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逃走中!RUN FOR THE MONEY 

鹿児島にいる間、私は息子の家族と一緒にとても面白いテレビ番組を見ました。
『逃走中』という番組です。この番組は、大きなショッピング・モールで行われました。
芸能人やスポーツ選手など20名がこの番組に出場しました。

彼らは、130分間3人の[ハンター]から逃げなければなりません。もし捕まれば賞金は、もらえません。
しかし、捕まらずに逃げ切る事ができれば、賞金780,000円がもらえます(1秒間に100円)。

逃走中に出場者は、いろんな[ミッション]を果たさなければなりません。
タイム・オーバーすると[ハンター]の数が増えていきます。
この番組を見ながら、ワクワク興奮して出場者を応援しました。
「危ない! 早く逃げろ!」

私は「このゲームが、クリスチャン生活に似ている]と思いました。Ⅰペテロの手紙5:8によると、クリスチャンを狙っている[ハンター]がいます。
「あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを探し求めながら、歩き回っています。」
この[ハンター]に捕まらないために、私たちは、2つのことをするように勧められています。
「身を慎み、目をさましていなさい。」

『逃走中』を見ながら、私が注目したもう一つのことは[ミッション]を果たすために、出場者は、協力しなければならなかった事です。
すべてのミッションを果たすために少なくても2~3人の協力が必要でした。

同じように、教会に与えられた[ミッション]を果たすために、皆さんの協力が必要です。
エルサレムにあった教会は、私たちの模範です。
使徒の働き4:32に書いてある言葉は、その教会の伝道の成功を説明しています。
「信じた者の群れは心と思いを一つにしました。」

  
RUN FOR THE MONEY 


RUN FOR THE MONEY
 

While I was in Kagoshima, I watched a very interesting TV program with my son’s family. It is a program called “Run for The Money.” The program takes place in a large shopping center. Twenty people from the world of entertainment and sports participate in the program.

For 130 minutes they have to escape from three “hunters.” If they are captured, they receive no money. However, if they are able to escape without being captured, they receive 780,000 yen (100 yen for each second).

During the program, the participants have to carry out various “missions.” When they are unable to do so within the allotted time, the number of “hunters” increase. While I was watching this program, I became very excited and cheered for the participants.
“Look out! Hurry and escape!”

When I watched this program, I thought, “This program resembles the Christian life.”
According to First Peter 5:8, there is a “hunter” who is pursuing Christians.
Your adversary the devil walks about like a roaring lion, seeking whom he may devour.
We are exhorted to do two things so we will not be captured by this “hunter.”
Be sober, be vigilant.

While I was watching this program, I noticed one more thing. The participants had to cooperate to carry out the missions. 2-3 participants were necessary to complete each mission.

In the same way, in order for the church to carry out the mission that has been give to it, the cooperation of everyone is necessary.
The church in Jerusalem is our example. The words written in Acts 4:32a explain the success of the evangelism of this church.
The multitude of those who believed were of one heart and one soul.

充分すぎるほどの… 

ワイエット先生の家族が、まだ日本にいた頃、クリスティ先生が毎週、日曜日のお弁当を作ってくださいました。
彼らがアメリカに帰国してからは日曜日のお弁当をコンビニで買うつもりでした。
しかし現在、教会の一人の姉妹が私のお弁当を作って下さっています。

その姉妹が作るのは、いつもとても美味しいお弁当です。
そのお弁当は、私にとって充分すぎるほどのお弁当ですから、それを全部食べることができません。
その場合、日曜日の夜に残りを食べるので姉妹が作ってくださるお弁当は、昼食と夕食になります。

姉妹の充分すぎるほどのお弁当を食べるたびに私は、よく聖書の2箇所を思い出します。
まず、エペソ人への手紙3:20-21です。
「私たちのうちに働く力によって、私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことができる方に、教会により、またキリスト・イエスにより、栄光が、代々にわたって、とこしえまでありますように。」

もう一つの箇所は、Ⅱコリント人への手紙9:8です。
「神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ち足りて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵をあふれるばかり与えることのできる方です。」

キリストを信じている人は、霊的に乏しい生活をする必要がありません。
「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。」
詩篇23:1


もし、私たちが主の御心にかなう生き方をすれば、主は、ご自分の愛と恵みと哀れみを豊かに与えてくださいます。
クリスチャンが霊的に乏しくなる事は、神様の御心ではありません。

キリストは、私たちが豊かな人生を送ることができるために来てくださいました。(ヨハネの福音書10:10)

  
お弁当 

MORE THAN ENOUGH…
 

When the Wyatt family was still in Japan, Cristy fixed my Sunday lunch every week. After they returned to America, I intended to buy my lunch at a convenient store. However, now one of the ladies of the church makes my lunch for me.

