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くさい教会 

先週、日曜日の集会に来た皆さんが玄関に入って、直ぐイヤな顔をしました。鼻をつまむ人もいました。
なぜなら、玄関には腐ったゴミの臭いが充満していたからです。
私は生ゴミが入っていた袋を持って帰るのを忘れたからです。
そのゴミは3日間、陽が当たる暑い教会の玄関に置きっぱなしでした。
それを見た私は直ぐゴミを捨てましたが、くさい臭いは残っていました。

生ごみ 更に、皆さんが集会所に入った時、彼らはまたイヤな顔をしました。なぜなら、その部屋にも腐ったゴミの臭いがあったからです。
台所でそのゴミを見つけた姉妹は直ぐゴミを捨てましたが、臭いは残りました。その日はとても暑い日でした。
腐った生ゴミの臭いがあまりにも酷かったので、私達はエアコンを使わずに窓を開けたまま集会をしなければなりませんでした。

聖書のⅠサムエル記16:7
「人はうわべを見るが、主は心を見る。」と書いてあります。

私達の心の中を見る神様は時々、先週、教会に来た皆さんと同じ様に、「くさい」とおっしゃるでしょう。なぜなら、私達の心に「罪」と言う腐ったゴミの臭いがあるからです。どんなゴミでしょうか。

「人から出るもの、これが、人を汚すのです。
 内側から、すなわち、人の心から出て来るものは、
  悪い考え、不品行、盗み、殺人、 姦淫、貪欲、よこしま、
   欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさであり、
    これらの悪はみな、内側から出て、人を汚すのです。」

                     マルコの福音書7:20~23

もし、今私達の心の中を見ておられる神様が「くさい」とおっしゃっているなら、どうしたら良いでしょうか。まず、その「罪」と言うゴミを捨てましょう。

「無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、
   いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい。」
                  エペソ人への手紙4:31

「怒り、憤り、悪意、そしり、あなたがたの口から出る
          恥ずべきことばを、捨ててしまいなさい。」

                     コロサイ人への手紙3:8

そして、この祈りをしましょう。
「神よ。私にきよい心を造ってください。」

                   詩篇 51:10


受取人の名が書いてなかった手紙 

玄関のベルが鳴った時、私は玄関に行ってドアを開けました。
郵便配達人でした。手に手紙を持っている彼は言いました。
「この手紙の住所はあなたの住所ですが、受取人の名前が書いてありません。この手紙はあなたの手紙ですか?」私は手紙を受け取り、送り主の名前を見ました。
私の生まれ故郷の街に住んでいる友達の名前でした。
私は「はい、私の手紙です」と答えました。

宛名のない手紙 あなたは受取人の名前が書いてない手紙を受けた事がありますか。

実は、すべての人々に受取人の名前が書いてない手紙が送られました。その手紙は神様からの手紙です。「聖書」と呼ばれている手紙です。

なぜ、聖書は受取人の名前が書いてない手紙でしょうか。
聖書は神様が全ての人々に贈って下さった手紙だからです。

聖書によると「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。」Ⅰテモテへの手紙2:4

また、Ⅱペテロの手紙3:9「主は、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望んでおられません。」と書いてあります。

神様の手紙の中にある最も有名な言葉は、ヨハネの福音書3:16に書いてあります。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」

「神は世を愛された。」
神様は世にいる全ての人々を愛されたという意味です。私達に御自分の愛を教えるために、神様はひとり一人に手紙を贈って下さいました。

私達は、「聖書は神様が私に贈って下さった手紙です」 とわかる時に、私達にとって聖書はなくてならない貴重な本となります。


ダメになった腕時計と携帯 

最近、私の腕時計が2~3分ほど遅れるようになりました。私は遅れる腕時計が我慢できないので、それを時計屋に持って行って、修理を依頼しました。数日後、店から電話があり「腕時計を修理する事ができません」その腕時計は妻が私に贈ってくれた誕生日プレセントだったので私は悲しくなりました。

腕時計 数日後、今度は私の携帯電話の調子がおかしくなりました。画面が映らなくなったのです。それを携帯電話の店に持って行って店の人に見てもらいました。すると「この携帯電話はもうダメですね」と言われて、私はガッカリしました。
なぜなら、その携帯電話は数年間持っていたお気に入りの携帯電話だったからです。

やはりこの世のものは全て朽ち果てます。 腕時計・携帯電話・服・コンピューター・車・家でさえ朽ちるものです。

マタイの福音書6:19~20でキリストは言われました。
「自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。そこでは虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗みます。自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。」

