undefined 現在の閲覧者数:
fc2ブログ

LOVE LOCKS 

   Pont des Arts   
フランスのパリ、セーヌ川に架かるポンデザール橋があります。この橋の欄干の金網が壊れて、当時のパリ市長は恋人達に自分達の永遠の愛の誓いを結ぶ印しとして「愛の錠前」を橋の欄干に付けるように勧めました。

その時から8,400人の恋人達の名前が書いてある錠前をその橋に付けた事が始まりで、恋人達は錠前を欄干に付けて、その鍵をセーヌ川に投げ込むようになりました。

アメリカの習慣も似ていますが、方法が違います。
恋人達のイニシャルを木に刻みます。例えば
「K + L」あるいは「KB loves LM」等を刻みます。

私は、この習慣がとてもロマンチックだと思います。
しかし、橋に付けられた錠前や木に刻まれたイニシャルは二人の間の愛を確かめる事ができません。もし恋人や夫婦の愛が本当の愛であるならば、二人の態度と行動がそれを確かめます。


愛を確かめる態度はⅠコリント人への手紙13:4-6に書いてあります。
「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、 不正を喜ばずに真理を喜びます。」

そして、愛を確かめる行動はⅠコリント人への手紙13:7に書いてあります。
「すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。」

もちろん、パリに行って橋に錠前を付ける事も、木にイニシャルを刻む事もロマンチックです。
私はそのような事をするカップルは幸福だと思います。
しかし、二人の愛を育み、それを確かなものにするためにはそれ以上の事が必要です。

行動と態度によって確かめられた愛は、二人の関係の完全な帯となります。
(コロサイ人への手紙3:14)

ファーストクラスの人生 

   fast class 
飛行機に乗った事がありますか?
乗った皆さんは、どのクラスに乗りましたか? 
おそらく皆さんは、私と同じようにエコノミークラスに乗った事でしょう。

一度だけ、私のチケットはエコノミークラスだったのに、ビジネスクラスに座る事が出来ました。とっても快適だった。
そして私は「これからビジネスクラスに乗ろう!」と決めましたが、ビジネスクラスの価格を見てビックリ、私はその決心を諦めました。

ファーストクラスに乗った事がありますか? 
私はありません。私の息子と娘は一度ファーストクラスに乗りました。息子の話によると、あまりにも快適だったので、彼等は飛行機を降りたくなかったそうです。


私たちは、飛行機のファーストクラスに乗る事が出来ないかも知れませんが、イエス・キリストを信じる信仰によって、私達はファーストクラスの人生を経験する事ができます。なぜキリストを信じる人の人生がファーストクラスの人生かと言うと。
まず、キリストを信じる人の人生のパイロットは神様だからです。パイロットになって下さる神様は私たちを正しい道に導いて下さいます。
詩篇23:3「主は私を義の道に導かれます。」
と書いてあります。

箴言3:5~6によると、
「もし私達が神様の導きに従えば、神様は私達の道を真っ直ぐにして下さいます。」

キリストを信じる人の人生がファーストクラスの人生である、もう一つの理由は天国に行くためのチケットが無料だからです。神様は十字架の上で全ての人々の罪のために死んで下さったキリストを信じる人に天国に行くチケットを下さいます。賜物です。

ローマ人への手紙6:23によると
「神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」

あなたの人生はファーストクラスの人生ですか? 
もし、そうでなければ、ぜひキリストを信じてファーストクラスに乗って下さい。

最高の復讐 

         eva kor 
二次世界大戦の間に6,000,000人のユダヤ人が殺されました。
その中の多くのユダヤ人はアウシュヴィッツ強制収容所のガス室の中で死にました。

エヴァ・モーゼス・コーと言う女性の両親と二人のお姉さんはアウシュヴィッツ強制収容所で死にました。
エヴァと双子の妹は実験材料にされましたが、彼女達は生き残りました。

22年前までエヴァは怒りと憎しみに満ちている不幸な人でした。しかし彼女は自分を癒す方法を見つけました。
その方法とは自分を傷つけた人々を赦す事でした。

エヴァは書きました。
「わたしには人を赦す事によって自分自身を癒す力があると分かった時、それは私の人生の最も驚くべき発見でした」

エヴァは赦しについて次の事も書きました。
「赦しは和解と違います。和解するためには二人の行動が必要だから難しい事です。しかし、人を赦すために自分自身だけの行動で出来ます。赦しは最高の復讐です」

マタイの福音書6:9~13でキリストは「主の祈り」と呼ばれている有名な祈りを弟子達に教えました。
そして、14~15節でキリストはこの言葉を付け加えました。
「もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます。
しかし、人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの罪をお赦しになりません。」
マタイの福音書6:14~15