The lunch that she makes for me is delicious. Many times, it is more than enough, so I cannot eat all of it. Those times, I eat the leftovers for supper, so the lunch that she prepares for me becomes my lunch and my supper.

When I eat her lunches that are more than enough, I remember two Bible passages.
First, I remember Ephesians 3:20-21.
Now to Him who is able to do exceedingly abundantly above all that we ask or think, according to the power that works in us, to Him be glory in the church by Christ Jesus to all generations, forever and ever.

The other passage is Second Corinthians 9:8.
God is able to make all grace abound toward you, that you, always having all sufficiency in all things, may have an abundance for every good work.

There is no need for the person who believes in Christ to live a life of want.
The Lord is my shepherd; I shall not want.
(Psalm 23:1)
If our way of living pleases the Lord, He will give us His love, grace, and mercy in abundance.
It is not the will of the Lord for the Christian to be a spiritual beggar.

Christ came so that we could have life and have it more abundantly.
(John 10:10)

ダニエル、助けてください! 

私は、「めったに夢を見ません」と言いったことがありまが最近、私が読んだ記事によると、ほとんどの人が毎晩、夢を見ています。
起きて、その夢を覚えてる時もありますが、人は、95%夢を覚えていないそうです。

なぜだか最近、自分が見た夢をよく覚えている事があります。
夢の内容は毎晩、変わるけど、私がよく見る夢に一つの共通点があります。
夢の中でマイカーを見つけることができません。この夢の意味は、何でしょうか。

聖書の中でダニエルは、ネブカデネザル王が見た夢の意味を解き明かしました。(ダニエル2章)もし、ダニエルがまだ生きていれば、私も彼に解き明かしを聞きたい。
「ダニエル、助けてください。私の夢の意味は、何でしょうか。神様は、夢を通して私に何か言おうと示されているのでしょうか。」

もちろん、今でも、神様は、夢を通して私達に語る事ができます。しかし現在、主が私達にご自身の御心を教える方法は、違います。まず主は、聖書を通して御心を教えてくださいます。

「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。」Ⅱテモテへ手紙3:16-17
そして、主は、すべてのクリスチャンのうちに宿っておられる聖霊を通して導きを与えてくださいます。

「あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられる。」Ⅰコリント人への手紙3:16

そして、主は、全てのクリスチャンのうちに宿っておられる聖霊を通して導きを与えてくださいます。

  
Sleep and Dream 

“Daniel, Help Me.” 

I have said many times, “I rarely dream.” However, according to an article I read recently, most people dream every night. There are times when we remember our dreams after we wake up, but it is said that we forget 95% of our dreams.

I do not know why, but lately the dreams that I remember have increased. The content of the dreams changes every night, but all of the dreams have one thing in common. In the dream I cannot find my car. What do you think it means?

In the Bible Daniel explained to Nebuchadnezzar the meaning of the dream he saw. If Daniel were still living, I want to ask him, “Daniel, please help me. What is the meaning of my dream? Is the Lord trying to say something to me through my dreams?”

Of course, even now, it is possible for the Lord to speak to us through dreams, but at the present time His method of teaching His will to us is different. First of all, the Lord teaches us His will through the Bible.
All Scripture is given by inspiration of God, and is profitable for doctrine, for reproof, for correction, for instruction in righteousness, that the man of God may be complete, thoroughly equipped for every good work. (Second Timothy 3:16-17)

Also, the Lord gives us guidance through the Holy Spirit who dwells in each Christian.
You are the temple of God and the Spirit of God dwells in you. (First Corinthians 3:16)

Dreams that do not agree with the teaching of the Bible and the leading of the Holy Spirit are not dreams from the Lord.

もしも翼があったなら 

 

YELLOW BIRD(黄色い鳥)
という歌があります。
こんな曲です。
♬バナナの木の高いところに止まっている黄色い鳥。
 君は、私と同じようにひとりぼっち。
 君の女友達は、巣立つ。それは、とても残念なことです。
 私を悲しませることです。
 でも君は、空に飛び立つことができます。
 君は、私より幸運です。

そして、歌の最後は、こうなっています。
♬私が黄色い鳥だったら、君と一緒に飛び立つ。
 しかし、私は、黄色い鳥では、ないから私は、
 ここに残る。仕方がない。


この歌を作った人の気持ちに共感することができますか。
長い間、続く試練に遭うとき、あるいは、つらい状況に置かれているとき、「ああ、私は、翼があったなら、この鳥と同じようにここから飛び立ちたい」と思ったことがないでしょうか。

詩篇55:4-6で、ダビデは書きました。
「わたしの心は、うちにもだえ、死の恐怖が、私を襲っています。恐れとおののきは私に臨み、戦慄が私を包みました。そこで私は言いました。『ああ、私に鳩のように翼があったなら。そうしたら、飛び去って休む。』

