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実を結ばないクリスチャン 

   実を結ばない 
北九州市の平尾台に行って、そこにある多くの岩と雑草を眺めていると、私はキリストのたとえばなしを思い出しました。

「よく聞きなさい。種を蒔く人が種蒔きに出かけた。 蒔いているとき、種が道ばたに落ちた。すると、鳥が来て食べてしまった。 また、別の種が土の薄い岩地に落ちた。土が深くなかったので、すぐに芽を出した。 しかし日が上ると、焼けて、根がないために枯れてしまった。 また、別の種がいばらの中に落ちた。ところが、いばらが伸びて、それをふさいでしまったので、実を結ばなかった。 また、別の種が良い地に落ちた。すると芽ばえ、育って、実を結び、三十倍、六十倍、百倍になった。」
マルコの福音書4:3~8


キリストはマルコの福音書4:14~20節でこのたとえばなしを説明しました。特に16~19節に注目しましょう。
「同じように、岩地に蒔かれるとは、こういう人たちのことです――みことばを聞くと、すぐに喜んで受けるが、 根を張らないで、ただしばらく続くだけです。それで、みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます。 もう一つの、いばらの中に種を蒔かれるとは、こういう人たちのことです――みことばを聞いてはいるが、 世の心づかいや、富の惑わし、その他いろいろな欲望がはいり込んで、みことばをふさぐので、実を結びません。」マルコの福音書4:16~19

この説明によると、私達が実を結ばないクリスチャンになる要因が5つあります。
①困難  ②迫害  ③世の心遣い
④富の惑わし  ⑤欲望


ヨハネの福音書
によると、神様は私達に実を結ぶものになる事を望んでおられます。
「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。」
ヨハネの福音書15:16

もし、私達が自分の心に実を結ばないクリスチャンになる5つの原因の中に一つでもある事に気が付いたなら、すぐにその雑草を刈り取りましょう。

半々の旗 

    半々の国旗 
女子ワールドカップ
サッカーの決勝戦は日本  VS  アメリカ  でした。
この試合は、日本に長く住んでいるアメリカ人にとって複雑な気持ちでした。
そして、アメリカ人である私はアメリカを応援しましたが、日本に優勝して欲しい気持もありました。
優勝はアメリカであっても、日本であっても、私は喜ぶ事が出来ました。
日本で生まれて十数年間、日本に住んでいた私の娘タバサもそうでした。試合の日にタバサは
  Facebook  で国旗の写真をUPしました。
その国旗は半々の旗でした。半分はアメリカ国旗で、残りの半分は日本国旗でした。
その国旗は、見事に日本を愛しているアメリカ人の気持ちを表しています。

スポーツの試合であれば、半々の気持ちでは、良くないかも知れないけれど、信仰の事になると、私達の信仰は半々の信仰であってはいけません。

聖書のⅠ列王記によると、イスラエルの民は神様から離れてバアルと言う神を拝むようになりました。それで、神様の預言者エリヤとバアルの預言者達は本当の神を決定するための対決をしました。

その対決の前にエリヤはイスラエル人に言いました。
エリヤは みなの前に進み出て言った。「あなたがたは、いつまでどっちつかずによろめいているのか。
もし、主が神であれば、それに従い、もし、バアルが神であれば、それに従え。」
Ⅰ列王記18:21

エリヤが言った通です。 どっちつかずの信仰、だから半々の信仰はダメです。 私達は同時に聖書の神様とブッダと神道の多くの神々を拝む事ができません。聖書の神様がまことの神であると信じている人は、心を尽くして神様だけに従うべきです。

ヨシュアの決心と同じ決心をしましょう。
「もしも主に仕えることがあなたがたの気に入らないなら、あなたがたの先祖たちが仕えた神々でも、今あなたがたが住んでいる地のエモリ人の神々でも、あなたがたが仕えようと思うものを、どれでも、きょう選ぶがよい。私と私の家とは、主に仕える。」ヨシュア記24:15

オウンゴール 

     オウンゴール 
女子ワールドカップ・サッカーの準決勝は、みんなをワクワクさせる試合でした。
日本とイングランドは試合終了間際、1―1の熱戦でした。
その時、思いがけない事が起こりました。
ボールはイングランドの選手の足に当って、イングランドのゴールに入ってしまいました。
日本はイングランドに苦戦していたのに、イングランドは、

「オウンゴール」のために負けてしまいました。

聖書に一人の兵隊の「オウンゴール」のために負けた軍隊の話があります。ようやく約束された地に入る事ができたイスラエルはまずエリコと言う強い町と戦わなければなりませんでした。
イスラエルの民はみんな神様のおっしゃる通りにしたので、彼等は勝利を得る事ができました。(ヨシュア記6章)

戦いの前に、神様はイスラエル人に警告しました。
「聖絶の物に手を出すな。イスラエルに災いをもたらさないためである」 ヨシュア記6:17~18

しかし、アカンと言う人は聖絶の物を取りました。
(ヨシュア記7:1)

彼の罪の結果として、イスラエルがアイと言う小さな町と戦って負けてしまいました。(ヨシュア記7:4~5)
アカンの罪はイスラエルの「オウンゴール」となりました。
一人ひとりの教会員はアカンの話を覚えるべきです。
なぜなら、
一人の教会員の罪が、教会に災いをもたらすかもしれません。
一人の兄弟の罪は、教会の成長を妨げるかもしれません。
一人の姉妹の罪は、神様からの祝福を妨げるかもしれません。

私達の教会に「オウンゴール」がないように、
詩篇1:1~3の言葉を心に蓄えましょう。
「幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。 まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。 その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。」

カトリックとバプテスト 

    カトリック 
小倉教会は、近くに駐車場を借りています。
最近、駐車場の管理人が各自の駐車場にネームプレートを
設置しました。
小倉教会の2ヶ所の駐車場に「カトリック」と書いて
ありました。
しかし、小倉教会はカトリックではありません。

カトリック教会バプテスト教会にいくつかの根本的な
違いがあります。


1.
 カトリック教会は、幼児洗礼を行ないます。
 バプテスト教会は、キリストに対する信仰を告白する人だけ
 にバプテスマを授けます。

 (使徒の働き8:36-37)


2.
  カトリック教会の教理は聖書の教えと教会の教えと伝説
 に基づいています。
 バプテスト教会の教理は、聖書の教えだけに基づいています。
 (Ⅱテモテへの手紙3:16-17)

3. カトリック教会では、マリヤの執り成しを通して
 神様に祈ります。
 バプテスト教会では、キリストの執り成しを通して
 神様に祈ります。

 (Ⅰテモテへの手紙2:5)

4. カトリック教会では、罪の赦しを受けるために神父に
 罪を告白します。
 バプテスト教会では、直接、神様に罪を告白して赦し
 を受けます。

 (Ⅰヨハネの手紙1:9)

5. カトリック教会は人が7つのサクラメントを守る事に
 よって救われると教えています。
 バプテスト教会は人がただ神様の愛のゆえに信仰に
 よって救われると信じています。

 (エペソ人への手紙2:8-9)

6. カトリック教会は、天国と地獄の間に「煉獄」と言う
 場所があると教えています。
 聖書に煉獄の事はどこにも書いてありません。
 バプテスト教会は、天国と地獄だけを信じています。
 (ヨハネの福音書3:36)

7. カトリック教会のかしらは、教皇です。
 
バプテスト教会のかしらは、キリストです。
 (エペソ人への手紙5:23)

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