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二度と参加したくないマラソン大会とは? 

マラソン毎週、私は笑点を録画します。そして夜、家に帰って大笑いしながらそれを見ます。先々週、司会者の歌丸さんは、この問題を出しました。「二度と参加したくないマラソン大会とは?」色んな面白い答がありました。
 
(小遊三)
ゴールで刑事が待っているマラソン大会。
(昇 太)
給水場に行くと「ポテトも一緒にいかがですか?」って言うマラソン大会。
(円 楽)
裏街道ばっかり走っている大月のマラソン大会。
(小遊三)
塀の中のマラソン大会。
(好 楽)
給水場に熱~いお茶しかないマラソン大会。
(木久扇)
ゴールのテープがハエとり紙になってるマラソン大会。


私を特に笑わせた答えは、木久扇さんの答えでした。
「ゴールの位置がまだ決まっていないマラソン大会。」

「二度と参加したくないマラソン大会とは?」という問題に対する答えとしてとっても面白いけど「ゴールの位置がまだ、決まっていない」そんな人生だったら、とっても悲しい事です。

クリスチャンは、使徒パウロの様に、ハッキリ決まっているゴールを目指して走るべきです。「私は、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。」ピリピ人への手紙3:13-14

英語の聖書を見ると「栄冠」「prize」となっています。この言葉は英語の聖書に2回だけ出ます。もう一つの箇所は第1コリント9:24-26aです。
「競技場で走る人たちは、みな走っても、賞(prize)を受けるのはただひとりだ、ということを知っているでしょう。あなたがたも、賞を受けられるように走りなさい。また闘技をする者は、あらゆることについて自制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです。ですから、私は決勝点がどこかわからないような走り方はしていません。」

ひとり一人のクリスチャンは走るべき道のりがあります。
(第2テモテへの手紙4:7)

ですから、はっきり決まっているゴールを見ながら、私達の前におかれている競走を忍耐をもって走り続けましょう。

(ヘブル人への手紙12:1)


そうすれば、私達が受ける賞は座布団一枚ではなく、朽ちる事のない冠です。

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