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YOU(あなた) 

私は夏キャンプのための決心カードを50枚作成する事にしました。
全部を印刷してから、私は大変な間違いに気がつきました。「あなたの決心に〇をつけてください」とあるべきが「あんたの決心に〇をつけてください」と書いてありました。
時々「あんた」を使う人がいますが、やはり決心カードには礼儀正しい「あなた」をつかうべきだと思いました。だから私はもうすでに印刷していた決心カードを捨てて、新しいのを印刷しました。

YOU 他の人に英語で話す時、
「YOU」しかありません。 しかし「YOU」を日本語で言う時、いろんな言葉があります。
例えば「あなた」 「君」 「おまえ」 「貴様」 「あなたがた」 と「あんた」があります。他にもあるかも知れませんが、私はこの6つしか知りません。
「あなた」は日本語の聖書に8,410回書いてあります。 なぜなら他の宗教の神々と違って、聖書の神様はひとり一人と個人的な関係を持つ事を望んでおられるからです。救い主イエス・キリストを信じる全ての人々に神様は多くの素晴らしい約束をして下さいました。

[I am with YOU always, even unto the end of the world]
「わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイの福音書 28:20)

[I go to prepare a place for YOU] 
「あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。」

(ヨハネの福音書14:2)

[Peace I leave with YOU.  My peace I give unto YOU]
「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。」
(ヨハネの福音書14:27)

[Come unto me, all ye that labor and are heavy laden, and I will give YOU rest.] 
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」
(マタイの福音書11:28)

God loves YOU.
(神様はあなたを愛しておられます)

Christ died on the cross for YOU.
(キリストは十字架の上であなたのために死んでくださいました。)

神様が「あんた」のために用意して下さった救いと約束を受け入れて下さい。

アンケートの驚くべき結果 

Lifeway Research 最近私は Life Way Research と言う組織によって行われたアンケートの結果を読んで驚きました。

このアンケートは毎週アメリカの教会に出席している教会員のためのアンケートです。
彼らは、いくつかの問いに「同意する」「同意しない」かを答えるものです。

聖書のヨハネの福音書14:6でキリストは
「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」と言われたのに、26%は「もし人が真面目に神様を求めるなら、キリスト教以外の宗教を通して永遠の命を得る事ができる」と言う問いに同意していました。

聖書のエペソ人への手紙2:8~9
「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。 行ないによるのではありません。」と書いてあるのに7%が「ベストを尽くして正しい生活をすれば、天国に行く事ができる」と言う問いに同意していました。

聖書のイザヤ書45:5で神様は
「わたしが主である。ほかにはいない。
           わたしのほかに神はいない。」

とおっしゃったのに、13%が「聖書の神様はイスラム教や仏教やヒンズー教の神々と変わらない」と言う問いに同意していました。

このアンケートの驚くべき結果をどう説明しましょうか!?
次の三つの事です。

1. 彼らは教会員でありながら、聖書を読まないから、
   聖書に何と書いてあるか分かりません。

2. 彼らは本当のクリスチャンではありません。
   毎週教会に出席する事は単なる習慣です。

3. 彼らの教会の牧師が聖書を正しく教えていません。


「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても
しっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、
責め、戒め、また勧めなさい。 というのは、人々が健全な教えに
耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、
気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために
寄せ集め、 真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような
時代になるからです。」
Ⅱテモテへの手紙4:2~4


山中で行方不明になった人たち 

日本の警察庁のデータによると、去年2,713人の人が日本の山中で行方不明になりました。その中の320人が亡くなった方や現在まで行方不明になっているそうです。 行方不明になった人の42%は道に迷った人です。17%は高い所から落ちた人です。

登山 残念な事に時々行方不明になるクリスチャン達もいます。長い間彼らは正しい道を歩けど、人生の様々な試練のゆえに、彼等は山場に遭って行方不明になります。
そして、彼等は神様から、また教会から離れていきます。
彼らが試練の山中で行方不明になる理由が二つあります。
まず、彼等は道に迷います。 今まで正しい道を歩んできた人生の危機のためにその道から離れて行きます。
そして、正しい道から離れれば離れるほど彼らは迷子になります。

私達の道に試練の山が突然現れた時、その山中で迷子にならないように主により頼んで、主を認めましょう。

「心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。 あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」 (箴言 3:5~6)

