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泣く神様 

最近、東京や各地方で「淚活(るいかつ)というイベントが行われています。
このイベントに来る40人位の人々は先ず泣語家
(なくごか)
「泣石家
(なかしや)芭蕉」さんの泣語(なくご)を聞きます。
その後、彼等は悲しいビデオを見ます。
淚活 そして泣く事の益について話を聞きます。
最後に、参加者達は自分を泣かせた話やビデオについて話し合う「淚友」と言う時間があります。
「淚活」と言うイベントは90分位続く無料のイベントです。

私が中学校や高等学校に行った時代に、もし泣く男の子がいたら、私達は彼を「弱虫」と呼びました。
私達は泣く子供を「Crybaby」「Sissy」と呼びました。
「Crybaby」「泣き虫」です。
「Sissy」「女々しい」と言う意味です。

しかし、聖書に「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。 泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。」と書いてあります。(伝道の書3:1~4)

驚く事に、私達は聖書の中で泣いておられる神様を見る事ができます。
ルカの福音書19:41
「エルサレムに近くなったころ、都を見られたイエスは、その都のために泣いた。」
キリストがエルサレムのために泣いた理由は何でしょうか? 

マタイの福音書23:37
でキリストは言われました。
「ああ、エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者。わたしは、めんどりがひなを翼の下に集めるように、あなたの子らを幾たび集めようとしたことか。それなのに、あなたがたはそれを好まなかった。」
今でも神様は救われるために御自分に来ようとしない人々のために泣いておられるでしょう。

ヨハネの福音書11:35
にも私達は泣いておられるイエス様を見る事ができます。
「イエスは涙を流された。」英語の聖書に「Jesus wept」と書いてあります。 これは英語の聖書の最も短い節です。
ラザロの死を泣いている彼の家族と友達を見たイエス様は泣きました。

聖書が教えている神様は木や石で出来た神々と違って、泣く事ができる神様です。
私達に同情できる神様です。(へブル人への手紙4:15)

私達のために泣いて下さる神様を信じましょう! 
愛しましょう! 忠実に仕えましょう!

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