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一番好きな聖書の書巻 

聖書の中で、あなたが一番好きな書巻はどこですか?
私は、喜びに満ち溢れているピリピ人への手紙が大好きです。
私たちの喜びを奪い取る主なものは、日々の出来事・人間関係・物質的な事・思い煩いです。

ピリピ書の第1章によると私たちは、日々の出来事に関わらず、キリストを私たちの人生の中心にすることによって心の喜びを保つことができます。
「私にとっては、生きることはキリストです。」
ピリピ人への手紙1:21


ピリピ書の第2章
によると私たちは、人間関係の問題に関わらず他人を自分よりも優れたものと思うことによって心の喜びを保つことができます。
「何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。」
ピリピ人への手紙2:3


ピリピ書の第3章によると私たちは、物質的な問題に関わらず自分の国籍は、天にあると覚えることによって心の喜びを保つことができます。
「彼らの思いは地上のことだけです。 けれども、私たちの国籍は天にあります。」
ピリピ人への手紙3:19-20


ピリピ書の第4章によると私たちは、心配事に関わらず祈りを通して私達の心を守ってくださる神様の平安を得て、心の喜びを保つことができます。
「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」
ピリピ人への手紙4:6-7


今、あなたの心に喜びはありますか?
或いは、あなたの喜びは何かに奪い取られましたか。
もし、そうであればピリピ人への手紙を読んで、喜びを取り戻してください。
「いつも主にあって喜びなさい。」
ピリピ人への手紙4:4

  
Philippians

YOUR FAVORITE
BOOK OF THE BIBLE


What is your favorite book of the Bible?
  I love the book of Philippians which is overflowing with joy. The main things that steal our joy are daily events, human relationships, problems concerning material things and worry.

According to chapter 1 of Philippians, by making Christ the center of our life we can maintain the joy of our heart in spite of daily events.
For to me, to live is Christ. (1:21)

According to chapter 2 of Philippians, by esteeming others better than ourselves we can maintain the joy of our heart in spite of problems in human relationships.
Let nothing be done through selfish ambition or conceit, but in lowliness of mind let each esteem others better than himself. (2:3)

According to chapter 3 of Philippians, by remembering that our citizenship is in heaven we can maintain the joy of our heart in spite of problems concerning material things.
They set their mind on earthly things, but our citizenship is in heaven. (3:19-20)

According to chapter 4 of Philippians, by obtaining through prayer the peace of God that protects our heart we can maintain the joy of our heart in spite of worry.
Be anxious for nothing, but in everything by prayer and supplication, with thanksgiving, let your requests be made known to God; and the peace of God, which surpasses all understanding, will guard your hearts and minds through Christ Jesus. (4:6-7)

Do you have joy in your heart today or has something stolen your joy? If so, read Philippians and regain your joy.
Rejoice in the Lord always.
(Philippians 4:4)

ハゲタカとコウモリとマルハナバチ 

先日、友達から面白い記事をメールでもらいました。

もし、ハゲタカを2×3mの天井のない囲いの中に入れたら、ハゲタカは死ぬまでその囲いの中にいます。
なぜなら、飛ぶためにハゲタカは3~4mのスペースが必要だからです。

もし、コウモリを部屋の床の上に置いたら、コウモリは、ずっとその部屋を歩き周ります。
なぜなら、コウモリは、平らな場所から飛び立つ事ができないからです。

もし、マルハナバチ(大きな蜂)をグラスの中に落とすと、ハチは死ぬまで、そのグラスの中にいます。
グラスの上があいているのにハチは、ずっとグラスの下の方で、出口を探し続けます。

試練に遭う時、多くのクリスチャンは、ハゲタカやコウモリやマルハナバチに似ています。
私たちは、下や周りを見て、試練から脱出の道を必死に探そうとします。試練に遭った時ヨブは、そうしました。

『ああ、私が前へ進んでも、神はおられず、うしろに言っても、神を認めることができない。左に向かって言っても、私は神を見ず、右に向きお変えても、わたしは会うことができない。』ヨブ記23:8~9
試練に遭った時、ヨブと同じように前後・左右を見ないで上を見ましょう。

「私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。私の助けは、天地を作られた主から来る。」詩篇121:1~2

うたがいうれいに(聖歌596番)
 仰げ、みめぐみを、仰げ、みかおを
 仰げ、みたすけを、仰げ、主を

  
buzzard

THE BUZZARD, THE BAT,
AND THE BUMBLEBEE


(Recently I received this interesting article from a friend.)

[If you put a buzzard into a 2×3 meter cage that has no roof, the buzzard will remain in the cage until it dies because a buzzard needs a space of 3-4 meters to run before it can fly.

If you place a bat on the floor of a room, the bat will continue to just walk around the room because a bat cannot take off from a level place.

If you drop a bumblebee into a glass, the bumblebee will remain in that glass indefinitely. Even though the top of the glass is open, the bumblebee will search for a way out at the bottom of the glass.]