他人の罪を赦す事は神様に自分の罪を赦して戴く条件ですから、人を赦す事は他人のための行動ではなく、自分自身のための行動です。
エヴァ・モーゼス・コーが言った通りに、自分自身を癒す方法です。

キリスト御自身は私達の模範になりました。
御自分を十字架につけた人々を見ながら、
キリストは祈りました。
「父よ。彼らをお赦しください。」
ルカの福音書23:34

神様のタイミング 

     タイミング 
5月1日に教会の御兄姉に男の子が福岡市の九州大学病院で生まれました。
次の日、私はお見舞いに行きました。
彼女の部屋の番号が分からなかったので、病院の案内所を探しました。
しかし、九州大学病院は大きな病院なので迷子になりました。
ちょうどその時に後の方から私を呼んでいる声が聞こえたので、振り向きました。彼女のご主人でした。
彼は病院の一階にあるコンビニへ行くために5階から降りて来ました。ちょうど私がコンビニの前を通った時、彼はコンビニの前で私を見つけました。

兄弟と私が大きな病院の中でちょうど同じ時間に同じ場所にいた事は偶然でしょうか。私はどうしてもそう思う事ができません。 私がコンビニの前を1 分前か1 分後に通ったら、彼と私はすれ違いだったでしょう。

この出来事を通して私は新たに神様のタイミングを考えさせられました。
In Time, On Time, Every Time と言う英語の賛美歌があります。
神様はいつも時間通りに間にあう神様です。
神様は決して遅れる事はありません。
また早過ぎる事もありません。


ハバククと言う預言者は神様に言いました。
「主よ。私が助けを求めて叫んでいますのに、あなたはいつまで、聞いてくださらないのですか。」ハバクク書1:2

「主は私に答えて言われた。幻を書きしるせ。これを読む者が急使として走るために、板の上にはっきり書きしるせ。
この幻は、なお、定めの時のためである。それは終わりについて告げ、まやかしを言ってはいない。もしおそくなっても、それを待て。それは必ず来る。遅れることはない。」
ハバクク書2:2~3

今、祈りの応えを待っているみなさん、失望しないで下さい。神様のタイミングは完璧です。最も良い時に神様は応えて下さいます。私達の祈りに応える事が私達の益になる時に主は応えて下さいます。

「待ち望め。主を。雄々しくあれ。心を強くせよ。
  待ち望め。主を。」
詩編27:14

みんなが眠っていました 

   電車寝てる 
先月、富山県に行った時、私はとても早く出掛けなければなりませんでした。
下曽根駅から電車に乗り、まだ7時前だったので、空いていると思ったけど、開いている席は一つもありませんでした。
小倉まで立って、座っているお客を見ると、ほとんどの人が眠っていました。

眠っている人々で一杯になっている電車を見つめながら私は今まで見たいくつかの教会を思いだしました。
教会員は日曜日の朝に集まっていますが、ほとんど伝道していません。国内の開拓伝道と海外宣教に対するビジョンがありません。眠っている教会です。

クリスチャンの皆さん、教会が眠っている教会になる事がないように気を付けましょう。
「ほかの人々のように眠っていないで、目をさまして、慎み深くしていましょう。 私たちは昼の者なので、信仰と愛を胸当てとして着け、救いの望みをかぶととしてかぶって、慎み深くしていましょう。」
Ⅰテサロニケ人への手紙5:6節・8節

マルコの福音書13章にキリストの再臨は旅に出かけた主人が家にもどる事とたとえられています。
「旅に立つ人が、出がけに、しもべたちにはそれぞれ仕事を割り当てて責任を持たせ、門番には目をさましているように言いつけるようなものです。 だから、目をさましていなさい。家の主人がいつ帰って来るか、夕方か、夜中か、鶏の鳴くころか、明け方か、わからないからです。 主人が不意に帰って来たとき眠っているのを見られないようにしなさい。」
マルコの福音書13:34~36
キリストが再び、おいでになる時に、眠っている教会を見られないようにしましょう。

マタイの福音書26章でイエスは弟子達に言われました。
「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。ここを離れないで、わたしといっしょに目をさましていなさい。」
マタイの福音書 26:38

しかし、イエスが弟子達の所にもどった時、彼等は眠っていました。イエスは彼等にこの悲しい事を言われました。
「あなたがたは、そんなに、一時間でも、わたしといっしょに目をさましていることができなかったのか。」
マタイの福音書 26:40

キリストが再び、おいでになる時、主が私達にこのような言葉を言われないように、目を覚まして、主の働きに励みましょう。

skin presented by myhurt : BLOG | SKIN
  
copyright © 2005 小倉聖書バプテスト教会よりメッセージ all rights reserved. Powered by FC2ブログ