残念なことですが、私たちの気持ちがダビデの気持ちと同じになるとき、私たちは、鳥のように飛び立って、すべての困難や苦しみから逃げることはできません。
しかし、私たちは、詩篇17:8に書いてある祈りをすることができます。
「主よ。私を、ひとみのように見守り、御翼の陰に私をかくまってください。」

私たちには、翼はありませんが、主の大きな翼の下に平安を見つけることができます。
「主は、ご自分の羽で、あなたをおおわれる。あなたは、その翼の下に身を避ける。」
詩篇91:4


  
YELLOW BIRD 

IF I HAD WINGS 

There is a song entitled YELLOW BIRD.

♬Yellow bird, up high in the banana tree,
 Yellow bird, you sit all alone like me.
 Did your lady friend leave the nest again?
 That is very bad, makes me feel so sad.
 You can fly away, in the sky away,
 You’re more lucky than me.

♬Wish that I was a yellow bird.
 I’d fly away with you.
 But I am not a yellow bird.
 So I sit, nothing else to do.

Can you empathize with the feelings of the person who wrote this song? When you meet a trial that continues for a long time, or when you are placed in trying circumstances, have you ever thought, “Oh, if I had wings like a bird, I could fly away from here.”

In Psalm 55:4-6 David wrote, My heart is severely pained within me, and the terrors of death have fallen upon me. Fearfulness and trembling have come upon me, and horror has overwhelmed me. So I said, "Oh, that I had wings like a dove! I would fly away and be at rest. “

Regretfully, when our feelings are the same as the feelings of David, we cannot fly away like a bird and escape from all of our troubles and suffering. But we can pray the prayer in Psalm 17:8. Lord, keep me as the apple of Your eye; Hide me under the shadow of Your wings.

We do not have wings, but we can find peace under the great wings of the Lord.
He shall cover you with His feathers, and under His wings you shall take refuge.
(Psalm 91:4)

クリスチャンの危機 

すべてのクリスチャンの人生には危機があります。
聖書の中に多くの人々の危機が記録されています。
例えば、ダビデの危機は、彼がバテ・シェバを見た時でした。
サムソンの危機は、彼がデリラに恋をした時でした。
ヨナの危機は、彼がニネベに行くように主に命令された時でした。

しかし、すべてのクリスチャンの危機は、その様な劇的な事では、ありません。
このような事です。長い間、祈りによって自分の願いを主に話します。
しかし、ずっと祈っても主は答えて下さいません。
やがて、自分が主に願っている事は、主の御心では、ないとわかります。この時です。これは、クリスチャンの人生の最も大きな危機です。

主に願っている事が主の御心では、ないと分かると、その時から私たちのクリスチャン生活が喜びのある生活になるか、或いは、惨めな生活になるか決まります。

主に願っている事が主の御心では、ないと分かった時、もし私たちが主の御心に逆らって、主を恨むクリスチャンになったら、私たちの人生は、惨めな人生になります。
一方、主の御心を受け入れて、自分の人生を主に委ねたら、私たちの人生は、満たされて、さらに勝利のある人生になります。

クリスチャンの模範は、キリストです。
十字架による死の直前にキリストは、祈りました。
「わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」ルカの福音書22:42

「私たちは良くても悪くても、あなたを遣わされた神、主の御声に聞き従います。私たちが私たちの神、主の御声に聞き従ってしあわせを得るためです。」
エレミヤ書42:6


  
CRISIS 

THE CHRISTIAN’S CRISIS
 

In the life of every Christian there is a crisis.
The crises of many people are recorded in the Bible.
For example, the crisis of David was the time he saw Bathsheba.
The crisis of Samson was the time he fell in love with Delilah.
The crisis of Jonah was the time he was commanded by the Lord to go to Nineveh.

However, the crisis of almost all Christians is not that kind of dramatic crisis.
It’s like this. For a long time, through prayer you tell the Lord your request.
However, even if you pray for a long time, the Lord does not answer.
Eventually, you realize that your request is not the will of the Lord.
This is it. This is the greatest crisis in the life of a Christian.

When we realize that our request is not the will of the Lord, our reaction at that time will determine if our life from that time will be a joyous life or a miserable life.

When we realize that our request is not the will of the Lord, if we rebel against the will of the Lord and become bitter against the Lord, our life will be a miserable life.
On the other hand, if we accept the will of the Lord, our life will be a fulfilled life, a victorious life.

Our example is Christ. Just before His death by the cross, He prayed, Not my will, but thine, be done.
(Luke 22:42)


Whether it is pleasing or displeasing, we will obey the voice of the Lord our God to whom we send you, that it may be well with us when we obey the voice of the Lord our God. (Jeremiah 42:6)

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