When they meet a trial, many Christians are like the buzzard or the bat or the bumblebee. We look down or around and desperately search for a way of escape. That is what Job did when he faced his trial.
Behold, I go forward, but he is not there; and backward, but I cannot perceive him. On the left hand, where he doth work, but I cannot behold him. He hideth himself on the right hand, that I cannot see him. (Job 23:8-9)

When we face a trial, instead of looking forward or backward or to the left or to the right as Job did., let us look up.
I will lift up my eyes to the hills. From whence comes my help? My help comes from the Lord, who made heaven and earth. (Psalm 121:1-2)

(Translation of the Japanese of the chorus of the song “Look Beyond!)
Look up and see His grace, look up and see His face
Look up and see His help, look up and see the Lord.

サムライは、どこですか? 

53年前に初めて日本に来た時、私は日本の事を何も知りませんでした。日本人は、福音を聞いた事がない人が多いとだけ理解していました。
日本に来る前、テレビで航空会社のCMを見ました。
そのCMの中で日本人は、ほとんど着物を着ていて、侍が歩き回っていました。
日本は、まだそんな生活だと思っていました。

羽田空港に着いて、飛行機を降りた時、私はビックリしました。
まず、着物を着ている女性は、ほとんどいませんでした。
そして、侍は一人もいませんでした!
私は「侍は、どこですか?」と不思議に思いました。
今でも、その日を思い出す時、私は、自分の無知さを恥ずかしく思います。

ヘブル人への手紙11:8を読むたびに、私は、その経験を思い出します。
「信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。」
神様が、アブラハムに「あなたの生まれ故郷を出て行きなさい」と仰せられた時(創世記12:1)
「アブラハムは主がお告げになったとうりに出かけた。」創世記12:4
これは、全き献身をした人の姿です。

アブラハムのような献身を説明する3つの英語の単語があります。
ANYTHING(何でも)
ANYWHERE(何処でも)
ANYTIME(何時でも)


「主のためなら、私は、何でもします。主の御心なら私は、何処でも行きます。
私は、主の導きに何時でも従います。」
これは、献身者の祈りです。

キリストが最初の4人の弟子たちに、
「私について来なさい」といわれたとき「彼らは、何もかも捨てて、イエスに従った。」ルカの福音書5:11

  
samuraiZ


WHERE ARE THE SAMURAI?
 

When I came to Japan 53 years ago, I knew almost nothing about Japan. The only thing that I knew was that there were many people who had never heard the gospel. Sometimes I saw airlines commercials. In those commercials, everyone was wearing kimonos and samurai were walking around, so I thought life in Japan was still that kind of life.

When I got off the plane at Haneda, I was surprised. Almost no one was wearing a kimono and there wasn’t even one samurai. I wondered, “Where are the samurai?” Even now, when I remember that day, I laugh at my ignorance.

Every time I read Hebrews 11:8, I remember that experience.
By faith Abraham obeyed when he was called to go out to the place which he would receive as an inheritance. And he went out, not knowing where he was going. When God said to Abraham, Get out of your country (Genesis 12:1), Abraham departed as the Lord had spoken to him. (Genesis 12:4)
This is the image of the person who is fully surrendered to the Lord.

There are three English words that explain Abraham’s kind of surrender:
ANYTHING.
ANYWHERE.
ANYTIME.


“If it is for the Lord, I will do anything. If it is the will of the Lord, I will go anywhere. I will follow the leading of the Lord anytime.” This is the prayer of the person who has dedicated his life to the Lord.

When Christ said to the first four disciples,
“Follow me,”
they forsook all and followed Him. (Luke 5:11)


酸っぱいクリスチャン 

我が家の庭にハッサクの木があります。
(八朔は、ザボンと文旦に似た柑橘類の雑柑です)グレープフルーツに似ていますが、それほど酸っぱくありません。

ハッサクは、2月の初旬頃、成熟期を迎えます。
今月、強い風が吹いたので数個のハッサクが地面に落ちました。
私は、それを拾って洗って食べてみました。
すると普通よりとても酸っぱい味でした。おそらく、まだ充分に成熟していなかったからでしょう。

まだ充分に霊的成熟していない酸っぱいクリスチャンもいます。
コリントの教会にそんなクリスチャンがいました。
コリント人への手紙3:1でパウロは、そのクリスチャンを「幼子」と呼びました。
酸っぱいクリスチャンの特長とは何でしょうか。

Ⅰコリント人への手紙3:3
で私たちは、酸っぱいクリスチャンの二つの特徴を見つけることができます。
「あなたがたは、まだ肉に属しているからです。あなたがたの間にねたみや争いがあることからすれば、あなたがたは肉に属しているのではありませんか。そして、ただの人のように歩んでいるのではありませんか。 」
酸っぱいクリスチャンは、他のクリスチャンをねたみ争い事が好きです。
酸っぱいクリスチャンのもう一つの特徴は、不道徳です。
「あなたがたの間に不品行があるということが言われています。」Ⅰコリント人への手紙5:1
そして、酸っぱいクリスチャンは、教会の一致を壊す人です。
「あなたがたの間には分裂があると聞いています。」
Ⅰコリント人への手紙11:18