さらに、ルカの福音書12:33でキリストは言われました。
「持ち物を売って、施しをしなさい。自分のために、古くならない財布を作り、朽ちることのない宝を天に積み上げなさい。そこには、盗人も近寄らず、しみもいためることがありません。」

私は、お気に入りの腕時計と携帯電話のようなものが朽ちる事を悲しんでいますが、同時にキリストを信じる人のために朽ち果てないものがある事を喜んでいます。

「私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました。また、朽ちることも汚れることも、消えて行くこともない資産を受け継ぐようにしてくださいました。これはあなたがたのために、天にたくわえられているのです。」
Ⅰペテロの手紙1:3~4

私を困らせた誕生プレゼント 

金曜日、英会話の生徒達は私に誕生プレゼントをくださいました。
素敵なネクタイでした。そのネクタイを見た時、私はとても嬉しかったがその反面うれしい気持ちと困った気持もありました。
なぜ困ったかと言うと私はなかなか上手にネクタイを結ぶ事ができないからです。 だから若い時から私は「ワンタッチ」のネクタイつけています。 そして何十年もネクタイを結んだ事がありません。

ネクタイ しかし、そのネクタイは綺麗なネクタイだったし、私に対する生徒達の親しみを現すネクタイであったので、私は次の英会話の時間に、そのネクタイをつける事にしました。
英会話に行く前に私は何度もネクタイを上手に結ぼうとしましたがいくらやってもうまくできませんでした。 最後に結んだ時ネクタイの下の部分が上より長かったけど、もう英会話に行く時間だったので、私はコートのボタンをかけて、ネクタイの下の方を隠しました。
英会話の後、私がコートのボタンをはずして生徒達にネクタイを見せた時、彼らは笑いました。

ネクタイを隠した私の姿は世の始めから自分の罪を神様から隠そうとしている人間の姿です。

創世記3:7~8
によると神様に対して罪を犯したアダムとエバはその罪を隠そうとしました。

現在の人々も同じです。私達はいろんな方法で自分の罪を隠す努力をします。
しかし、どんなに一生懸命努力しても私達は自分の罪を神様から隠す事ができません。
なぜなら「人はうわべを見るが、主は心を見る。」からです。Ⅰサムエル記16:7、また詩篇44:21「神は心の秘密を知っておられる」と書いてあります。

詩篇139:1~4
に書いてあるとおりです。
「主よ。あなたは私を探り、私を知っておられます。あなたこそは私のすわるのも、立つのも知っておられ、私の思いを遠くから読み取られます。あなたは私の歩みと私の伏すのを見守り、私の道をことごとく知っておられます。ことばが私の舌にのぼる前に、なんと主よ、あなたはそれをことごとく知っておられます。」


私達は神様と隠れんぼうをしてはいけません。なぜなら、
「自分のそむきの罪を隠す者は成功しない。それを告白して、それを捨てる者はあわれみを受ける。」
箴言28:13

あなたはだれと話したい? 

最近ある人がFacebookでこの質問をしました。
「もし、あなたが一緒に座って1時間、
       話す事ができたら誰と話したいですか?」

「誰」とは過去の人、 現在の人達の中からです。

有名な人 多くの人々は家族(おじさん、おばあさん、お父さん、お母さん、お兄さん)を選びました。

また、ある人は、歌手(マイケル・ジャクソン、ジョン・レノン、マドンナ)を選んだ人もいました。

数人のアメリカ人は過去の大統領(ジョージ・ワシントン、ジョン・F・ケネディ、リンドン・ジョンソン)と話したいそうです。

有名な人(ソクラテス、マーティン・ルーサー・キング,Jr、アインシュタイン、ダ・ヴィンチ、 タイタニック号の船長)も選ばれました。

一人の人はエバと話して
「なぜ、食べてはいけない実を食べたの?」と聞きたいそうです。

クリスチャンであるあなたは誰と話したいですか。
イエス様ですか。やはりもっとも多い答えはイエス様でした。
しかし、私はイエス様ではなく妻と書きました。
私がイエス様ではなく、妻を選んだ理由は簡単です。
イエス様はまだ生きておられます。だから、聖書によると、
キリストを信じている人はいつでも彼と話す事ができます。

よみがえられたイエスは弟子達に言われました。
「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、
     あなたがたとともにいます。」
マタイの福音書28:20

また、へブル人への手紙 7:25によると
(キリストは、いつも生きていて、
      私たちのために、とりなしをしておられます。)


もし私たちが、もうすでに亡くなった人と話したいなら、
天国に行く時まで待たなければなりません。
しかし、イエス様と話したいなら今現在、生きておられるので
いつでも、どこでも話す事ができます。


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