人生の山場に遭うクリスチャンが行方不明になるもう一つの理由は、彼等は不信仰となり、恐れと失望の中に陥るからです。試練の山中で迷子にならないように、私達がつまずかないように守る事ができる神様の力を信じましょう。 (ユダの手紙24節)
人生の山場にある時、私達がしっかりと持ち続ける信仰は私たちを守ります。

マタイの福音書17:20
でキリストは言われました。
「あなたがたに告げます。もし、からし種ほどの信仰があったら、
この山に、『ここからあそこに移れ。』と言えば移るので。」


大変な日曜日の朝 

先週、日曜日の朝、土砂降りでした。私は荷物を教会へ降ろして、駐車場に車を止めて、その土砂降りの中を教会まで歩きました。
傘を持っていましたが、ズボンの裾はズブ濡れでした。

ミラ  日曜学校の準備をしている時、私はワイシャツにあるシミに気がつきました。
私はまた土砂降りの中を駐車場まで歩きました。急いで家へ戻って着替えて、再び駐車場に車を止め、また土砂降りの中を教会まで歩きました。本当に最悪な日曜日の朝でした。

ワイシャツのシミに気がついた時、私は困惑しました。そのシミが付いているワイシャツを着たままで皆さんの前に立つのが嫌でした。
やはり、人前に立つ時、シミのない服を着たいと思うでしょう。

しかし、シミが付いている服を着て人前に立つ事が嫌な事であれば、心にシミ「罪」が付いているままで神様の前に立つ事はもっと嫌な事です。

コリント人への手紙5:10
「なぜなら、私たちはみな、キリストのさばきの座に現われて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになるからです。」と書いてあります。

その時、キリストのさばきの座の前に立つ時、やはりどのクリスチャンもシミのないままで立つ事を望んでいます。

もちろん、人がキリストを信じる時、その人はキリストの血によって全ての罪からきよめられます。(Ⅰヨハネの手紙1:7)

しかし、クリスチャンになってから、私達は自分をきよく保つべきです。 (Ⅰテモテへの手紙5:22)

クリスチャンが毎日祈る時、自分の心にシミが付いているかどうかよく見るべきです。そして、シミがあると分かったら、すぐそれを神様に告白しましょう。

「もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」Ⅰヨハネの手紙1:9


泣く神様 

最近、東京や各地方で「淚活(るいかつ)というイベントが行われています。
このイベントに来る40人位の人々は先ず泣語家
(なくごか)
「泣石家
(なかしや)芭蕉」さんの泣語(なくご)を聞きます。
その後、彼等は悲しいビデオを見ます。
淚活 そして泣く事の益について話を聞きます。
最後に、参加者達は自分を泣かせた話やビデオについて話し合う「淚友」と言う時間があります。
「淚活」と言うイベントは90分位続く無料のイベントです。

私が中学校や高等学校に行った時代に、もし泣く男の子がいたら、私達は彼を「弱虫」と呼びました。
私達は泣く子供を「Crybaby」「Sissy」と呼びました。
「Crybaby」「泣き虫」です。
「Sissy」「女々しい」と言う意味です。

しかし、聖書に「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。 泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。」と書いてあります。(伝道の書3:1~4)

驚く事に、私達は聖書の中で泣いておられる神様を見る事ができます。
ルカの福音書19:41
「エルサレムに近くなったころ、都を見られたイエスは、その都のために泣いた。」
キリストがエルサレムのために泣いた理由は何でしょうか? 

マタイの福音書23:37
でキリストは言われました。
「ああ、エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者。わたしは、めんどりがひなを翼の下に集めるように、あなたの子らを幾たび集めようとしたことか。それなのに、あなたがたはそれを好まなかった。」
今でも神様は救われるために御自分に来ようとしない人々のために泣いておられるでしょう。

ヨハネの福音書11:35
にも私達は泣いておられるイエス様を見る事ができます。
「イエスは涙を流された。」英語の聖書に「Jesus wept」と書いてあります。 これは英語の聖書の最も短い節です。
ラザロの死を泣いている彼の家族と友達を見たイエス様は泣きました。

聖書が教えている神様は木や石で出来た神々と違って、泣く事ができる神様です。
私達に同情できる神様です。(へブル人への手紙4:15)

私達のために泣いて下さる神様を信じましょう! 
愛しましょう! 忠実に仕えましょう!

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