ねたみ、争い、不道徳と分裂。これは、酸っぱいクリスチャンの特徴です。
教会の皆さんにお勧めします。
もっと霊的に成熟するクリスチャンになって、酸っぱいクリスチャンが一人もいない教会を目指しましょう。

「ですから、私たちは、キリストについての初歩の教えをあとにして、成熟を目ざして進もうではありませんか。」へブル人への手紙6:1

  
SOUR

SOUR CHRISTIANS 

There is a hassaku tree in my yard. (A hassaku is a hybrid of several citrus fruits. It resembles a grapefruit, but it is not as sour as a grapefruit.)

Hassaku ripen in the first part of February. This month there was a strong wind, so several of the hassaku fell to the ground. I picked them up, brought them into the house, washed them, and tried to eat them. They were more sour than usual. It is probably because they were not fully mature yet.

There are Christians who are sour because they are not spiritually mature yet. There were some Christians like this in the church at Corinth. In First Corinthians 3:1 Paul called those Christians “babes.” What are the characteristics of a sour Christian?

In First Corinthians 3:3 we can find two characteristics of sour Christians.
For you are still carnal. For where there are envy, strife, and divisions among you, are you not carnal and behaving like mere men?
A sour Christians envies other Christians and likes to cause strife.

Another characteristic of sour Christians is immorality.
It is actually reported that there is sexual immorality among you. (First Corinthians 5:1)
Also, sour Christians destroy the unity of the church.
I hear that there are divisions among you.
(First Corinthians 11:18)


Envy, strife, immorality, and division. These are the characteristics of a sour Christian. Church members, let’s become Christians who are spiritually mature and make our church a church where there are no sour Christians.
Therefore, leaving the discussion of the elementary principles of Christ, let us go on to maturity. (Hebrews 6:1)

隣人の犬 

私は、8年前に現在の家に引っ越して来ました。
初日から、お隣さんの犬が私を見るたびに大声で吠えます。
犬は、やがて私に慣れて吠えなくなるだろう思っていたけど、やはり、今でも私を見る度にいつも吠えます。
私は、何度か犬と仲良くなろうとしたけど、近づくと犬は、ウ~と唸り声をあげます。全く変化はありません。

最近、あることに気がついて、犬は吠えない様になりました。
犬は私に気付いて欲しいから吠えるのだと分かり、犬に語りかけるようにしました。
出かける時、犬に英語で「How are you today? What’s the matter?」と声をかけると犬は、不思議なそうな顔で私を見つめて吠えなくなりました。
結局、犬は私に気付いて欲しかったから吠えていたのでした。

世の中には、お隣さんの犬に似ている人が大勢いると思いませんか? 彼らは、孤独で、誰かに、一人でもいいから「気付いて欲しい」という願いを持って毎日を過ごしています。
彼らは、心の中で叫んでいます。
「私を見てください! 私の存在を認めてください!」

詩篇142:4に、彼らの孤独を表すダビデの言葉があります。
「私を顧みる者もなく、私のたましいに気を配る者もいません。」
私たちも、ダビデと同じように
「私のたましいに気を配る者もいません。」
と思うようになるとき、神様の約束を思い出しましょう。
「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」へブル人への手紙13:5
誰も自分に気付かない時、主は、私たちを見てくださいます。
「見よ。主の目は主を恐れる者に注がれる。その恵みを待ち望む者に。」詩篇33:18

  
shibaken  

THE NEIGHBOR’S DOG 
 

I moved into this house eight years ago. From the first day, the neighbor’s dog barked at me every time he saw me. I thought the dog would eventually become used to me and stop barking, but to this day he barks at me every time he sees me. Many times, I have tried to become his friend, but when I go near to him, he growls.

Recently I became aware of something and was able to have the dog stop barking at me. When I realized that the dog was barking at me because he wanted me to notice him, I decided to talk to the dog. When I leave the house, if I say, “How are you today? What’s the matter?” the dog will look at me with a strange face and stop barking. The dog barked at me because he wanted me to pay attention to him.

Don’t you think there are a lot of people in the world who resemble my neighbor’s dog? All alone, they spend each day wishing for someone, even just one person, to pay attention to them. In their heart they are crying out, “Please see me! Please recognize my existence!”

In verse 4 of Psalm 142 there are the words of David that express their loneliness.
There was no man that would know me. No man cared for my soul.
When we, like David, begin to think, “There is no one who cares about me,” let us remember the promise of God.
I will never leave you nor forsake you.
(Hebrews 13:5)


When no one will pay attention to us and see us, the Lord will see us.
Behold, the eye of the Lord is upon them that fear him, upon them that hope in his mercy.
(Psalm 33:18)

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