聖書に beauty for ashes と書いてあります。

神様は津波の廃材の様になった私達の人生を美しい物に創り変えて下さいます。
これを経験したダビデは詩篇30:11で書きました。
「あなたは私のために、嘆きを踊りに変えてくださいました。あなたは私の荒布を解き、喜びを私に着せてくださいました。」

自分の人生が津波の廃材の様になったと感じる時、その廃材を主の御手にゆだねましょう。 


少人数の熱心な応援 

 ヤフオク・ドームにソフトバンク・ホークス VS 楽天イーグルス戦の試合を見に行った時、私の席はイーグルスの応援団のすぐ隣でした。
35,000人のホークスファンに囲まれた彼等の応援は褒めるべきものでした。

楽天イーグルス 200人弱の彼らはホークスの応援団に負けないほど熱心に応援していました。
2対3と3対4で負けていた時も、彼等の応援はちっとも変わりませんでした。
そして、5回に逆転した時には、彼等の応援は、さらに白熱しました。試合終了まで彼等は大きな声でイーグルスを応援ました。

日本に住んでいるクリスチャン達は、同じ様な状況にあります。
私達はノン・クリスチャンに囲まれています。
統計によると、日本の人口のクリスチャンの数はたった1%です。
イーグルスのファンは200人対35,000人でした。日本のクリスチャン達の場合は、男と1,000,000人対126,000,000人です。
この状況にある日本のクリスチャン達に出来る事は2つです。
1つは教会の中に閉じこもって、伝道の難しさを嘆き悲しみながら、主の再臨まで耐え忍ぶ事です。

もう1つはⅡテモテ4:2に書いてあります。
「みことばを宣べ伝えなさい。
        時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。」

126,000,000人のノン・クリスチャンチャンに囲まれて、大胆にイエスの救いを宣べ伝えましょう。

    うたえうれしく、こえもたかく
      ひとにひろめよ、イエスのすくい
      うたえひとびとう、うけよ くにぐに
      ゆきて つたえよ、イエスのすくい」(聖歌449)

この記事を読む人々の中に、「しかし、5回からイーグルスはずっと勝っていたので、応援団は試合終了まで熱心に応援する事ができました」と抗議する人がいるかも知れません。その通りです。

同じ様に、黙示録によると、キリストを信じる私達は勝利者になります。私達の勝利は確実です。「試合終了」まで熱心に伝道しましょう。 


あなたの「富士山」はなんですか? 

天国に召されるまで、私は1968年4月6日の事をはっきりと覚えていると思います。はじめてアメリカから日本(東京)に着いた私の家族は羽田空港から福岡行の飛行機に乗りました。
富士山 九州に行く途中、私を興奮させる機内のアナウンスがありました。「飛行機の左の方に富士山が見えます」雪に覆われている富士山は輝いていました。今まで私が見た最も美しい光景はあの時の富士山です。

だから、富士山が世界文化遺産に選ばれたニュースは私を非情に喜ばせる出来事でした。

静岡県に1,450回も富士山に登った事のある69歳の方がいます。最高記録は1672回です。その記録を破りたい彼は一年間に200回以上富士山に登ります。1日に2回登る時もあるそうです。

日本人は少なくとも一度は、富士山に登りたいと思っていますが、なかなか多くの方は、その夢を実現する事ができません。

しかし、私たちは山梨県の富士山に登る事が出来なくても、自分の人生の「富士山」に登って見る事ができます。
「人生の富士山」と言う、私達が目指している目標です。
勿論、一人ひとりの「富士山」は違います。一人ひとりが成し遂げたい事は「富士山」です。

私は特にクリスチャンである皆さんに自分の「富士山」を決めて、使徒パウロのように、その一事に励む事を勧めます。(ピリピ3:13)

詩篇27:4
でダビデは書きました。
「私は一つのことを主に願った。私はそれを求めている。」

私達も主に一つの事を願って、それを求めましょう。主に祈りましょう。
「神様、私はこの頂上にいる間に、貴方のためにこの一つの事を実現する事ができるように助けてください」そして、その一つの事、つまり神様が私達に与えて下さる「富士山」に登って見て下さい。

ヨシュアが約束された国の土地をイスラエルの部族に分けた時、カレブは彼に言いました。
「どうか今、主があの日に約束された
           この山地を私に与えてください」

私達も、自分の「富士山」を決めて、主に「主よ、この山を私に与えてください。」と祈りましょう。
私達も「富士山」に登りましょう。 


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